2016-11-27

宗旨替え... 愛の電話 + セブン教

酔いどれ天の邪鬼は、セブンという数に看取られているような気がする。ミレニアムの呪いを払ったのも Win 7 であったが、今では、SM狂の十字架バージョンに翻弄される。
さらに、愛の電話に憑かれると、七つの大罪がプラスされる恐れが。惚れっぽい酔いどれ天の邪鬼に、煉獄の山は酷だ!
それでも懲りず、黒い林檎とにらめっこした挙句にアップップ教へ宗旨替え。実は、黒い林檎を喰わず嫌いできた。だが、始めて食してみると、これがなかなか。やはり一度は試してみないと、それが毒入り林檎であっても...

モノは、iPhone7 Plus 128GB Black(model A1785)...
愛の電話を選択する上で、SDカードに対応していないことが、一つの懸念材料であった。というのも、携帯用電子機器や自動車のナビでは、音楽データをSDカードで配布できるようなファイル構造で管理している。SDカードなら、壊れてもリスクが小さいし...
これが使えないとなると、本体にある程度のメモリ容量が欲しい。32GB モデルではちと寂しいし、6s のラインナップにあった 64GB モデルがなくなったのは痛い!
てなわけで、128GB モデルを選択。今どき外付けメモリもないだろうってか。いや、大容量モデルを買わせるアップップ戦略にしてやられたか...
本体の色はあまり気にならない。どうせ手帳型ケースに入れるし。好みは、つやなしのブラックか。
ちなみに、ジェット・ブラックに、なぜこんなにも人が群がるのか?と不思議に思っていると、伝統的なアップップ教徒は、新しいと銘打ったデザインに殺到する傾向があると、ある信者がもらしていた。ただ、ボディが黒なのに EarPods が白であることには、こだわりがないらしい...

さあ、モデルは決まった...
とはいえ、おいらは初期ロットから逃げる保守的なネアンデルタール人だ。そして、予約状況はどうなっているかなぁ... と軽い気持ちでショップに足を踏み入れたのが、三週間ほど前。すかさず店員が寄って来て、ブラックでよければ 128GB モデルが一台だけございます!というではないか。これは運命の出会いに違いない!いや、セブン教の教祖様と称すメフィストフェレスのお導きやもしれん...




1. バッテリーを持たせよう..
この手の電子機器で、一番気になるのはバッテリーの持ち時間であろうか。いくらリチウムイオン電池にメモリ効果がないとされても、物理構造からして完全にゼロってことはないだろう。バッテリーを傷めないためにも、なるべく使いきって、フル充電を繰り返す、といったことを心掛けてはいるが、なかなかそうもいかない。
また、バッテリー容量が物理的に大きくても、OS やアプリが浪費すれば同じこと。減り具合は、ブラウジングをやるだけならほとんど気にならないが、音楽をずっと再生しながら使っていると思ったより速く、一日持つか微妙。そんな使い方は滅多にしないだろうが、長距離出張の時はやるかもしれない。
まず、バックグランドや通知、位置情報や機能制限、あるいはアクセシビリティなどの設定を見直し、さらに不要アプリを削除。そして、ソフトウェアの無駄な常駐を避けるために、確実にアプリを終了する方法を知っておくことが肝要であろう。そこで、マルチタスク画面は重宝できる。ホームボタンをダブルクリックすると起動中アプリがサムネイル表示され、上にスワイプすると終了。おぉ~、同時に三本指までいける!

2. テザリングに病みつき...
モバイル機器では、Surface Pro3 に頼りっきりで、常に WiFi スポットを意識して行動していた。気分屋のおいらは設計の仕事で温泉宿に篭もることもあり、前々から自動車を WiFi ステーションにできるといいなぁ... と思ってきた。
しかし、携帯機器でテザリングする方がはるかに現実的だ。iPhone7 における具体的な手段は、WiFi 以外にも USB と Bluetooth が用意されている。3台も繋がれば御の字だが、仕様では5台まで。大手キャリアも大容量プラン(20GB)が出揃ったことだし、これで心置きなく使える。
おぉ~、場末の自宅でも 4G と表示される。実際は、LTE だろうけど。速度は、iPhone7 経由 Surface Pro3 で、30Mbps ぐらいはコンスタントに出てくれる。十分仕事に使えるレベルだ。さっそく露天風呂へ速度計測に行かねば...

3. Safari vs. Chrome
最も用途の多いブラウザの選択は、ちと気を使う。ブックマークなどのデータ移植性を考慮すれば、断然 Chrome だろう... と思っていたが、iOS 10 に限って言えば、Safari の方が良さげ。タブ表示のアニメーションも分かりやすいし、複数のタブを一括で閉じる時も、タブアイコンを長押しすることで簡単。Web サイトのスクロール中にメニュータブを表示する時も、サイトアドレスをタップしたり、軽く下にスワイプするだけでいい。
とりあえず、Safari をメインに使ってみよう...

4. iTunes も悪くない...
愛の電話を選択する懸念材料の一つに、音楽データの移植で iTunes を経由することがあった。昔からアップップ教は、他社との競合で特殊なアプリケーションを流行らせようとするところがある。SM狂も似たようなものか。
伝統的にアップアップ教とSM狂の相性の悪さは周知の通り。今まで CD から落としたデータフォーマットは、WMA 形式をメインにしてきたが、愛の電話は受け付けてくれない。iTunes は、WMA を AAC に変換してくれるが、どうせなら AAC 形式で直接落とした方が音質もいいだろう。使い勝手も、Windows Media Player より、データの属性を整理する上では良さげだし...
ちなみに、つい最近購入した自動車(クラウン Hybrid アスリートS の標準ナビ)における音楽再生は、USB 経由の iPhone7 と相性はよさそうで、それだけに Apple の CarPlay 対応車種でないことが惜しまれる。

5. コントロールセンターは便利!
画面外部の下から上にスワイプするだけで、コントロールセンターが出現。機内モード, WiFi, Bluetooth, おやすみモード, 画面縦向きのロックがエントリされ、on/off が簡単に切り替えられる。実は、機内モードは、飛行機に乗る時だけでなく、会議中でも重宝している。
また、Night Shift 機能もあって、なんとなく眠りを誘ってくる。この機能はブルーライトを軽減してくれるらしいが、どれほどの効果があるかは知らん。
AirPlay や AirDrop、あるいは、LEDライト(懐中電灯)やカメラなどもエントリ。横にスワイプすると、音楽再生用のカードも出現。しかも、ロック画面でアクセス可に設定できる。

6. 音声コントロールが目障り...
ロック状態でも、何かの拍子に突然ダイヤルしだすからビックリ!こいつをオフする方法が悩ましい。Siri をオンにすれば音声コントロールは抑制できるが、Siri と音声コントロールの両方をオフすることはできないようだ。機能制限で、[Siriと音声入力]をオフしても、音声コントロールは生きてやがる。なんじゃ、この仕様は?
Siri の方はロック画面でオフすることができるので、とりあえず Siri をオンにしておくしかなさそうだ。ただですら騒がしくてしょうがない世間にあって、電子機器までも喋りだしたら収拾がつかない。自動車にも Siri に似た機能が搭載され、不協和音の大合唱!ガミガミと尻(Siri)に敷かれながら生きていくのは辛い...

7. おまけ
  • 指紋認証の使い勝手はなかなか。ロックまでの時間が短くても問題なし。設定の[ホームボタン]って何かと思えば、クリック感が三段階で調節できる。
  • 内蔵辞書が意外と使いやすい。キーボードにカーソルキーを表示させているが、所定の場所を長押しすると、拡大鏡が出現してカーソル位置の移動がやりやすいので無用かもしれない。
  • model A1785 には、クアルコム・モデムが搭載され、インテル・モデムより 30% ほど速いらしい。比較しようがないけど...

ちと気になる点...
  • イヤホンジャックが消えたのが痛い!Bluetooth イヤホンを検討中。Lightning Dock も検討中たが、手帳型ケースとマッチしないかも。
  • サイレントモードをマナーモードと思っていると痛い目に会いそう。着信音、メールの送受信音、クリック音はオフになるが、カメラのシャッター音、アラーム、音楽、ブラウジング中の音声などは消音してくれない。特に、シャッター音はなんでこんなに大きいの?また、モード状態を画面に表示してくれると助かる。暗い場所ではサイレントスイッチがどっちになっているか分かりにくいし、手帳型ケースでは尚更。
  • 通話時、こちらの声が聞こえづらいらしい。手帳型ケースでは、表カバーを裏に折り返すと、背面のノイズキャンセリング用マイクを塞いでしまう。これに注意すれば、改善されるみたい。相手の声も遠くから聴こえてくる感じで、マイクとスピーカの位置に注意する必要がある。
  • ロック画面でカメラ機能を抑制したいが、できないようだ。今のところ?
  • Android Wear と相性が悪いという噂が... 実は、Moto 360(2nd Gen.)とセットで検討していたが、そのうち解決されるだろう。きっと!

2016-11-20

婆(ばぁ)カーに王冠を...

老人に運転免許の自主返納を促すのは難しい。ちょっとボケが入ってくるとヤバい。うちの婆(ばぁ)やは八十近いが、しっかりアクセルを踏んでスピードに乗れるし、まだまだ乗る気十分って感じ。活動的なクソババアなだけに厄介だ!
そして、どう切り出そうかと思案していたところ、向こうから... そろそろやめようかなぁ... と言ってくれた。ちょうど書き換え時期を迎え、最初から更新するつもりはなかったようである。ただ条件に、おいらも一緒にバイクをやめろ!というのだ。まあ、こちらはいつでも復活できるし、しばらくバイク屋に預けることに...

さて、次の車は...
婆ちゃんカーは小ぢんまりとしたアクア。これをおいらの車と集約する。MR2(SW20)を18年間乗り、涙ながら手放したのが二年前。いまだスポーツカー熱はおさまりそうにない。実はロードスターが欲しいのだが、介護や障碍者用となると、そうもいかない。ミニバンやワゴンあたりが適しているが、間をとってセダンが落とし所か。てなわけで、クラウン Hybrid アスリートS に...





かつて、「いつかはクラウン」なんてキャッチコピーもあったが、レクサスブランドのおかげで庶民カーに近づいた感がある。とはいえ、おいらにとって贅沢品であることに変わりはない。王冠のエンブレムが仰々しく、成金時代の臭いも残っていそうで、なによりも爺さんカーのイメージが強い。半世紀も生きてきた野郎が今更なにを、いつも仕事仲間から年寄り扱いされているではないか。アスリートの顔ヅラなら悪くない。そして、納車までのウキウキ感は、いくつになっても同じ...

1. 安全装備は有り難いやら、有り難迷惑やら...
納車時の説明は、1時間以上もかかった。それだけ機能が多いってことか。それだけ故障リスクが高いってことか。
まず、「Toyota Safety Sence P(衝突回避支援パッケージ)」とやらの留意事項にサインを求められる。いくら安全システムを装備しているとはいえ、過信するな!ってか。事故は、やはり自己責任ってか。そりゃ、その通りだが、自動車業界で競って安全性を誇張するのもいかがなものか...
このパッケージは標準で、衝突回避支援、車線逸脱の回避支援、オートマチックハイビーム、レーダークルーズコントロールが装備される。
車線逸脱の回避支援は、50km/h 以上でウィンカーを出さずに車線変更すると警告音が鳴り、ステアリング操作をサポートしてくれる機能。おかげで、路肩に停車中の車を避けるのにちょっと車線をまたぐだけでブザーが鳴ってうるさいし、微妙にステアリングの跳ね返りを感じる。ちゃんとウィンカーを出すか、減速しろってか。
レーダークルーズコントロールは、前の車の速度に追従するシステムだが、渋滞が現れても、きちんとブレーキ制御が働くらしい。怖くて試す気にはなれないけど。
さらに、オプションで、インテリジェンスクリアランスソナーってやつを勧められた。障害物の接近を検知して警告音を鳴らしたり、衝突を緩和したりする機能である。狭い路地などでは非常にありがたいのだが、駐車場ではピーピーうるさい。バックの時はバックモニタでも確認できるが、警告音が鳴ればやはり気持ち悪い。
こうした安全システムは、有り難い面もあれば、有り難迷惑な面もある。もし故障したら... 機能が働かなくなるだけならいいが、誤動作でもされたら却って怖い!慣らされると、危険感知能力も麻痺しそう。技術の進化とは、人間が進化した結果として人間自身を退化させようとしているのか?もう他の車には乗れそうにない。
ただ、運転が上品になったような気がする。急発進や急ハンドルは愚の骨頂と言わんばかりに。なるほど、これがメーカの戦略であったか...

2. スマートキーに遊ばれる!
いきなり駐車場でエンジンを切り忘れる。ハイブリッドはエンジン音がしないから尚更。スマートキーを持って車から離れても、エンジンをかけたままだったら持っていかれる可能性がある。なんと無防備な!そして、一度エンジンを切れば、スマートキーが近くにないと再始動できない。この状態で車道でエンストでもしたら... イレギュラーな行動を想像すると切りがない。
ドアロックは、ドアハンドルの隅っこにあるロックセンサーに触れるだけで施錠できる。センサーは四つのドアについていて、これはなかなか便利!しかし、年寄りが、施錠を確認するためにドアハンドルに触れると、解錠されて大騒ぎ!いくら仕組みを説明しても無駄だ。はたから見ると施錠したようには見えないらしく、心配性なだけに厄介。したがって、運転手は施錠したら、すぐにスマートキーを持って車から退避せよ!
では、施錠したかどうかを確認するにはどうすればいいのか?ロックセンサーに触れて、ドアミラーが閉じるまで、二、三秒間は施錠されていることが確認できる。これに気づくまで、スマートキーの入った鞄を数メートル離して確認したり。スマートキーだけで、こんなに遊べるとは。いや、遊ばれるとは...
ちなみに、洗車時は、スマートキーを車から 2m 以上離すか、節電モードにして下さい!といった注意書きもある。ロック機能が誤動作する可能性があるんだってさ...

3. 標準ナビに異物感!
クラウンを二年前から検討してきたが、最も悩ましいのが標準ナビであった。販売店オプションナビのラインナップとは別に、標準ナビにだけ異物感がある。一年以上前のモデルには、G-BOOK なんて余計なものが装備された上に、おいらにとって必須の SD カードオーディオが装備されていなかった。CD などの音楽は、狭い車内でハードディスクに録音するような仕様になっている。いや、CD を持ち歩け!ってか。なので、もし買うなら販売店オプションナビを選択したいと思っていたが、下取りを考えると標準ナビの方が有利らしい。
そして今回、G-BOOK は廃止され(代わりに T-Connect なんてものになったが)、SDカードオーディオも装備された。必要な機能はほぼ装備され、これなら標準ナビで OK!
... と思っていたら、今度は音楽の操作性に異物感が。表示はグラフィカルで高級感を演出しているものの、微妙に苛立つ。

例えば...
SD カードにはアルバムをジャンル毎にフォルダを階層化して保存し、他の電子機器にすぐに持ち込めるよう構えている。しかし、この標準ナビときたら、すべてのアルバムが並列に表示され、アルバムが100個以上あるため収拾がつかない。おまけに、アルバムの一覧を見ようとしてカーソルをアップダウンさせるだけで、カーソルの位置が合ったアルバムに、その都度切り替わって再生される。
ちなみに、アクアの販売店オプションナビ(NSCP-W62)では、階層表示してくれたし、一覧を見るのに勝手に切り替わることはなかった。表示の仕方はショボいけど、操作性で苛立つことはなかった。
音楽データにはジャンル情報などの属性も保存しているので、せめてジャンル別に表示できればいいのだが、標準ナビの説明書には「本機で SD メモリカードに録音した音楽再生時のみ」という箇所に、「ジャンル別」の表示がある。つまり、外部で録音した SD カードでは、ジャンル別表示ができないと書いてあるのだ。クラウンで録音しなおせってか?そもそも、SD カードを「本機で...」と「外部で...」とで区別する仕様が理解不能。おそらく販売店オプションナビを選択すれば、こんな孤立感はないだろう。結局、USB経由のスマホで操作すればスッキリ!
ちなみに、T-Connect には、Apps とかいうやつがあって、スマホのようにアプリをダウンロードしてナビをカスタマイズすることもできるが、ショボい。
さらに、Apple の CarPlay や Google の Android Auto にも対応していないし、中途半端感は否めない。電子機器と連携すれば、通話や音楽などを一元管理できるし、マップも随時更新され、常に最新状態が保てるのだが、対応車種を検索しても出てこない。というより、日本車メーカーは全般的に対応が遅れている模様。特にトヨタはヤル気がないようで、他のメーカーが対応予定とあるのに、なーんも出てこない。もともと日本車のナビシステムが先行していたという経緯もあるが、つまらん意地を張っていないことを祈る。
但し、たった一つのつまらん苛立ち感のために、他の些細な点まで愚痴に昇格することはよくある...

そもそも...
自動車にナビは必要なのだろうか?前々から自動車を WiFi ステーションにと考えてきたが、スマホでテザリングする方が現実的だし、実際そうしている。となると、自動車は電子機器の充電ステーションか。いよいよ、USB や Bluetooth などの外部接続だけあればいいんじゃないの!と思う今日このごろであった...

4.AT vs. CVT
この手の車のトランスミッションは、AT のイメージが強いが、クラウン・アスリートのラインナップではハイブリット車だけが CVT である。厳密には、ECVT(電気式無断変速機) + 6速シーケンシャルシフト。当初、CVT だけだと思って侮っていたが、マニュアル感覚で6速のシフトチェンジができ、思ったよりもパワー感がある。ただ、前がシフトダウン、後ろがシフトアップだと思っていたら、やってみると逆だった。市販車では、これが一般的だとか。へぇー!これならパドルシフトが欲しいところだが、3.5L ガソリン車とターボ車に装備されるようだ。
ところで、オートマチックには、いまだに抵抗感がある。人間工学的に疑問を感じてきたのだ。ブレーキは本能的に減速のためのものであって、ブレーキを緩めると動力が伝わるという感覚が、どうも馴染めない。半クラッチなんて用語は、ほとんど死語であろうか。
オートマチック限定免許を持っている人の中には、平気で左足ブレーキをやる習慣のある人もいると聞く。確かに、坂道発進などでは有効だ。しかし、パニックに陥って両方踏んだりすると、右利きの人が多いから、アクセルが勝ることもあろう。クラッチが装備されていれば、左足はクラッチ側に固定されるので、とりあえず動力を切断することはできるだろうに。この際、クラッチミートで失敗してエンストが恥ずかしい、なんてことは些細なことだ。
やはり、ブレーキは減速... アクセルは加速... といったマニュアル的な概念の方が安心できそうな気がする。ネアンデルタール人の愚痴だけど...
尚、アクアは、ブレーキを強く踏み込むと、ランプが点灯して坂道発進モードに切り替わり、クラウンは、そんなモードを意識させず、心持ち強めに踏むだけで後ろに下がらない。
ちなみに、カートをやるので左足ブレーキに違和感はないはずだが、公道となると、ちと怖い。ヒール・アンド・トウの方が馴染んでたりして...

2016-11-13

"世界の指揮者" 吉田秀和 著

「音楽についてというのでなく、演奏と演奏家について書くということが、とかく、やりきれないほど皮相的で、あわれなことになりやすいのも、その理由は、演奏の本質によるというより、むしろ人間の心の深いところに潜在しているのであろう。」

「私の好きな曲」(前記事)の文章に魅せられ、吉田秀和氏をもう一冊。ここには、演奏史上に輝く名指揮者たちが紹介される。十九世紀後半から二十世紀にかけて、ちょうど二つの大戦をまたいで生きた芸術家たち。エジソン式録音装置の発明からステレオ録音をはじめ、マルチトラックや多重録音といった音響技術の進化は、兵器技術の近代化と共に歩んできた。彼らが政治利用され、権力との軋轢から亡命を強いられてきたのも、偶然ではあるまい。芸術と政治は実に相性が悪いように映るが、あまりにも対極的な性格だからこそ、逆に引き寄せ合うのであろうか。殺戮の世紀では、聴衆の受動的な態度が受難曲へと誘なう。自己のレクイエムを求めるかのように...

一方で、時代の流れに反発するかのように、レコード録音を好まなかった演奏家も少なくない。録音のために、何度も繰り返して完璧さを求めるなどはナンセンスと言わんばかりに...
ライブ演奏へのこだわりは、機械的完璧より精神的放射を重視した結果であり、即興性こそ音楽の本質というわけか。本書は、このタイプの指揮者にクナッパーツブッシュとフルトヴェングラーを挙げ、特に熱狂的な信者を獲得しているという。
「フルトヴェングラーという音楽家で特徴的なのは、濃厚な官能性と、それから高い精神性と、その両方が一つにとけあった魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだという点にあるのではないだろうか...」
演奏する気分は、その時々において違うはず。その場の気分を尊重するという意味では、崇高な気まぐれ!とでもいおうか。ずいぶん自由気儘に生きているようで、実は辛抱強く、苦しみにじっと耐えるだけの豊かさを具えているのであろう。自由と苦難は背中合わせにある。即興性とは、まさに一期一会...
「僕のこの時のフルトヴェングラー体験の絶頂は、アンコールでやられた『トリスタンとイゾルデの前奏曲』と『イゾルデの愛の死』だった。オーケストラの楽員の一人一人が、これこそ音楽の中の音楽だという確信と感動に波打って、演奏している。いや確信なんてものではなく、もうそういうふうに生まれついてきているみたいだった。フルトヴェングラーが指揮棒をもった右手を腰のあたりに低く構えて高く左手を挙げると、全オーケストラは陶酔の中にすすり泣く...」

ところで、ポップスやロックなどの音楽ジャンルでは、オリジナルとカバーの境界が明確にあるのに、クラシックとなると、どの演奏家も正当性を主張してやがる。指揮者とオーケストラの組み合わせだけでも個性はほぼ無限だ。機械的な正確さや融通の利かなさは、芸術性における欠点となるはずだが、演奏家たちはそれを逆に特徴づけている。彼らは彼らなりに余計な演出を削り落とす。作曲家の要請に指揮者はどう向き合うか?どう解釈するか?そこには普遍性と多様性の対立、いや調和がある。音譜や記号だけでは表現しきれない精神領域が、確かにある。自由との葛藤の中から、薄っすらと見える共存性のようなものが。音楽はどこまでも美しくなければならない... と言ったモーツァルト風の立場と、真実を行なうために破ってはならない美の法則などない... と言ったベートヴェン風の立場の共存とでもいおうか。おそらくクラシックファンを魅了する最大の要因は、ここにあるのではなかろうか...

1. ローリン・マゼール論
ここに紹介される指揮者の中で、おいらが実際に演奏を耳にしたのはマゼールだけ。そのために印象に残るのか?マゼールを論じた文章に魅せられるのであった。マゼールの中に、芸術家の宿命づけられた孤独論を見るような...
「マゼールの音楽も、もちろん、これからだっていろいろ変わることもあるだろう。しかし、あすこには一人の人間がいるのである。あすこには、何かをどこかからとってきて、つけたしたり、削ったりすれば、よくなったり悪くなったりするといった、そういう意味での技術としての音楽は、もう十歳になるかならないかで卒業してしまった、卒業しないではいられなかった一人の人間の音楽があるのである。それが好きか嫌いか。それはまた別の話だ。」
彼は、寡黙なだけに、気難しく自意識の強い、冷たい芸術家と見られがちだと指摘している。ただ、言葉よりも説得力のある世界観を提供してくれるのが音楽家というもの...
「彼は自分が何かの中に閉じこめられてしまっているのを感じているうえに、幸か不幸か、あまり言葉というものをもっていない男なのだ。言葉による自己表現というものについて、慣れてもいなければ、自信もない男なのだ。彼は話をしても、他人には自分のことをなかなかわからせることができない。そういう彼にとって、バッハの器楽は、過度に神経質でも、感傷的でもなければ、衝動的でも情動的でもなく、均整と明確さを失わず、しかも、表面的に流れたり、感覚的なものに没入したりすることのない、安心してつきあえる最高の世界を提供してくれる...」

2. トスカニーニ vs. フルトヴェングラー
フルトヴェングラーを崇拝している人は、おいらの周りにも少なからずいる。個人的には崇拝するほどではないが、むかーし名声につられて、レコードではベートヴェンの九つの交響曲をフルトヴェングラーで揃えたものだ。CDでは頓挫中だけど、いや、ハイレゾ音源で復活させたい!したがって、おいらの中のベートヴェン交響曲は、フルトヴェングラーが基準になっている。
本書は、運命交響曲の感想をこうもらす、「怪物がこちらに向かって歩いてくるような感じ...」と。苦悩に満ちたファウスト的な物語を欲する狂人的な酔いどれ天の邪鬼には、フルトヴェングラーは間違いなくいい。
ところが、本書は少しだけトスカニーニの気分にさせてくれる。評価の難しい指揮者の一人として紹介されるが、ラテン系ということもあって希薄なイメージがつきまとう。だが、実はそうではないことを証拠だてるものが、ベートヴェンやブラームスの中にではなく、ヴァーグナーの指揮に見いだせるのだという。トスカニーニの第五は、フルトヴェングラーの怪獣が咆哮しているような不気味で重苦しい緊張とは正反対の、軽快な光明の力強さ、壮大な勝利の歌、凱旋の行進であるという。トスカニーニと言えば、NBC交響楽団。金に糸目をつけずに粒よりの名手を集めて、トスカニーニという一人の指揮者のために提供されたオーケストラの存在は、まさにアメリカンドリーム!感化されやすい泥酔者は、さっそくNBC交響楽団のベートーヴェンを、ショッピングカートへクリックするのであった...

3. カラヤン評
指揮者というより、ディレクターのイメージが強いカラヤン。音響技術に映像技術を結びつけた企画運営は、技術面と経済面の双方において総合監督を務めた。おいらが学生時代、権威あるクラシック音楽に余計な演出を... といった批判も耳にしたものだが、カラヤンの発案はディジタル時代にいっそう開花したと言えよう。今では、CLASSICA JAPAN といった専門チャンネルでも放映され、つくづく幸せな時代だと思う。酒をやりながら即興性を体感できるのだから。本書は、こう評している。
「カラヤンの演奏には、モーツァルトを、こういじる、ああいじるという作為の跡が少しもなく、むしろ、モーツァルトの音楽に導かれて、それに忠実に演奏するよう心がけているとでもいった趣があった...」

尚、本書には、28人が紹介される。
・ヴァルター
・セル
・ライナー
・サバタ
・クリュイタンス
・クレンペラー
・ベーム
・バーンスタイン
・ムラヴィンスキー
・クナッパーツブッシュ
・トスカニーニ
・ブッシュ
・マゼール
・モントゥ
・ショルティ
・クラウス
・ブレーズ
・ミュンシュ
・フルトヴェングラー
・ジュリーニ
・バルビローリ
・クーベック
・ターリッヒ
・アンチェルル
・ロジェストヴェンスキー
・フリッチャイ
・アバド
・カラヤン

2016-11-06

"私の好きな曲" 吉田秀和 著

古本屋を散歩していると、音楽を文章で魅了する書に出くわした。四、五ページも読み進めると、こんな文面に出くわす...

「あの第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンがリレーしながら奏する旋律をもって出発した主題の上に、つぎつぎと書き加えられてゆく変奏。どれもが全くちがった性格を与えられていて、しかもいずれ劣らず、微妙と力強さの破綻のない均衡の上で、よく歌い、よく流れてきた上で、そのクライマックスとして、アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・センプリーチェが忽然として出現してくる時のすばらしさ。それは、芸術の最高のものには、荘厳さがつきものであること、それも、単純さ、動きの少なさと不可分であることを教えているみたいである。やがて、和音の柱だけでできていたような変奏に、チェロが奇妙なトレモロを刻むようになり、旋律も凍りついたような姿勢から徐々にやわらかく動きをましてくる。この部分の与える感動については、何といったらよいだろう...
残念ながら、私たちの言語には、こういう音楽の動いている霊妙な領域について書きしるす能力が与えられていない。」

これは、ベートーヴェン「弦楽四重奏曲嬰ハ短調 作品131」の第三楽章についての記述。丸谷才一が、この音楽評論家を称賛したのも頷ける。

言葉にできない音楽があれば、音楽にできない言葉がある。双方とも補完しあうかのように、魂を表象する記号として君臨することに変わりはない。心に響く周波数は人それぞれ。自分にとっての最高の芸術を、世間の評判や専門家の見識などで決められるものではない。
とはいえ、不朽の名作というものは確実に存在する。それは、人間の普遍性なるものを体現しているからに違いない。はたして、多様性と普遍性はどちらが真理であろうか。おそらく、どちらも真理なのであろう。真理は一つとは限るまい。音楽に何を求めるか?音楽にどこまで求めてよいものか?芸術家は愚痴るだろう... 私にそこまで求められても... と。天才芸術家は自分で創造し、自己完結できるが、凡庸な鑑賞者の感性は贅沢になるだけで、自慰行為もままならない。そして、永遠に受難曲に縋るという寸法よ。なんと無情な...

専門家でも、ありきたりではあるが、やはりバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの三巨匠は外せないと見える。バッハの「マタイ受難曲」を西洋音楽で一番偉大だといい、ベートーヴェンの大フーガを桁外れの巨大な存在だといい、モーツァルトには、こんな賛辞を贈る。
「クラリネット協奏曲の両端楽章は、ほとんどモーツァルト自身をさえ越えている。ただ、こういう音楽を書いたものが、ほかにいないので、私たちはその作者をモーツァルトと呼ぶほかないのだといっても、さしつかえないだろう。」
そして、ヴァグナーを抜きにして「私の好きな曲」は完成しないと熱く語る。ヴァグナーはバッハに劣らず、自分の仕事を完全に支配する絶対的な至上権のような存在、Souveraineté... であると。
ややオーストリア = ドイツ色が強い気もするが、本書の題名からして思いっきり主観で語ることを宣言しているようなもので、それが個性というものだろう。
ただ、バッハとモーツァルトだけで、もう満腹!作曲家を選出するだけでも大変だというのに、一人の音楽家からどの曲を選ぶかは更に難しい。例えば、ベートーヴェンの九つの交響曲だけでも、エロイカ、運命、田園、第九とすぐに思い浮かぶ。本書は、第九を挙げながら、ベートーヴェン交響曲の偉大さを語るという形をとっているが、個人的には第七番を推したい。ドヴォルジャークについて言えば、「第八番」を挙げているが、これは同感である。個人的には第九番「新世界より」も捨てがたいが、あまりにも好きな曲というものは少々聴き飽きた感がある。ただ子供の頃、初めてレコード屋で買ってもらった曲がこれで、深い思い入れもある。幼児期体験とは恐ろしいもので、第四楽章で鳥肌が立つあの感触は、いまだに残っている。
奇妙な事に好きな曲ってやつは、一旦コレクションしてしまうと、いつでも聴けるという安心感から、聴く機会が減るところがある。それは音楽に限らず、映画でも書籍でも同じ。コレクションとは、ある種の贅沢病か...

ところで、単に「好きな曲」というのと「好きな曲について書く」というのとでは、少々違うようである。文章にするからには論理的に記述することになり、好きな理由も求められる。そして、自己形成において影響を与えた領域にまで踏み込むことになり、「好きな」という定義もなかなか手強い。
例えば、好きな曲に属さないものの... と断りながら、ラヴェルのバイオリン・ソナタを紹介してくれる。とげとげしながら、不快な快感のようなものを与えると。
同じような観点から、個人的にはシューベルトの「エルケーニヒ(魔王)」を挙げたい。ついでに、未完成交響曲とザ・グレートも。シューベルトは31歳の若さで死んだ。それ故に、人生の未完成を強烈に印象づける。経験を積むことで自由と純粋さを忘却の彼方にほっぽり出すなら、なにも長生きをしてまで悟る必要もあるまい... と言わんばかりに。
また、BGM でよく用いる曲は、圧倒的にモーツァルトで、次にショパンといったところだろうか。チャイコフスキーも外せない。BGMってやつは適度に集中力を促す存在なので、絶妙な脇役を演じてもらいたい。仕事中に音楽に神経が傾いては本末転倒。ただし、酒の BGM となると別で、どちらが脇役やら?人生の BGM で魔王に憑かれても、焼酎「魔王」をやれば相殺できるという寸法よ。
酔いどれ天の邪鬼は、ファウスト的な物語に憑かれやすい。熱病的な悲愴や狂信的な荘厳に。長調系よりも短調系を好むのは、心の底まで凍りつくような感動を渇望しているのか、それとも、退屈病に蝕まれているのかは知らん。おいらの背景耳には、ピアノの周波数がよく合う。それも協奏曲に。オーケストラとの掛け合いの中で互いの素材を融合させながら、ピアノの詩人は即興的な論理展開をもって、気まぐれを爆発させる。聴衆の方はというと、休止している間も息を殺して、独奏者の狂人ぶりを待ちわびる。そう、カデンツァだ!協奏曲とは、ある種の狂葬曲を意味するのかもしれん...

尚、本書には、26曲が紹介される。
・ベートーヴェン「弦楽四重奏曲嬰ハ短調作品131」
・ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ ハ短調作品111」
・モーツァルト「クラリネット協奏曲 K.622」
・シューベルト「ハ長調交響曲D.944」
・ストラヴィンスキー「春の祭典」
・ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」
・ドビュッシー「前奏曲集」
・ヤナーチェク「利口な女狐の物語」
・R. シュトラウス「ばらの騎士」
・ブルックナー「第九交響曲」
・J. S. バッハ「ロ短調ミサ曲」
・ハイドン「弦楽四重奏曲 作品64の5」
・D.スカルラッティ「ソナタ」群
・シューマン「はじめての緑」
・ヴェーベルン「弦楽四重奏のための五つの楽章作品5」
・フォレ「ピアノと弦のための五重奏曲第二番」
・ドヴォルジャーク「交響曲第八番」
・ショパン「マズルカ作品59」
・ヴァーグナー「ジークフリート牧歌」
・バルトーク「夜の音楽」
・ヴォルフ「アナクレオンの墓」
・ベートーヴェン「第九交響曲」
・ベートーヴェン「弦楽四重奏曲 作品59の1」
・モーツァルト「ピアノ協奏曲変ホ長調 K.271」
・ラヴェル「ヴァイオリン・ソナタ」
・ベルク「ヴァイオリン協奏曲」