2017-02-26

"世界を変えた17の方程式" Ian Stewart 著

「"~に等しい" という言葉をうんざりするほど繰り返さないために、私が仕事でよく使っているとおり、一対の平行線、つまり同じ長さの二本線 "=" を使うことにする。二つのものとして、これ以上等しいものはないからだ。」
... ロバート・レコード「知恵の磁石」より

世界を変えた... とは、良い影響を与えたという意味だけではない。実際、方程式そのものが真理であったとしても、用い方を間違えれば、途轍もない危機を招く。量子力学しかり、遺伝子工学しかり、金融工学またしかり...
科学者は、善悪はそれを用いる者の心の中にある!と訴える。それは詭弁であろうか。方程式に権威ある学者が太鼓判を押すと、人々はそこに群がる。変数を与えるだけで世界が分かると信じて。カオス社会では特にそうだ。「方程式」という言葉の響きは、よほど心地よいと見える。こいつに無限の期待をかけ、自己を暗示にかけちまうのだから。誰も検証できないとなれば尚更。そうなると、迷信と何が違うのだろう。仮に絶対的な方程式が存在するとして、その奴隷になることが幸せなのかは知らん。間違えない人生が楽しいのかも分からん。ただ言えることは、方程式は道具である。もっと言うなら、知識は道具であり、これを用いるのが知性である。哲学のない道具は危険となろう。一流の板前さんは、包丁一本にも職人魂を宿らせる。
ところで、知性ってなんだ???

方程式は、しばしば人類の道筋を示してきた。それは、自然界の本質を記述しているからだ。しかし、数学者イアン・スチュアートは、世間の粗略な扱いに不満をぶちまける。
「歴史書には王や女王や戦争や自然災害の記述に満ちあふれているが、方程式はほとんど登場しない。それは偏った扱いようだ!」
方程式は記号で表されるが、ある種の言語として振る舞い、自然言語に勝るとも劣らない説得力を持つ。その力は、抽象化と客観性に裏付けられる。ただ、この二つの形容詞は、そのニュアンスが学問分野によって微妙に違う。
「抽象化」という用語は、哲学者、科学者、芸術家などは「より真理に近い」といった普遍性と重ねた意味合いで用いるが、政治家や経済人などは「曖昧さ」という意味を込めて、具体的に示さなければ何の意味もない!と吐き捨てる。学芸に理解のない者は、芸術家の抽象表現に対して、何が言いたいのか?と最低な感想をもらす。
「客観性」という用語では、有識者たちが客観的に語ると宣言して、そうだったためしがない。客観性の度合いでは、数学は他の追従を許さないものの、不完全性の呪縛からは逃れられない。
ちなみに、ヴィクトリア女王時代、マイケル・ファラデーはロンドンの王立協会で、磁気と電気の関係を実験で説明したそうな。言い伝えによると、ウィリアム・グラッドストーン首相は、それに何か現実的な意義があるのか尋ねると、ファラデーはこう答えたという。
「そうですね、いつかこれに税金を掛けることになるでしょう...」
尚、この逸話を裏付ける証拠はないそうだが、埋もれさせるには惜しい!

17 の方程式とは...
ピタゴラスの定理、対数、微積分、ニュートンの重力法則、-1 の平方根、オイラーの多面体公式、正規分布、波動方程式、フーリエ変換、ナヴィエ=ストークス方程式、マクスウェル方程式、熱力学の第二法則、相対論、シュレーディンガー方程式、情報理論、カオス理論、ブラック=ショールズ方程式。
本書は、方程式を二種類に大別する。
一つは、様々な数量の関係を表し、真であることが証明された時に定理となるもの。純粋数学がこれに属し、ピタゴラスの定理やオイラーの公式などは恐ろしく真である。
二つは、未知の量に関する情報を与え、科学法則や社会的モデルとなるもの。応用数学や物理数学は大抵これに属し、ニュートンの重力法則や相対性理論などの経験法則がそれである。
前者は厳密な証明によって裏付けられ、後者は実験や観測によって裏付けられる。思考原理の観点から、前者が演繹的で、後者が帰納的という見方もできそうだが、その境界は微妙だ。個人的には、正規分布とブラック=ショールズ方程式あたりに、やや異物感があるものの、世界を変えたという意味では、そうかもしれない。正規分布は、正規という名を与えられたが故に、あらゆる統計モデルに用いられ、数々の誤謬を招いてきた。尚、嘘には三種類ある。嘘と大嘘、そして統計である... とは、ベンジャミン・ディズレーリの言葉だ。
ブラック=ショールズ方程式では、オプション価格の決定法に金融屋が群がり、あの悪名高い LTCM の破綻を招いた。ひいては、リーマン・ショックの警告であったとも言えるわけだが、歴史は繰り返された。アンドリュー・ホールデンとロバート・メイは、こう指摘したという。
「金融生態系では、進化力は、もっとも適応したものでなく、もっとも太ったものを生存させる。」
ピタゴラス教団が、数を占星術と結びつけたのは、現代感覚からすると常軌を逸している。だが今日でさえ、どんなに立派な方程式を編み出したところで、その結果は都合よく解釈される。では、本当に完全な方程式が存在すればどうだろう。人間は思考することをやめ、進化の道は閉ざされるだろう。結局は同じことか...

1.駄洒落と影のつきまとうピタゴラス
ピタゴラスの定理は、「カバに乗った女房」というダジャレに登場するという。ネットでも見かけるあれだ。あるインド人の族長には、三人の妊娠した女房がいたとさ。一人目は水牛の皮の上に、二人目はクマの皮の上に、三人目はカバの皮に上にいた。一人目は男の子を1人、二人目は女の子を1人、三人目は男の子と女の子の双子を産んだ。故に、カバの皮に乗った女房は他の二人の和に等しい。これで有名な定理が例証されたというお話。
これのどこがダジャレなのか?"hippopotamus(カバ)" を "hypotenuse(斜辺)" に、"squaw(女房)" を "square(2乗)" に引っかけているというオチ。実に下らん!
古代ギリシアの自然哲学者たちは、日時計の原理となる影ができる図形に憑かれた。ユークリッド原論にも登場するあれ、そう、グノーモーンってやつだ。ここには直角三角形の原理が内包され、距離を測る人類最初の方法が暗示されている。そう、三角法だ。紀元前五世紀以降、ギリシア哲学者がおしなべて大地が丸いと考えていたことに異論の余地はない。天動説が唱えられ、ピタゴラスの定理は、地図、航海、測量に欠かせない道具となった。
今日では、様々な距離の概念で応用される。それは、地理的な場所だけでなく様々な物理量のベクトル場で論じられ、抽象度の高さを魅せつけている。相対性理論では空間や時間における距離と重力の関係を論じ、情報理論では符号距離を論じ、さらに、解析学では直角という幾何学的概念を直交性という代数学的概念で抽象化し、便利な近似法を与えている。フーリエ変換やウェーブレット変換がそれだ。
日時計の時代から、人類は直角(= 直交)という影を背負って生きることを運命づけられているようだ。幸福のバロメーターとして、人間関係の距離を測る必要もある。そして、アル中ハイマーは夜の社交場で直交配置される点群(店群)へ直行するのであった...

2. ややこしい計算から解放してくれる魔術
人間にとって、掛け算よりも足し算の方がはるかに楽だ。自然対数の底の名を持つマーキストンの第8代領主ジョン・ネイピアは、神秘主義者だったらしく、錬金術や降霊術に携わっていたとされる。
まさに対数は、掛け算を足し算に置き換えてくれる魔法の術!掛け算や割り算、比の計算、平方根や立方根の開平などの計算から解放してくれる。音響工学や電気工学では、dB(デシベル)という単位を用いて増幅回路の利得などで重宝され、デジタルシステムでは、底が 2 の時に重要な意味を与えている。底に何を選ぶかは用途によって変えればいい、という柔軟さこそが真骨頂!人間の直感は絶対値よりも相対値を好むようだ...

3. 微積分学の美学
あらゆる物理現象は、時間とともに変化していく。つまり、すべては時間の関数で表わせるってことだ。そこで、本質的な変化の方向性を観察するには、時間の変化が限りなくゼロになる点における状態を定めればいい、という思考(嗜好)が浮かぶ。微積分が自然界のあらゆるモデリングで活躍の場を与えられる理由が、ここにある。
では、限りなくゼロとは、どういう状態か?「無限小」という物理量を、どうやって正当化するのか?時間をゼロにするということは、次元を一つ落とすこと。これが微積分学における哲学的解釈の一つとしてある。時間という次元をなくせば、連続性から解放され、離散的なスナップ写真が描けるという寸法よ。
しかしながら、人間の認識能力は時間の存在によって成り立ち、時間をゼロにするということは、認識を無にするに等しい。そのためか?限りなくゼロに近づけようとするだけで、けっしてゼロにはならない。これが無限小の正体だ。つまり、永遠に近づこうとすることは、永遠に到達できないことを意味する。まるで消えゆく亡霊を追いかけるがごとく。ある落語家は言った... 人生はノーパンだ!はかない...

4. 潜在力学
力学とは、物体の運動における力の関係を問う学問である。
そもそも、力ってなんだ?アリストテレスの運動論以来、インペトゥス、モーメント、トルク、エネルギー、フォースなど、様々な用語が乱立してきた。アインシュタインは、あの有名な公式で質量とエネルギーの等価性を示し、力は質量を通じてエネルギーと結びついた。
では、エネルギーってなんだ?力学的エネルギーは、運動エネルギーと位置エネルギーの和で記述され、そこには保存則が成り立つとされる。運動エネルギーの存在は、なんとなく分かる。物体が移動すれば、そこになんらかの力が働くであろうから。
では、位置エネルギーってなんだ?質量と加速度と位置(高さ)で決定される物理量だが、位置ってなんだ?物体が存在するからには、空間のどこかに位置する。つまり、位置は相対的な場所でしかない。位置エネルギーはポテンシャルエネルギーとも呼ばれ、重力などはポテンシャル、すなわち潜在的な力として解釈される。概して人間は潜在能力を持っており、努力によって開花させる者がいれば、ほとんどの者が才能を眠らせたまま。潜在的な存在といっても、自己存在に確証が持てなくなるばかりか、あらゆる存在に疑いを持たずにはいられない。
リンゴは、なぜ地面に落ちなければならないのか?と問えば、それは高い位置にあるからで、すべての地位は失墜する力学が働いているとでも言うのか。政治の力、金の力、愛の力... これらすべて腐敗する運命にあると。どうやらそうらしい。そしてさらに、こう問うであろう。男性諸君は、なぜ小悪魔に落ちなければならぬのか?やはり、人生はノーパンか...

5. 虚像という名の理想
人類は、実数に対して、虚数という仮想的な数を編み出した。実数と虚数の組合わせで表記される複素数は、三角関数を計算する上で優れた手法であり、電磁気学や量子力学では欠かせない。
幾何学的に存在しえない -1 の平方根に、いったいどんな意味があるというのか?しかも、その性質ときたら、乗法と加法の規則を守ってやがる。これは、理想解への道であろうか?最も美しいオイラーの公式は、この虚像の下でネイピア数とπという二つの無理数が戯れると、整数に収束すると告げてやがる...

6. 重ね合わせた猫は不気味
1オクターブを周波数の整数比で作る音律の概念は、既にピタゴラスの時代からある。波動方程式の線形性は、波の重ねあわせによってハーモニーを奏でる。フーリエ変換もまた、正弦波成分と余弦波成分の和によって構成され、周波数スペクトラムという概念を与えている。信号成分を周波数リストで記述すれば、再現性が高く、デジタル信号処理とすこぶる相性がいい。
実際、フーリエの考えた熱方程式は、恐ろしく波動方程式に似ていたという。マクスウェルの方程式もまた、ある種の波動方程式という見方ができよう。div(発散)とrot(回転)の演算子で、電場と磁場の見事な対称性を示している。マクスウェルは、エーテル説を信じて実証しようとしたが、光の波動性を匂わせてしまったことで、思い悩んだと伝えられる。
さて、あらゆる物理運動は、なんらかの振動を備えている。そもそも、物体の基本要素である原子や電子が振動している。となれば、振動の重ねあわせによって、存在そのものが定義されるのも道理であろう。直感では、物質の存在を粒子性によって示したいという衝動が働くが、存在の本質は、むしろ波動性の方にあるのかもしれない。
マクスウェルの方程式は、確率論に基づいた最初の物理法則という見方もできそうである。電子工学で用いられる電流や電圧の単位は、あくまでも統計的な物理量であって、電子の個々を制御しているわけではない。ひょっとしたら、マクスウェルの悪魔に憑かれた電子が、1個ぐらいどこかに存在するかもしれない。人間社会にも犯罪確率があるように、同じ教育を受けたからといって、同一の人間性が生まれるわけではない。
実際、量子の振る舞いは不気味だ。「シュレーディンガーの猫」という思考実験を試せば、確率と重ね合わせ状態の違いとは何か?と問わずにいられない。すべての現象が重ねあわせ状態で存在するとしたら、なぜ宇宙は古典的に見えるのだろうか?人間認識のスケールでは確率になるが、プランクスケールでは重ねあわせ状態になるというのか?おまけに、波動性ってやつは、振動に加えて位相を持ってやがる。しかも、不思議なことに位相は複素数で扱われる。つまり、虚数(= 虚像)というわけだ。
位相の違う波を重ねあわせれば、まったく違う状態になりうるし、情報がうまいこと相殺されることもある。となれば、猫の存在を問う前に、猫そのものが判別できないかもしれない。
定常位相の原理ってなんだ?光学系のすべての量子状態を重ねあわせると、光線は最短時間の経路をとるとされるが、やはり道を選択するというのか?
デコヒーレンスってなんだ?互いに干渉すれば、波動関数を収縮させ、やはり道を選択するというのか?
これらの原理は、同じ分子構造を持ちながら、まったく違う人格を作るのと同じ原理であろうか?現実に時間の波によって状態は変化し、人格までも変わっていく。時間とは、一列に行儀よく順番に並んでいるものなのか?時間が単なる意識の産物だとしたら?あらゆる物理現象が単なる観測の産物でしかないとしたら?現実逃避でパラレルワールドに縋るのも無理はない。その結果、猫が生きているか死んでいるか?そんなことは知らんよ。自分自身が十年後に生きているかも知らんし、今を精一杯生きるだけだ。量子コンピュータってやつは、猫の非人道的な扱いに復讐を企てようとしているのか?夜の社交場で男性諸君が概して子猫ちゃんにひれ伏すのも、神の企てであろうか...

7. 神が存在する方に賭けたパスカル
パスカルは悪魔の代弁者を演じて、神が存在する確率を論じた。
「神が存在するほうに賭けたときの、利益と損失を比べてみよう。それらの2つの可能性を見積もってみよう。賭けに勝てばすべてが手に入る。負けても何も失わない。だから迷わずに、神が存在するほうに賭けなさい。... 勝てば限りなく幸福な無限の人生が手に入るのに対し、負ける可能性は有限で、賭けるものも有限だ。したがって、勝ちと負けのリスクが等しいゲームにおいて賭けるものが有限であり、勝ったときに得られるものが無限であれば、この論述には無限の力がある。」
...「パンセ」より

8. カオスに隠された連続性と離散性の調和
カオスのような複雑な世界は、だいたい偏微分方程式で記述される。ブラック=ショールズ方程式もこの類い。分からない対象は、考えうる変数をすべて洗い出し、これらの和として記述すれば、とりあえずのモデルが構築できる。それ故に、この場合の抽象化は、そのまま曖昧さを表すことになる。しかも、微分方程式ってやつは必ず解けるという代物ではない。
数学者たちは、高速なコンピュータを利用して近似法に頼ってきた。そこで、流体力学で有用とされるナヴィエ=ストークス方程式が登場する。こいつは、ニュートンの第二法則の姿を変えたものという見方ができるという。
圧力p, 応力T, 体積力f の関係を表し、こんな形をしている。

  ρ(∂v/∂t + v・∇v) = -∇p + ∇・T + f  (ρ: 密度, v: 速度)

とはいえ、基本的な問題は残されたまま。この方程式が導く解が実在するという数学的保証はあるのか?それは、あらゆるカオスな世界につきまとう問題である。
一方で、カオス理論は、連続時間の微分方程式から脱皮して、離散的な写像として記述している。

  Xt + 1 = kXt(1 - Xt)  (X: 個体数, k: 増加率, t: 現世代, t + 1: 次世代)

この方程式は、利用可能な資源に限界がある場合、生物の個体数が世代ごとにどう変化するかをモデル化している。すこぶる単純な形でありながら、元となる非線形性が複雑なダイナミクスの根源であることを示しており、ランダムの裏に秩序が隠されている可能性を匂わせる。
ところで、未来永劫に有効であり続ける方程式の解というものが、カオスの世界で存在しうるだろうか?結局は、統計力学的に、より改善された近似モデルを模索するしかないような気もする。実際、方程式が美しい対称性を示しても、その解が対称性を保つとは限らない。エントロピーがそれだ。秩序と無秩序という対称性を示しても、その解は時間の矢に支配される。覆水盆に返らず... と言うが、喰っちまったラーメンは腹の中!その痕跡は排泄物に見いだすしかない。おまけに、健康状態か、体調不良か、でも姿形を変えやがる...

2017-02-19

"四色問題" Robin Wilson 著

「四色あれば、どんな地図でも塗り分けられるか?」
小学生に出題されるような塗り絵の問題。だが数学界は、これを証明するのに百数十年もの月日を要した。しかも、1976年、ヴォルフガング・ハーケンとケネス・アッペルが導いた解決法は、コンピュータに千時間以上も計算させるというものだった。つまり、証明のプロセスを見た者は誰もいないってことだ。これは本当に数学なのか?G.H.ハーディは言った... 醜い数学は永遠に居場所を見出すことはできない... と。アッペル自身もこう語ったという...
「これはひどい数学だ。数学は、簡潔でエレガントであるべきなのに... と言う人がいた。わたしも同感だ。簡潔でエレガントな証明ができれば、それにこしたことはなかった。」

数学の命題は、単純であればあるほど証明が難しい。まず問われるのは、抽象化された問題を、いかに数学の問題として組み立て直すか?人間社会には、現象は単純明快であっても、問題の本質が理解できていないために、実に的外れな解決策が横行する。数学界の難問として知れ渡れば、アマチュア数学家やパズル愛好家だけでなく、宗教界や文壇からも人々が群がる。ルイス・キャロルやポール・ヴァレリーまでも... 一つの問題に取り組むのに、専門の垣根を取り払った人々が集まる光景を目にすれば、学問のあるべき姿は、むしろこちらの側にあるように映る。
しかしながら、四色問題は「ヒルベルトの23問題」に含まれず、数学界の本流から外された。この問題が解けないのは一流の数学者が取り組んでいないからだ!とも言われ、講義中に証明してやる!と豪語する者もいた。
ただ、ある種のタイル張りアルゴリズムと捉えれば、ケプラー予想とまったく無関係とも言えまい。実際、どちらもコンピュータが解き、大量の演算量と情報パターンを要するという意味では同じ性質を持っていそうである。それは、染色体のような構造体から遺伝情報を見つけるようなものであろうか?本物語でも、染色多項式が鍵を握っているし。無数の細胞から成る人体マップも、人間社会に拡大していく地図パターンも同類項と言えば、そうかもしれない。つまりは、組合せ論の世界!
さらに、地図の二次元パターンを多面体の押し潰した形として眺めれば、面の数、頂点の数、辺の数の三要素に還元できる。つまりは、交点と連結の問題であり、グラフ理論の世界!今日の通信網、交通網、社会ネットワーク、人体ネットワークなどの問題を支える分野である。グラフ理論の最も簡単なケースは、オイラーが提示した「ケーニヒスベルクの問題」に遡る。そう、一筆書きの問題だ。
本書では、アウグスト・フェルディナント・メビウスの「五人の王子の問題」について議論される。それは、王様が死んだら王国を五つに分けなさい、という遺言に発する。前提条件は、どの領土も、他の四つの領土と境界線を共有しなければならない。それが不可能なことは直観的に分かる。つまり、王様の意志は、王国を分けるな!ということだ。
さらに、四色問題をオイラーの「多面体公式」「数え上げ公式」の応用として物語ってくれる。そして、決め手となった概念は「不可避集合」「可約配置」であったとさ...

ところで、数学の難題が解決されると、哲学の問題を大きくさせるとは... やはり数学は哲学であったか。
画家は、描こうとする対象を色分けする。描かれる側だって、他とは違うように描いて欲しい。平面上で国や州を区別するには、四色あれば事足りる。地球儀のような球面上でも同じだ。しかし、ドーナツのようなトーラス上で同じことをやろうとすれば、七色が必要になる。空間ってやつは、歪むほど自己主張を強め、差別化を欲するものらしい。これが多様化ってやつか?はたして空間は歪んでいくものなのか。それとも空間の住人の方が歪んでいくのか。狂ったこの世で狂うなら気は確かだ!とはこの道であったか...
はたしてコンピュータを用いた証明法によって、数学の美意識は変わるだろうか?いや変わらないだろう。近現代社会は、コンピューティングに頼らなければ機能せず、ネット依存症やデジタル依存症をますます高める。だからこそ、純粋な美をより欲するに違いない。ただ、その美も人類の手元から遠ざかっていくように映る。現代人は、ますます現実逃避を強めていくというわけか...
この証明で言えることは、少なくともアルゴリズムは正しく、コンピュータの計算さえ間違っていなければ、この証明はほぼ間違いないということ。そして、現代の数学者のほとんどがこの結果を受け入れているということである。
しかしながら、コンピュータは万能ではない。現実に実数演算は近似値で誤魔化され、πですら無理数であるが故に切り捨てられる。もし、浮動小数点演算で答えが合わないと騒ぐ新人君を見かければ、IEEE754 の意義を匂わせてやればいい。危惧されることは、四色定理が証明されたことで、この問題から優秀な数学者が手を引くことだろう。いや、後の天才がエレガントな証明法を発見する希望はある。いずれにせよ、凡庸な酔いどれには同じことか。どんな知識も、著名人や権威者が唱えたというだけで鵜呑みに、いや、ぐい呑みにできるのだから...

1. 問題提起と三枝地図
物語は、オーガスタス・ド・モルガン教授がウィリアム・ローワン・ハミルトン卿に宛てた一通の手紙に始まる。それぞれ、ド・モルガンの法則とハミルトニアンで名を馳せた数学者。ド・モルガン教授は、ある学生から、地図を塗り分ける際、四色で事足りることを指摘されたという。ある学生とは、フランシス・ガスリー。弟フレデリック・ガスリーが言うには、兄フランシスがそれを証明したというのだ。だが、それがどんな証明法かは知られていない。答えを見いだせないド・モルガン教授は、ハミルトン卿にこの問題を持ちかけたところ、反応はそっけなかったという。

さて、四色問題を幾何学的に記述すれば...
まず境界線と交点で構成され、隣り合う二つの領域は一本の境界線を共有する。その場合に色分けするというだけのこと。ただし、一つの交点だけで接する場合は、同じ色で塗ってもいい。この制限がなければ問題が成り立たない。
例えば、一つの領域を四つの領域で囲めば、中心の領域に一色と周りの領域に二色で、合計三色が必要となる。周りの領域が、2以上の偶数個であれば、これで事足りる。だが、一つの領域を三つの領域で囲めば、中心の領域に一色と周りの領域に三色で、合計四色が必要となる。周りの領域が、3以上の奇数個であれば、そうなる。ここには、環との関係を匂い立たせる。ちなみに、二色だけで色分けできる有名な配置に、チェス盤がある。
では、この境界線に着目した時、根本的な素となる配置はあるだろうか?そこで、すべての交点でちょうど三本の境界線が会する場合だけを考える。その素となるモデルに「三枝地図」が紹介される。そして、証明へのアプローチは、四色では塗り分けられないと仮定した三枝地図をリストアップして、それらを反証するという形で展開される。これを本書は「最小反例」と呼び、四色では塗り分けられない地図の中で、これより少ない国からなる地図はどれも四色で塗り分けられるようなものを見つける、という戦略である。
しかしながら、命題を反証するのは一つの例外を示せばいいが、証明となると、すべてのパターンで示さなければならない。帰納法的なアプローチの弱点がここにある。言い換えれば、無限にも見える配置のパターンを有限界に代替できることを示せば、道は開ける...

2. オイラーの多面体公式
まず、四色定理の証明に至る鍵に、オイラーの多面体公式が位置づけられる。面の数を F、頂点の数を V、辺の数を E とすると...

  F - E + V = 2

オーギュスタン=ルイ・コーシーは、この公式が平面上に射影した多面体についても成り立つことを証明した。この時、外部領域を含めるかが問われ、含めないと右辺は 1 となるが、含めると 2 となってまったく同じになる。
これを四色問題に置き換えると...

  国の数 - 境界線の数 + 交点の数 = 2 (外部領域を含む)

ちなみに、穴が開いた場合の多面体では次のように拡張される。h は穴の数。

  F - E + V = 2 - 2h

そして、h個の穴があいているトーラス上の地図は、下式の H(h) 色で塗り分けられることが、パーシー・ヘイウッドによって予想されたという。

  H(h) = [1/2 (7 + √(1 + 48h))]

つまり、穴一つのトーラス(h = 1 の時)では、七色定理が成り立つというわけだ。四色問題(h = 0 の時)では H(h) = 4 となる。ただ、ヘイウッドは、この公式の証明には至っておらず、これまた70年以上もの歳月を要することになる。

3. オイラーの数え上げ公式
次に、地図上の境界線と交点を全て数え上げるという戦略を用いる。
二つの隣国を持つ国がC2個、三つの隣国を持つ国がC3個、四つの隣国を持つ国がC4個... と描かれる時、外部領域を含めた国の総数 F は...

  F = C2 + C3 + C4 + C5 + C6 + C7 + ...

それぞれ、二辺国、三辺国、四辺国 ... と呼ぶことにしよう。
どの二辺国にも、境界線が二本あるから、C2個の二辺国は、2C2本の境界線に囲まれる。
どの三辺国にも、境界線が三本あるから、C3個の三辺国は、3C3本の境界線に囲まれる。
どの四辺国にも、境界線が四本あるから、C4個の四辺国は、4C4本の境界線に囲まれる。
よって、境界線の総数 E は、各境界線の両側に国があって二倍になるので、こうなる。

  2E = 2C2 + 3C3 + 4C4 + 5C5 + 6C6 + 7C7 + ...
  E = C2 + 3/2・C3 + 2C4 + 5/2・C5 + 3C6 + 7/2・C7 + ...

交点も同様に数え上げる。ここで対象とするものは、三枝地図である。
V個の交点のそれぞれに三本の境界線があるので、合計は 3V に思われれるが、各境界線は二個の交点を結んでいるので、境界線が二回ずつ数えられてしまう。よって、3V = 2E としなければならない。

  3V = 2C2 + 3C3 + 4C4 + 5C5 + 6C6 + 7C7 + ...
  V = 2/3・C2 + C3 + 4/3・C4 + 5/3・C5 + 2C6 + 7/3・C7 + ...

これをオイラーの多面体公式に代入すると、三枝地図の数え上げ公式はこうなる。

  4C2 + 3C3 + 2C4 + C5 - C7 - 2C8 - 3C9 - ... = 12

ここで、係数が 4 から順に1づつ減じていることに注目したい。しかも、六辺国が現れない。三枝地図の数え上げ公式では、すべてが 0 になることはありえないし、右辺が正の数である以上、少なくとも地図上には、二辺国、三辺国、四辺国、五辺国のうち一つが存在することを意味する。
しかも、12 という数字が、最小反例になりうるパターンを匂い立たせている。少なくとも正の項の合計が、12個となるような地図だ。本書は、このような形を「隣国は五つだけ定理」と呼んでいる。
「どんな地図にも、五個以下の隣国しか持たない国が、少なくとも一つ含まれている。」

オイラーの「多面体公式」と「数え上げ公式」から得られる帰結は、四色定理の中核をなしているという。四色問題が解けなかった原因の一つは、二次元の思考次元に幽閉されていたからということか...

4. 不可避集合と可約配置
巨匠オイラーの頭脳を借りて、三枝地図を描く場合には、二辺国、三辺国、四辺国、五辺国という基本セルが提示された。このどれかを利用しない限り、三枝地図は描けないということだ。これらを「不可避集合」と呼んでいる。
オイラーの多面体公式と数え上げ公式は、少なくとも正の項が12個となるような地図に、最小反例なるものを匂い立たせていた。12個の領域からなる平面図を多面体に戻してみると、十二面体を思い浮かべる。十二面体と言えば、自然界のデザインに多く見られるパターンだ。例えば、柘榴石の結晶は菱型十二面体構造を持つし、三次元充填を論ずる時に鍵を握る多面体でもある。
一方、「可約配置」とは、最小反例に含まれないような領域の配置のことで、二辺国、三辺国、四辺国はすべて可約配置である。ある地図が可約配置を含んでいる時、これを除いた残りの地図が四色で塗り分けられるならば、必要に応じて塗り直しをすることで、四色の塗り分けを地図全体に拡張することができる。もし、五辺国も可約であることが証明できれば、四色問題は解けたことになるという寸法よ。
そして、四色問題は、いよいよ不可避集合と可約配置を探す段階へ...

5. ヘーシュの放電法、そして、D可約配置とC可約配置
不可避集合を探索するために、ハインリヒ・ヘーシュの考案した「放電法」を利用することが検討される。ちなみに、ヘーシュのアイデアを「放電法」と名付けたのは、四色問題を解決したヴォルフガング・ハーケンだそうな。
三枝地図において、二辺国、三辺国、四辺国は、すでに不可避集合であることが示されたので、まず、五辺国を中心に電荷を +1, 六辺国に 0, 七辺国に -1、八辺国に -2 ... という具合に割り当てる。電荷の総和は、数え上げ公式のやり方と同じ。電荷は周辺にも及び、五辺国では周辺国に 1/5 ずつ放電する。
そして、正の電荷が維持されれば、不可避集合の仲間入り。次は、六辺国を中心に... といった具合に調べていく。つまり、総電荷が変化しないように地図上で電荷を移動させるのが、放電プロセスである。ただ、放電のやり方は周辺領域に対して均等でいいのだろうか?
次に、可約配置はどうやって探索するのか?可約性を見つける根本の考えに、「ケンプ鎖」という概念が紹介される。法定弁護士にしてアマチュア数学家アルフレッド・ブレイ・ケンプの名に因む。それは、中心の領域を囲むリンクを色分けする考え方で、数珠の組合わせをイメージすれがいいだろう。ケンプ鎖の思考原理は、二色だけで塗り分けられた領域に、領域が追加されるごとに二色を入れ替えることによって、ほぼ収まるのではないか... てな具合か。
さらに、ヘーシュはケンプのアイデアを発展させて、二つの塗り分けを「D可約」「C可約」で区別している。D可約配置とは、環をなす領域の塗り分けが、すべて良い塗り分けに変換できるような配置。「良い塗り分け」という表現が微妙だが、C可約との差別化で気持ちは伝わる。
C可約配置とは、考慮すべき環の塗り分けの個数を減らすような変更を受けてはじめて可約性が証明されるような配置。
そして、四色問題は、放電法とD可約とC可約の議論が中心となっていく。

6. バーコフ・ダイヤモンド
ジョージ・デヴィット・バーコフは染色多項式を考案し、特定パターン「バーコフ・ダイヤモンド」が可約であることを証明したという。彼は最小反例の中に環をなす場合を考えたが、それはケンプのアイデアを一般化する試みだったとか。バーコフの試みから、続々と可約配置が提案されることになる。
ここで、色の数を λ で表記する。λは、3以上の任意の整数。ある国 A は、λの任意の色で塗ることができ、隣国 B は、λ - 1 の任意の色で塗ることができ、さらに、A と B に接する国は、λ - 2 の任意の色で塗ることができる。そして、塗り分ける方法の数 P(λ) において、次式が成り立つ。

  P(λ) = λ・(λ - 1)・(λ - 2)2

これが、「バーコフの染色多項式」と呼ばれる。
四色であれば、塗り分けられる方法は、P(4) = 4 x 3 x 22 = 48 通りあるというわけだ。バーコフ・ダイヤモンドを赤(r)、緑(g)、青(b)、黄(y)の四色で塗り絵をする rgby 配列の議論は、染色体構造を想像させる。




ちなみに、四色問題とは直接関係はないが、ジェラルド・バーマンとビル・トゥットが導いた奇妙な帰結を紹介してくれる。
なんと!λが黄金比 τ に対して、λ = τ2 の時、P(λ) が極端に 0 に近づくというのだ。黄金比とは、これ...

  τ = 1/2 x √ (1 + √5)

その性質では、次式が成り立つことがすぐに導出できる。

  τ2 = τ + 1

染色多項式が黄金比と関係があるならば、バーコフ・ダイヤモンドにも自然の偉大な法則が隠されているのやもしれん..

7. 反証パターンの有限化
1965年頃、ハインリヒ・ヘーシュとカール・デュレがコンピュータを利用して配置の可約性を調べ始める。有限のパターンに絞り込むことさえできれば、後はコンピュータが片付けてくれる。
ところで、ヘーシュの放電法では、反証パターンになりうる悪い配置が、8900種類もあるという。ハーケンとアッペルがやったことは、ヘーシュの放電法を改良して、約2000個にまで絞り込み、シラミ潰しに可約配置であることを示した、ということである。後に、反証パターンは1400個余りにまで整理されたようである。
結局、この手の問題は、反証パターンになりうるケースをいかに効率的にできるか、にかかっているということか。今後も、CPUやメモリなどのリソース性能は向上し、チューリング完全に近づこうとするだろう。だが、不完全性の呪縛からは永遠に逃れられそうにない。人間が出来ることといえば、アルゴリズムを検証することと、実在するコンピュータの計算完全性を問うことぐらいであろうか...

2017-02-12

"ケプラー予想 - 四百年の難問が解けるまで" George G. Szpiro 著

ヨハネス・ケプラーは、こんなことを主張した。
「同一の球を最も効率よく三次元空間に詰め込む方法は、オレンジの積み方と同じである。」
そんなことは大科学者に言われなくても、八百屋のオヤジが店でやっているし、小学生でも知っている。しかしながら、この単純な命題を証明するのに、実に四百年もの歳月を要した。しかも、答えを提供したのはコンピュータである。
では、証明したとされる天才数学者トマス・ヘールズは何をやったのか?その証明を受け入れた数学者たちも、いったい何を検証したというのか?プログラム自体を検証するしかあるまい。すなわち、そのアルゴリズムを。実際、証明論文にはプログラムコードが相当部分を占めていたという...
「ケプラー予想の証明が、数学者たちの知恵袋の一端として受け容れられつつある一方で、疑問も出はじめた。これは本当に証明なのだろうか?数学的真理は、力ずくで証明できるものなのだろうか?コンピュータが間違っている可能性はないのか?従来の証明のエレガンスと、コンピュータを使った証明とをどう比べろというのか?この証明から、いったいわれわれは何を学んだのか?」

人間には、便利なものはなんでも利用せずにはいられないという性癖がある。人間は機械を道具とし、人間をも道具としてきた。かつて人間の思考アルゴリズムに奴隷根性を植え付け、今では文句ひとつ垂れないコンピュータにアルゴリズムを植え付ける。
そして、コンピュータが初めて定理の証明で主役を演じた時、数学界に激震が走った。四色問題がそれである。アルゴリズムは検証できても、その結果はコンピュータが答えるだけ。実際に証明を見た者は誰もいないってことだ。純粋主義者は、ブラックボックスが出力する結果を素直に受け容れられるだろうか?それは、迷信的原理主義者が医療の進歩に抱くような偏見であろうか?自然法則を相手取るのに人間の知性では限界がある、とは多くの知識人が認めるところ。だが、数学の研究にコンピュータを用いるとなると、数学界を二分する。かつて科学は地動説によって迷信を打倒した。そして今、コンピュータが人間の知性を打倒しようとしているのか?いまや、証明の意味も、定理の概念も、変わろうとしているのやもしれん...

とはいえ、コンピュータにも見過ごせない弱点がある。現実に、実数演算は近似値で誤魔化される。浮動小数点演算で答えが合わないと騒ぐ新人君を見かければ、IEEE754 の意義を匂わせてやればいい。ゼロ除算にせよ、無理数の丸め込みにせよ、都合よく定義されるだけで、システムエラーの回避に欠かせない規則が前提される。良識のある人なら、数の重要な特性を切り捨てるコンピュータを、純粋な数学の証明に用いるのは狂気の沙汰!と考えるかもしれない。チューリングマシンには非決定性の問題がつきまとうのだから...
ユークリッドは、見たまんまを公理で定義し、それに準じる要請を公準と位置づけ、人間にはこれ以上証明できない素朴な命題があることを示した。しかも「原論」には、無限を相手取る時のお手本が示される。「素数は無限に存在する」という命題には、最大素数が存在すると仮定した場合に矛盾が生じるという形で、実に単純に、実にエレガントに証明して見せた。もし、これをコンピュータでやろうとすれば、最大素数の存在を仮定した時点で破綻している。答えが無限に存在すれば、永遠に計算を続けることになるのだから...
では、反証パターンを有限界で示すことができるとすれば、どうだろう。四色問題では、反例の可能性がある1936種類もの地図をリストアップして、シラミ潰しに調べさせたという。コンピュータは計算を1200時間も続けたとか。
ケプラー予想でも、反証となりうる有限個のリストに還元し、それらを一つ一つ消去していく戦略がとられる。この戦略で重要な鍵は、いかに命題に特化した効率的なアルゴリズムを編み出すか?近年、自動定理証明という概念を耳にする。決定可能性のベンチマーク的な評価は、確率的ですらある...
「ヘールズによるケプラー予想の証明は、本質的に最適化の問題である。」

演繹法から導かれる証明は美しく、おそらく、これが数学の王道であろう。対して、帰納法で迫る証明には矛盾性が紛れ込むことを不完全性定理が暗示している。だからといって後者が邪道とは言えまい。実社会では、どちらの方法論も有益であり、互いに補完関係にある。四色問題やケプラー予想で用いられる戦略は、まさに帰納法的なアルゴリズムである。カオスの世界では、最も客観性を重んじる数学ですら確率的な厳密さを受け入れざるを得ないのかもしれない。そして、厳密に対する準厳密、定理に対する準定理、といった概念も...
「ゴルトバッハ予想は 0.9999 の確率で真であり、完全に真であるかどうかは百億ドルの予算で決定されるだろう。」

1. 充填問題と接吻問題
予想は、証明されて初めて定理に昇格する。フェルマー予想はフェルマーの最終定理となり、四色問題は四色定理となり、そして、ケプラー予想は充填定理と呼ばれる。球の充填問題は、接吻数問題とも呼ばれ、できるだけ多くの相手とキスする効率的な方法を見つけることにある。球の定義を、中心からの距離で与えた半径 r 以内に存在する点の集合とすれば、次元に関係なく同じ問題が成り立つ。

  • 一次元空間の球は、中心点からの線分 = 2r
  • 二次元空間の球は、中心点からの円の面積 = πr2
  • 三次元空間の球は、中心点からの球の体積 = (4/3)πr3
  • 四次元空間の球は、中心点からの四次元超球の体積 = (1/2)π2r4

二次元において...
円の充填問題を最初に広めた書物は、一般的にケプラーの小冊子「六角形の雪について」とされるそうな。
ただ本書は、ルネサンスの画家アルブレヒト・デューラーの功績を挙げている。デューラーは画法幾何学という新たな分野を生み、ケプラーが彼の著作に触れたことは十分に考えられる。そして、デューラーとケプラーが六方配置が最密充填だと主張し、ラグランジュがほぼ仕上げたという流れ。
しかし、ラグランジュは充填問題に興味がなかったようで、結局、二次元の証明はフェイエシュ = トートが完成させたという。しかも、トートは、ケプラー予想の証明にコンピュータを使うことを初めて提起した人物だそうな。
コンピュータに計算させるためには、変数を有限個に絞れるかが課題となる。例えば、50個の球の場合、それぞれ中心点の座標は (x, y, z) で与えられ、すべての配置は、150個の変数で決定できる。それは、境界条件をそれぞれ接触することとした、150個の非線形連立方程式を解くことに等しい。これだけでも気の遠くなる作業だが、時代はコンピュータを急速に発展させていた...

三次元において...
球の充填密度は、空間内で球が占める体積と、その空間の体積の比として見ることができる。これは密度の極限値として定式化できそうだし、有限空間であればトートが示したように微分方程式で迫れそうだ。
問題は、無限空間においてどうか?直感的には、一次元ではマッチ棒を並べるだけ、二次元では円の六方配置、三次元では球の立方格子をすぐに思い浮かべる。すぐに、一つの球に12個の球が接触できることも想像できる。いや、ひょっとしらた13個目と接触できるかもしれない。
そう主張したのはグレゴリーで、これにニュートンが反発して論争となった。証明できなければ仮説の域を脱し得ないわけだが、仮説嫌いなニュートンでも論争はお好きと見える。そりゃ、夜の社交場で何人の女性とキスできるかは、男性諸君にとって由々しき問題だ!
クルト・シュッテとファン・デル・ヴェルデンは、それぞれ別の方法で次のことを証明したという。
「十三個の球を接触させるためには、真ん中の球の半径は 1 よりも大きくなければならない。」
一人でも多くの女性とキスしたければ、より大きな人間になれ!ってか。
尚、ニュートン数は、一次元では 2、二次元では 6、三次元では 12。そして、規則的な配列という条件つきで、巨匠ガウスが証明した。
しかし最大の問題は、不規則な配列の場合である。というのも、12個の球は、わずかながらも動く余地を持ってやがる。ほんの少しずつ身体をずらしていけば、ひょっとしたら13人目とキスできる羨ましい野郎が、どこかにいるかもしれない。グレゴリーの気持ちも十分すぎるほどに分かる。
ガウスの時代から百年が過ぎれば数学界の屈辱的な問題となり、偽の証明法も発表され、数学界は混沌としていく。そして、真打ちヘールズの登場。藁にも縋る... と言うが、藁とはコンピュータであったか...

2. ガウスの思考法... 二次形式と三次元格子
本書は、ケプラー予想が証明されるまでの物語が、二次形式との関係をめぐるものであったことを教えてくれる。二次形式の特徴に判別式がある。例えば、この形では...

  q(x, y) = a2x2 + 2bxy + c2y2

そして、これがお馴染みの判別式...

  ⊿ = a2c2 - b2

この判別式と、格子の間に密接な関係がある。まず格子の基底を定義する。二次元格子は二つの方向に対してベクトルで定め、それぞれの成分を、xy 座標にマッピングする。もちろん座標は直角である必要はない。その位置面積は、判別式の平方根に等しい。そして、円の詰め込み方は、この座標系をどのように潰せばいいかという問題に置き換えられる。

三次元ではどうか...
1831年、ほとんど無名の数学者ルートヴィヒ・アウグスト・ゼーバーは、「正値三変数二次形式の諸性質について」という本を出版したそうな。とにかく回りくどく長ったらしいものだったらしいが、この書に目を留めたのがガウスだったという。三変数二次形式の判別式は、充填問題にとって重要な比となる。例えば、この形では...

  q(x, y, z) = a2x2 + b2y2 + c2z2 + 2dyz + 2exz + 2fxy

そして、判別式はこうなる...

  ⊿ = a2b2c2 - a2d2 - b2e2 - c2f2 + 2def

ゼーバーが注目した比は、直方体の体積の二乗 a2b2c2 を、潰れた格子に対する二次形式の判別式で割ったものだという。すなわち、直立した箱の体積の二乗を、潰れた箱の体積の二乗で割ったものである。その比は常に 2 以下になるというのがゼーバーの直観で、これを証明したのがガウスだという。

  a2b2c2 / ⊿ ≦ 2

さらに、ガウスはこれに幾何学的な解釈を与えたという。上式を変形すると...

  √⊿ ≧ abc/√2 ≒ 0.707abc = (1 - 0.293)abc

この式から、ガウスは格子の体積に対して「29.3% 以上小さいものは存在しない」と主張したという。半径 r = 1 とすると、球の体積は、4π/3 ≒ 4.189。立方体の体積は、一辺が 2 の 3 乗 = 8。球の体積を確保しながら立方体を潰して、23.9% 以上小さくなることがないとすれば、箱の最小体積は...

  8 x (1 - 0.293) ≒ 5.657

よって、最密充填密度はこうなる。

  4.189 / 5.657 ≒ 74.05%

この体積を持つ箱はどんな形をしているだろうか?
それは、いかなる条件下で  a2b2c2 / ⊿ が 2 になるかを問うことに等しいというわけである。そして、ガウスが得た答えは、格子の角度θにおいて cos θ = 1/2 の時、すなわち、60度に傾いた時だという。ケプラーが予想した面心立方格子と六方最密充填のことである。どうやらガウスまでは、数学はエレガントな地位を確保していたようである...

3. ヘールズの思考法... ドロネー星とスコア方式
ケプラー予想で運試しをした二十世紀の数学者のほとんどは、空間を分割するために「ボロノイ・セル」を用いたという。距離空間という概念を用いるわけだが、同一距離にある点集合を扱う場合に都合がいい。ケプラー予想は、同一距離間にある点集合を、いかに合理的に配置するか、と見ることもできそうである。優れた球充填においては、ボロノイ・セルが小さくなりそうな予感がする。
しかし、それだけでは不十分で、ヘールズは新たなアプローチを模索したという。「ドロネー三角形分割」である。この方法は、ある意味でボロノイ・セルの空間分割とは逆の関係にある。隣接する球の中心同士を線で結ぶと、全空間が四面体で分割されることが想像できる。四つの頂点で四面体ができ、二つの球がボロノイ・セルの壁で隔てられる時、それぞれの球の中心を結んだものがドロネー四面体の辺になるような感じ。つまり、ドロネー四面体はボロノイ・セルの双対的な関係になるようだ。
ボロノイ・セルは様々な形をとりうるのに対して、ドロネー分割は四面体だけで空間を分割する。ヘールズは、ボロノイ・セルとドロネー四面体を合わせたハイブリッド型のアプローチを発見したという。

具体的には、三つの工程を提案している...
ネットを編むこと、空間を分割すること、そして空間をもう一度分割すること。
まず、球がぎっしりと詰まった状態で、一つの球を選んで核とする。核の中心点から隣接球の中心点まで赤い線を引いて、ワイヤーメッシュのようなものを描く。
次に、ワイヤーが核の表面を抜ける点に印をつける。核の表面上で隣り合う印を黄色い線でつなぐと、手毬のような模様ができ、これが核をくるむネットとなる。
さらに、ワイヤーの間に赤い壁をはめ込むと、赤い四面体の集まりができる。そして、核と隣接球のまわりに青いボロノイ・セルを組み立てる。
... こうして空間は二度分割される。一度目は赤い四面体によって、二度目は青いボロノイ・セルによって。以上のような手続きで、各球のまわりに星状構造ができる。その構成要素は、赤い四面体と、青いセル。赤い四面体が十分に小さければ基本構成要素として採用し、さもなければ対応する青いセルを採用するといった具合。
こうしてできあがった星状構造は、青いセルのいくつかの面に、赤い四面体が突き刺さったような形になる。これを「ドロネー星」と呼んでいる。この赤と青の二色が、ハイブリッド型アプローチを象徴している。
ネットと星には互換性があるという。ネットを構成する線は、星が核の表面を突き抜けるときの交線になっていると。星とネットには密接な関係があり、そこにスコアを定義する。だが、線の色が黄色だけでは生彩を欠くので、赤い壁が核を突き抜けるループはオレンジ色(= 黄 + 赤)に、青い部分が核を突き抜けるループを緑色(= 黄 + 青)に、緑のループとオレンジのループが隣り合っている時は、線の片面はオレンジ、他面は緑として、カラフルに定義して見せている。つまり、ネットのスコアはループの形と色によって完全に決まるというのである。オレンジ色のループは余剰金、緑のループは割増金、片面がオレンジ色、もう片面が緑色の場合は、隣り合うループのそれぞれに対応する方法を割り当てるといった具合に。うん... 数学というより経営工学だ!

計算方法はこんな感じ...
正三角形のループに対するスコアは 1 ポイント。それ以外の三角形は 0 ポイントから 1 ポイントの間。四角形では、0 ポイント。それ以外のループはマイナスポイント。そして、合計が 8 ポイント以上になることはないという。この 8 ポイントが、密度 74.05% に対応する。
面心立方充填と六方最密充填はともに、8 個の正四面体と 6 個の正八面体から構成され、これに対応するネットは、8 個の正三角形と 6 個の正方形からなる。
余剰金と割増金の計算方式によると、正四面体つまり正三角形のスコアは 1 ポイント、正八面体つまり正方形のスコアは 0 ポイントとなり、8 個の正三角形は全部で 8 ポイントとなって、6 個の正方形はスコアに寄与しない。したがって、ケプラー予想の配置は、8 ポイントになるというのだ。うん... なんとも狐につままれたような気分、もし条件に漏れがなければ...
ヘールズは、ネットの構成に、35個の不等式を条件に課したという。ケプラー予想を、ドロネー星のスコアを最適化する問題に置き換えたというわけである。サイエンス・ライターのサイモン・シンは、ヘールズのアプローチをこう表現したという。
「五十個の球からなる配置の密度を、百五十次元のグラフとして描き出す。そうして描かれたグラフは、百五十次元の風景のようなものになるだろう。その風景の上に、百五十次元の屋根をかけていく。屋根ができたら、そのピークを探す。その後、風景の中で一番高い丘に触れるところまで屋根を下ろしていく。屋根が一番低くなったとき、そのピークの高さはちょうど 8 ポイントになるだろう... すべてが予定通りに進むならば」

2017-02-05

愛の電話にダックをかまし... 重低音で愛してやるぜ!





「愛の電話 + セブン教」に改宗して数ヶ月が経った。音楽再生では EarPods をメインにし、これはこれで思ったほど悪くなかったりする。
しかしながら、やはり耳に馴染んできたカナル型(audio-technica)を復活させたい。標準付属のイヤホンジャック変換アダプタ(写真左)を経由すると、イマイチ。音域が狭いのかと思いきや、ボリュームを最大にすれば聞こえなくはないし、どうもバランスがよろしくない。おいらの腐った耳でも、いや、腐っているから余計に感じるのかもしれない。イコライザをカスタマイズしてはみたが、それだけの問題ではなさそうである。
ちなみに、愛用している音楽プレーヤは ONKYO HF Player... 3Dエフェクトのアプリでは Boom もなかなか...
Bluetooth イヤホンも検討したが、やはり有線の方がいい。充電も面倒だし...
となると、Lightning が鬼門か?いや、デジタル信号がそのまま出力されるので、D/A コンバータ次第でどうにでもなるという考え方もできる。ちと嵩張るけど...

てなわけで、ポータブル DAC を購入した。Lightning に直接接続できるタイプもあるが、愛の電話以外で使えないのもシャクだし、USB タイプを選択。したがって、Lightning/USB 変換アダプタも必要となる。そして、ここに落ち着く...

  M-AUDIO MICRO DAC 24/192 + Lightning/USBカメラアダプタ(写真右)

型名からして 24bit/192kHz ハイレゾ対応。1万円弱でこの仕様なら悪くない。ボリュームが DAC 側についているのもいい。
ところで、USB アダプタは電源の供給不足などでトラブりやすく、なかなか侮れないアイテムである。おいらは保守的なネアンデルタール人なので、Apple 純正品を Apple Store から購入した。ここのオンラインストアを試すのは初めてだが、Apple ID 不要のゲスト購入もでき、コンビニ決済もできてなかなか便利。ちと高いけど...

おかげで、音質はまあまあ、愛用のカナル型も戻ってきてくれて、幸せ...
ただ、バッテリーの減りは少しばかり早くなるし、たまーに「接続中のアクセサリは消費電力がおおきすぎます」なんてゲロも吐くけど...