2012-12-30

"アンティキテラ古代ギリシアのコンピュータ" Jo Marchant 著

1901年、マレア岬からクレタ島の間に位置するアンティキテラ島沖の沈没船から、奇妙な機械の破片が引き揚げられたそうな。調査が進むにつれ、少なくとも30個の歯車を組み込む洗練された技術の凝縮であることが見えてくる。沈没船の方はというと、地中海でローマ支配が強まる紀元前1世紀頃、戦利品を運ぶ途中に沈んだと推定されるという。そうなると、歴史の矛盾にぶつかる。なにしろ、ルネサンス期の天文時計まで待たないと出現しないような代物なのだから。千年もの歴史の空白の謎は21世紀になった今、ようやく正体を見せつつある。
ところで、古代技術に信じらないほどの水準を魅せつけられると、必ず登場するのが異星人の仕業とする説である。アンティキテラの機械もその例に漏れない。しかし、太陽暦や太陰暦は地球の住人にしか意味をなさないはず。異星人がしばらく地球に滞在する必要があって、そのためにこしらえたというのか?そうかもしれん。あるいは、歴史の空白があまりにも長ければ、古代人はもはや異星人のような存在と言っていいのかもしれん。そして、現代人が新発明と騒いでいるあらゆる技術は、古代人から学んでいることに気づかず、踊らされているだけのことかもしれん。

「神よ、時を知る方法を最初に見つけた人間を呪いたまえ!この地上に日時計をもたらし、わが日々を無残に細かく切り刻んだ者をも呪いたまえ!」...マッキウス・プラウトゥス

人類は、時を刻む方法を天文に求めてきた。ヘシオドスの著書「仕事と日」には、農夫たちが星座を眺めて作業の拠り所にしたことが記される。年周期は黄道十二宮をもとに12等分され、やがて太陽や月の軌道周期が基準とされる。間接的には、潮の満ち干きやナイル川の氾濫などに現われる周期性がこれに従う。時間についての知識はこれほど古いにもかかわらず、機械仕掛けの時計が登場したのは、ずっと後の中世ヨーロッパとされる。そして、周期的な機械構造は、歯車を要としてきた。
では、歯車の物理的、数学的な意味とは何か?差動歯車は、二つの歯車の回転数の差ないし和に相当する速度で回転する。二つの入力歯車が同じ方向に回転すれば足し算となり、逆方向に回転すれば引き算となる。差動歯車の発明によって、手で紡ぐよりも上質な綿糸がより速く安価に大量生産され、自動車の動力伝達装置にデファレンシャルギアが用いられてきた。エニグマ暗号機は、複数のローター連結で構成される。つまり、歯車式の機械構造は、演算器、角速度変換、あるいはエネルギー変換として機能させることができる。そして、蒸気機関や製粉機や機織り機の道を開き、産業革命の引き金となった。
そこにある最も基本的な抽象概念は、周期性である。時を刻む方法は、振り子時計、水晶振動子を用いたクォーツ、電磁波の周波数スペクトルを用いた原子時計へと進化させてきた。今日のデジタル機器も、振動子や発振器がなければ駆動できない。何かを数えるという単純な作業でさえ、ある自然数を底にした記数法が用いられるが、これも一種の巡回群である。
人間ってやつは、時を過ごすにしても、数を数えるにしても、周期性を好み、それを等分に刻まずにはいられない。生理的には心臓の鼓動に現われる不整脈を嫌い、心理的には無理やりにでも規則を設けて時間厳守という日々の義務を課す。何の意味があって周期性とやらに縋るのか?確かに、電磁波は無限の安定直進性を示す。周期性に囚われると不老不死に近づけるとでもいうのか?あるいはニーチェの言う永劫回帰を求めているのか?ただ、赤い顔をした鏡の向こうの住人は、行付けの店でいつものお姉さんを前にしながら、チェンジ!チェンジ!...と小声で繰り返している。おいらには、この専門用語の意味が分からない。

1. どこで作られ、どこへ運ばれていたのか?
アンティキテラの機械を載せた船は、紀元前70年から紀元前60年頃にローマを目指して小アジアのペルガモンを出航し、おそらくアレクサンドリアに寄港し、確実にロードス島に立ち寄ったと見られているそうな。ヘレニズム時代、アレキサンダー大王の東方遠征にともない、ギリシア文明はアレクサンドリアやアンティオキアといった東の都市で融合し開花した。一方で、後にローマの支配下となるギリシア本土では、知識が停滞したと考えられているという。
紀元前86年、ローマの将軍コルネリウス・スッラがアテネを侵略した。スッラにも増して強欲だったのがポンペイウスで、紀元前61年に凱旋パレードを行い、戦利品を港に運んだ船は700隻、行進に2日もかかったという。ポンペイウスがローマに帰還した頃、ユリウス・カエサルが台頭しつつあった。こうした背景から、アンティキテラの機械はローマの戦利品だったと推測している。
ローマに対して友好的に振る舞った都市の一つにロードス島があり、ギリシアの学者がさほど妨害されずに仕事ができたという。ロードス島には、古代最高の天文学者に数えられるヒッパルコスとポセイドニオスがいる。アレクサンドリアには、機械仕掛けの名人、ヘロンの公式で知られるヘロンがいる。さらに、キケロは、アルキメデスが天体を表す道具を作ったと伝えている。アンティキテラの機械に記される月名を調べると、その呼び名を使っていた都市が見つかっているという。それはロードス島のものではなく、都市国家コリントスの植民地で使われていたと。コリントスの本土でどのような暦が使われていたかは不明だが、ギリシア西北部のイリュリア、エペイロス、コルフ島、そして、もう一つ重要な植民地にアルキメデスの住むシチリア島のシラクサがある。コリントスとエペイロスは紀元前2世紀のローマの侵攻によって壊滅状態になっていたが、シラクサは紀元前212年ローマの将軍マルケッルスに征服された後、紀元前1世紀になってもなおギリシア語を使い、かなり繁栄していたという。重税を課せられるものの友好的に振る舞ったとか。作られたのがシラクサかロードス島か、あるいはその双方かは知らんが、本書はシラクサ説を推している。技術そのものは、イスラム世界で受け継がれ、水や水銀で動く時計について書き残され、アルキメデスの時計と記されるものもあるとか。とはいえ疑問は残る。なぜ2号機、3号機が作られなかったのか?

2. 歯車の起源とアストロラーベ
歯車に関する最古の文献は、紀元前330年頃のアリストテレスの論文だと言われているそうな。噛み合う2つの車が反対方向に回転しながら、互いに押し合う仕組みについて。ただ、歯に関する記述はないらしい。アリストテレスはアレキサンダー大王の家庭教師であり、東方遠征によってバビロニア数学の影響を受けたことが推測できる。
道具として実践した最初のギリシア人は、紀元前3世紀の発明家クテシビオスとアルキメデスだという。クテシビオスは、アレクサンドリア博物館の初代館長とも言われる。彼自身は記述を残していないが、後のローマの建築家ヴィトルヴィウスによると水時計を作ったと記されるそうな。あのネジが無限に回転する仕掛け、アルキメデスのスクリューは有名だ。アルキメデスがクテシビオスの元で仕事をしていたのは、ほぼ間違いないという。ヘロンも、大きさの違う二つの歯車によって仕事量を変換できるアルキメデスの原則について記しているという。彼もまたクテシビオスの弟子だそうな。ヘロンが図解つきで説明するバルールコスは、順番が大きくなっていく歯車を連動させて、小さい力で重い物が持ち上げられる機械だという。ただ、これが実現できるほどの強靭な歯車は、当時作れなかっただろうとする学者も少なくない。ヘロンの機械に、ディオプトラという照準儀もある。
また、古くから「星をとらえる物」という意味の道具「アストロラーベ」がある。一つの円盤がもう一つの円盤の上で回転する仕組みで、地球から見える天空が二次元に表される。アストロラーベに関する最古の文献は6世紀のものだという。実物は9世紀以降のものしか残っていないとか。ただ、2世紀、プトレマイオスがアストロラーベらしき物を作るための数学を記述し、その道具で観測結果を残しているという。一方で、アストロラーベの発明者は紀元前2世紀のヒッパルコスとも言われる。プトレマイオスの著書「アルマゲスト」には、ヒッパルコスの天体観測の結果や理論が数多く引用されるという。

3. 黄道十二宮とメトン周期... デレク・デ・ソーラ・プライスの研究成果
天文時計の誕生は、中国では11世紀頃、ヨーロッパでは13世紀頃と言われる。だが、イギリスの野心的な学者プライスは、時計誕生の定説を覆したという。
アンティキテラの機械の文字盤の縁には二重円で目盛が刻まれる。内側の目盛は12等分され、更に30に刻まれ、合計360。縁には十二の星座が時計回りで並び、黄道十二宮を刻みながら天空を駆ける太陽の年周期を示しているのだとか。外側の目盛は365に刻まれる。一月を30日とし12ヶ月に分かれていて、そこに微調整のごとく5日追加され一年が365日になる構成。古代ギリシア・エジプト暦には閏年がなく一年が365日で一定だそうな。ヘレニズム期に愛用されたという。だが、実際は短めで不便なので、使い手が外側の円盤を回して、4年に一度調整したのだろうと推測している。
さらに、X線撮影によって8層もの未知の歯車が浮かび上がる。歯の並びは不規則だったり、中心点がばらばらだったり。箱の外のハンドルを回すと、冠歯車が回転して他の歯車の動力源になっていることで、これを「動力歯車」と名付けている。動力歯車の表側には黄道十二宮が刻まれ、裏側には月の運行とメトン周期が刻まれているという。太陽の位置から月の位置を算出するのは、すぐに運行時間が同期しなくなるので簡単ではない。月が地球を回る周期は恒星月と呼ばれ、約27.3日。満月から満月までの周期は朔望月と呼ばれ、約29.5日。古代ギリシア人は、19年に一度、月と太陽がまったく同じ位置になることを知っていたという。19年は朔望月で約235ヶ月、この間に月は空を254回めぐる。これが、メトン周期。紀元前433年、メトンはこの現象を理解した最初のギリシア人だが、彼がバビロニア人から知識を得たことはほぼ確実だという。メトン周期で一年は、254/19 恒星月。6つの歯車の歯数は、順に65(64か66の可能性あり)、38、48、24、128、32 あるという。その回転比率を数式で表すと、かなり誤差がある。

  65/38 x 48/24 x 128/32 = 260/19

無理やり1枚目を64、5枚目を127とすると、こうなるけど。

  64/38 x 48/24 x 127/32 = 254/19

月の位相、すなわち満ち欠けの計算は基本的に朔望月と同じで、満月を基準にするか新月を基準にするかの違いはあるにせよ、235 と 254 の差を埋める差動歯車として機能したと推測している。これで太陽と月の運行を同期できるというわけか。

4. プラネタリウムとカリポス周期... マイケル・ライトの研究成果
ロンドンの科学博物館で工学を担当するライトの研究室に、オーストラリアのコンピュータ科学者アラン・ジョージ・ブロムリーが訪れたという。ブロムリーは、コンピュータの祖父と言われるチャールズ・バベッジの生誕二百周年にあたる1991年に1台制作してみようと持ちかける。いわゆる、階差機関と呼ばれるやつだ。そして、アンティキテラの機械で意気投合し、二人の共同研究が始まる。結局、ブロムリーは研究成果を一人で発表したために、ライトと険悪になるのだけど...
さて、X線撮影が最初からやり直され、映像の質もかなり改善され、プライスが見落としていた歯車が発見される。そして、プライスが差動歯車としていたものには入力が一つしかなく、差動ではなく惑星の運行を示すものと考えたという。かつては沢山の歯車があって、1個の土台となる太陽の円盤の上を惑星の歯車が回る、ある種のプラネタリウムというわけだ。内惑星と外惑星は、速度を変えたり、停止したり、蛇行したりと、規則正しい軌道にはならない。そのため、惑星の語源であるギリシア語のプラネテスには、「さすらい人」や「放浪者」という意味があるそうな。そこで、ターンテーブル上で再現する各惑星の運行は、遊星歯車で構成される。
地球中心の宇宙観が全盛の時代、天動説にもいろいろあるが、二つの体系に大別できる。一つは、エウドクソスの同心天球モデルで、アリストテレスの哲学体系に組み込まれる。もう一つは、アポロニウスの周転円モデルで、それを進化させたプトレマイオスの体系がある。時代的には、アポロニウスの周転円と重なる。周転円 = 遊星歯車というわけか。
また、機械の裏側に螺旋の文字盤を発見したという。同心の多重円ではなく一つの螺旋を描いていて、5回まわりきると235になるように目盛が付いている。メトン周期の朔望月だ。この文字盤のすぐ脇についている小さな歯車は、4つに区切られているという。古代ギリシア人は、メトン周期の他にカリポス周期という暦も使っていたそうな。カリポス周期は、4メトン周期(19年 x 4 = 76年)に相当する。となると、エジプトの太陽暦を、何種類もの太陰暦に置き換えることができる機械ということか。
しかし、歯車の歯数を書きだしてみても、遊星歯車が何を計算しようとしたものかが分からない。ターンテーブルには、他の歯車と噛み合わない223の歯がついているという奇妙な点があるという。さらに、二つの歯車の中心がわずかにずれていて、ピンが穴の中を上下して中心に近づいたり離れたりする仕掛けがあるという。この時代に楕円軌道という概念があったのか?ヒッパルコスは、太陽と月の軌道を説明する方程式で、ゆらぎの考えを取り入れていたという。その研究成果では、裏側下部の文字盤が交点月(約27.2日)の4ヶ月を表し、半日単位で218の目盛が刻まれているとしている。交点月とは、地球から見た太陽の軌道と月の軌道が交わった時から、次に同じ交点に戻るまでを1ヶ月と数える暦である。
なるほど、日食を予測するのに便利か。ただ、半日単位で刻まれる意図が分からない。そして、破片やX線写真から歯数を読み取るだけでも大変だというのに、せっかく223と読み取りながら218としたのは、結果的に強引だったことになる。

5. サロス周期とエクセリグモス周期... トニー・フリース率いる最強の布陣
映画製作者フリースは、名だたる研究者、CT撮影、最新のCG技術ともタッグを組んでいたという。カーディフ大学の天文学者マイク・エドマンズに、アテネ国立考古学博物館とテサロニキ大学が祖国の遺産のために協力。カリフォルニアの優秀なCGクリエーターは、ヒューレット・パッカード研究所。X-テク社のCT技術は鮮明なX線画像を見せる。機械の裏側に操作説明らしき長いリストがあることは以前から分かっていたが、その二万語近くあるものから二千語の文字が解読される。
さて、ライトの結論で、半日単位で218の目盛というのはいささか不自然。正確に読み取ると、やはり223だったという。食を予測する時の周期にサロス周期がある。1サロス周期は約18年、すなわち223朔望月。月の通る道(白道)は太陽の通る道(黄道)に対して約5度傾いているため、食は白道が黄道と交差する新月か満月の時に起こる。食の周期は、朔望月(約29.53日)の周期と、交点月(約27.21日)の周期の最小公倍数で一巡する。その周期は、朔望月で223ヶ月、交点月で242ヶ月に相当する。
他にも、サロス周期の利点があるという。月の軌道は楕円で、月の大きさと速度は一定には見えない。近地点(約27.5日)は一周ごとに約3度動き、約9年で地球を一周する。1サロス周期は、239近点月に相当する。ピンが穴を上下する仕掛けは、月の楕円軌道を表しているというわけか。ただ、サロス周期には問題がある。1周期の日数が整数にならず、6585 + 1/3日になってしまう。日食の見える場所が、西へ120度(360度 x 1/3)ずつずれる。そこで、古代ギリシア人は3サロス周期、すなわち54年を1周期とすることを考えたという。これを、ギリシア語で回転を意味するエクセリグモス周期と呼ぶそうな。669朔望月に相当。
ライトの218の歯数を持つ歯車の謎に対して、フリースは歯数を223とし、そのすぐ脇に別の歯車を据えて一気に解決した。孤独に戦うライトはフリース率いる最強の布陣によって負かされたことになり、ライトとフリースはいがみ合う。いくら争ったところで、最大の功労者が古代ギリシア人であることに変わりはないのだけど。古代人の知識を奪い合うことが現代人の姿だとすれば、人類は進化しているのだろうか?

2012-12-23

"マーミン 量子コンピュータ科学の基礎" N. David Mermin 著

量子コンピュータといえば、ハードウェアの実現性の難しさを想像してしまう。だが、本書はハードウェアの書ではない。まず、物理的に実現できることを前提とし、可能となる数々の事実を数学的に明らかにしたソフトウェアの書であることが宣言される。実現性の制約から思考を解放すれば、哲学的に新たな発見があるかもしれないし、古典コンピュータの本質を見直す機会にもなろう。この書には、そうした思惑が隠されているのかもしれない。
マーミンは、2000年から2006年にかけて6回、コーネル大学で量子計算に関する講義を行ったという。本書は、その講義ノートを進化させたものだそうな。とはいえ、物理的構造を想像せずにはいられない。実現不可能なものをいくら理論武装しても、技術屋にしてみればやはり興味を欠く。おまけに、本書には物理的構造を巧みに匂わせているところがある。尚、断っておくが、この記事はハードウェア構造をいい加減に想像しながら書いているので、注意されたし!

読者に求められる前提は、複素数体上の有限次元線形空間(複素ベクトル空間)に精通していることだという。こんな宣言をされると、数学の落ちこぼれには辛いが、あまり心配はいらない。付録には、ベクトル空間の性質とディラックの表記法などが解説される。基本となる演算系は、アダマール変換とユニタリ変換であって、それに cNOT演算子、NOT演算子、スワップ演算子、Z演算子、射影演算子を作用させるぐらいなもの。古典的なビット演算子で言えば、AND、OR、NOT、NAND、XORのような位置づけといったところか。古典コンピュータでは、NANDゲートだけですべての演算を実装できるが、量子コンピュータでは、ユニタリゲートとcNOTゲートがあれば最も単純な量子ゲートが構成できそうだ。
ただ、従来の論理回路では、FF(フリップフロップ)素子が重要な役割を果たす。すなわち、一時的に状態を保持できる仕掛けがなければ、多段演算を形成することができない。というより、FFには初期状態を与えるという重要な役割を同時に持っており、これがなければ回路検証はほぼ不可能である。量子コンピュータにおいて、その役割を担うのが量子レジスタということになろうか。だが、量子ビットが重ね合わせ状態として存在すれば、測定不可能となるから頭が痛い。
また、なんといっても数学的に最も重要な概念は、正規直交系である。これに演算子を合わせて眺めれば、対称性に射影的な幾何学操作でほとんど事足りることが見えてくる。複素空間で言えば、複素共役の性質、すなわちエルミート行列を検討することになる。そして、量子力学の角運動量との絡みをイメージさせてくれる。
さらに、量子の重ね合わせ状態を一気に平面空間に展開される様は、いかに行列式が並列演算と相性がいいかを味あわせてくれる。そして、数式を眺めているうちに、Σ や Π といった演算記号が量子の重ね合わせに見えてくる。
なるほど、線形代数学の参考書としてもなかなかだ。とはいえ、量子コンピュータはやはり手強い!

さて、量子コンピュータとは何か?それは、量子の重ね合わせ状態をとる量子ビットを利用することで、超並列演算を可能にするアイデアとでも言っておこうか。だが、量子の振る舞いは尋常ではない。量子状態に観測系が関与すると、たちまちデコヒーレンスに陥り状態自体を破壊してしまう。おまけに、複製不可能定理がつきまとい、光子の偏光状態を複製することすらできない。量子状態が測定不可能となれば、それを実現する量子ゲートを、どうやって検証できるというのか?測定という概念そのものを考え直す必要がありそうだ。不確定性原理とは、自己矛盾の法則であったか。
だからといって、そんなに悲観することもないのかもしれない。現在、ほとんどの機器が電子制御されるが、その根幹にあるトランジスタが電子の流れを完璧に制御できているわけではない。あるエネルギー準位において統計的に多数決の原理が確実に働けば、ON/OFFスィッチとして作用できるというだけのこと。しかも、半導体の歩留まりは、通常の製造ラインの感覚からすると信じられないほど低い。歩留まり60%なんて当たり前だが、自動車の製造ラインで40%が欠陥車となれば大騒ぎになるだろう。自動車のブレーキシステムが半導体制御となれば、こんなものに命を預けている。おまけに、集積設計の自動化が進めば、技術者はトランジスタが何であるかなど漠然としか知らなくていい。したがって、本書が量子力学の知識において極度にソフトウェアに重点を絞ってくれるのは、理に適っているのかもしれない。
その感覚は、実現性では一歩先を行く量子暗号技術に垣間見ることができる。量子暗号では、光子の直線偏光を利用して符号化される。垂直偏光、水平偏光、あるいは対角に±45度の偏光を量子状態に対応させるといった具合に。4つの偏光状態を識別できるだけでも、量子ビットの多様性、いや多次元性と言った方がいいかもしれないが、はるかに従来のビット構造の情報量を凌ぐ。本書は、最低限の回路構造であっても、強力な暗号システムが構築できることを教えてくれる。実験レベルでも、かなりの成果を上げているらしい。量子暗号が実用化されれば、RSA暗号をはじめ従来の暗号システムはことごとく危険に曝されるだろう。素因数分解が簡単に解けるとなれば、素数の正体までも明らかになるのだろうか?素数分布と深く関わるとされるリーマン予想までも?さらに、真のランダム性の正体までも?そして、計算の概念までも変革されるのかもしれん。量子暗号技術だけが実用化され、量子コンピュータが実用化されないとなると、それは幸か不幸かは知らんが...

1. ディラックの表記法と基本的な思考
本書は、古典的なビットをCビット(Classical)と呼び、量子ビットをQビット(Quantum)と呼んでいる。ちなみに、qubit という用語が幅を利かせているそうだが、著者はこの呼名を嫌っている。
ポール・ディラックは、ベクトルをケット(ket)と呼び、ボックス "| >" で表記した。ベクトル表記するものなら、なんでもボックスに入れられるという。
例えば、|5cm 北西に水平な方向> などと書いてもいいと。
数学のベクトル表記では、記号の頭に矢印を書き、記号の添字が次元的な意味を持つ。物理学では次元的な意味が重要であり、φ7798 と書くよりも、|7798> と書く方が合理的というわけか。数学者の中には、こうした記法をよく思わない人も少なくない。おいらも毛嫌いしてきたが、本書のお陰で抵抗感が薄れた。垂直棒と折れ線で囲むのが、三次元の物理空間をイメージさせるんだとか、んー?そうは見えんが...
また、元の空間ベクトルをケットベクトルと呼び、双対空間のベクトルをブラベクトルと呼んで区別している。<φ|ψ> と表記すれば、左半分がブラベクトルで右半分がケットベクトル。要するに内積を表している。
さて、重ね合わせの状態を持つQビットの最も単純な形は、Cビットの二つの直交関係として列ベクトルで表される。

  |0> = [1; 0], |1> = [0; 1]

尚、octave風に行列を [ ]、行の区切りを ; を用いて表記している。
2次元空間の2つの直交ベクトル |0> と |1> を4次元に拡張すると、

  |00>, |01>, |10>, |11>

ベクトル同士のテンソル積として、より厳密に記述すると、

  |0> ⊗ |0>, |0> ⊗ |1>, |1> ⊗ |0>, |1> ⊗ |1>

基本的な思考は、2-Qビットエンタングル状態(量子のもつれ)に見ることができる。アダマール(Hadamard)を作用してから、cNOTを作用するといった具合に。

  |ψ00> = (1/√2)(|00> + |11>) = C10H1|00>

一般化すると、

  |ψxy> = C10H1|xy>

4つの状態 |xy> は正規直交系で、アダマールとcNOTはユニタリ。4つのエンタングル状態 |ψxy> も正規直交系。これを、ベル基底と呼ぶそうな。量子の重ね合わせ状態には、とりあえずアダマールを施してから考えようといったところか。

2. 測定ゲートとボルンの規則
量子の重ね合わせ状態を測定しようとすれば、状態そのものを破壊してしまう。おまけに、ユニタリ変換などとは違い、測定ゲートの作用を元に戻すことができない。測定の不可逆性に対して観測者ができることと言えば、確率を決定するぐらいであろうか。量子状態から情報を抽出する規則は、マックス・ボルンによって述べられたという。
n-Qビット状態 |Ψ> を 2n 個の基底状態で展開した場合、

   |Ψ>n = Σ αx|x>n , (0 ≦ x < 2n)

この状態において、全Qビットの測定から得られる 0 と 1 の列が x となる確率 p(x) が与えられる。

  p(x) = |αx|2

この式によると、振幅の持つ役割は特定の出力に対して確率を決定することになる。
「量子計算の芸術的な能力は、巧みに構成されるユニタリー変換を通じて、ほとんどの振幅 αx をゼロまたはきわめてゼロに近くすることで、有用な情報をもつどれかの x が測定で表示されるように十分大きな確率をもつような重ね合わせ状態にすることにある。」
確率を 0 か 1 に十分に偏らせる仕掛けこそが、量子コンピュータの実現の鍵というわけか。
ところで、一般的な計算過程では、入力値 x に対して、出力値 f(x) を計算することになる。古典的な計算では、その精度は 2k で規定される。対して、量子コンピュータでは、k個のQビットに対応する計算基底状態で表現されるという。そして、nビットの値 x と、mビットの値 f(x) を扱うために、入出力の双方でレジスタを装備する必要があるという。その理由は、逆変換できるように考慮されている。実は、n + m よりも多くのQビットレジスタを必要とするのだけど。
さて、アダマール変換は、Qビット状態のどちらが標的になるかを交代する効果があるという。そして、初期状態 |0>n にある入力レジスタの全Qビットにアダマール変換を作用させるだけで、関数 f(x) の 2n 個の評価ができるという。このような巨大スケールで瞬時に保存できるのは、量子並列性によって実現されるというわけだが、いきなりそう言われても狐につままれた気分になる。まぁ、物理構造には目をつぶるという前提だから...

3. トフォリゲート
Qビットゲートは、ユニタリ変換のみが、物理的に実現可能な制約であるという。とはいえ、現状では、1-Qビットや2-Qビットでも難しく、3-Qビットともなると、その実現は絶望的なようだ。
可逆演算のできる古典的な論理ゲートの最小構成は、3-Cビットゲートである。要するに、3入出力回路。演算するからには2入力は必要だし、桁上りにも対処したりと、そうした万能性を踏まえて可逆性を考慮すれば、最低限の論理ゲートはそんな構成になるだろう。量子計算で、これに対応する一例として、トフォリゲートというものを紹介してくれる。これは、制御-制御 NOTゲート(ccNOTゲート)とも言われる。なんと、トフォリゲートのQビットへの線形拡張は、2-QビットcNOT ゲートと、1-Qビットのユニタリゲートの組み合わせで構成できるという。

  T|x>|y>|z> = |x>|y>|z ⊕ xy>

4. ショアの周期発見アルゴリズム
周期関数 f(x) = ax (mod N) の周期を高速に計算する方法は、RSA暗号の解読を可能にする。ただし、N = pq で、p, q は十分大きな素数で構成される。この関数は、s が周期の倍数の時のみ、 f(x + s) = f(x) が成り立つという単純な性質がある。ただ、データ群が正弦波や余弦波のような連続関数であれば、周期性を見出すことはそれほど難しくない。実際、フーリエ変換が連続性に対して強力な道具となる。だが、暗号で扱うデータ列は極めてランダム的な離散群であり、ここから周期性を見出そうとすれば、半端なサンプル数では済まない。そして、ランダムに与えられる x に対して、f(x)を計算しながら、再び f(x) に等しくなるまで評価を続けるというようなことを繰り返す羽目になる。しかも、ビット数 n が増えれば指数関数的に演算量が増大する。
ところが、1994年、ピーター・ショアは、量子計算を用いると n3 よりもほんの少しだけ増大する時間で周期が求まることを発見したという。周期を求めるアルゴリズム自体は古くからある。そぅ、フェルマーの小定理から起因する問題として知られるやつだ。
それは、xr を N で割った時、余りが 1 となる最小値 r を求めるという考え方である。

  xr ≡ 1 (mod N), (x < N)

x を適当に決めながら、r が偶数であれば、因数分解できるのは明らか。

  xr - 1 = (xr/2 + 1)(xr/2 - 1)

よって、xr/2 ± 1 と N の最大公約数は、ユークリッド互除法で求まる。ユークリッド互除法自体は単純で、大きい方を小さい方の数で割り、余りでさっきの除数を割るという繰り返し。余りがゼロになった時点で終わる。
しかし、r を高速に求める方法が見つかっていなかった。フーリエ変換ではかなり手間がかかり、FFTでも n ビットに対して、だいたい 2n 回の演算が必要である。ヘタすると、しらみ潰しに余りが 1 になる r を求める方が早い。

さて、ショアのアルゴリズムの核心部分はここから...
両辺に xm を掛けて拡張すると、

  xrxm = xr + m =  ≡ xm (mod N)

これは、x の累乗を N で割った余りにおいて周期性が現われることを示している。除算の余りとは、除数に対する巡回演算でもあるのだから当たり前だけど。
ショアのアルゴリズムとは、多重周期性を確率的に多項式によって一気に計算してしまおうという考え方のようだ。その中核には超高速な量子フーリエ変換が関与する。それは、単純に全Qビットに対してアダマールを作用させるだけ。

  UFT |x>n = (1/2n/2)Σexp(2πixy/2n) |y>n , (0 ≦ y ≦ 2n - 1)

まず驚かされるのは、ユニタリ変換で定義されることである。ちょっと考えれば、驚くほどでもないけど。言うまでもないが、フーリエ変換が三角関数を基底にするのに対して、アダマール変換は矩形波を基底にする。なるほど、位相 exp(πi/2n) を多段シフトするようなゲート回路を考えればよさそうだ。量子計算は、周期性を多重化するような演算には、とびっきり強いということは言えそうか。とはいえ、振幅の確率分布でしかない。まぁ、奇妙な量子の振る舞いを振幅の確率分布で示せるというだけでも感動ものか。しかも、アダマールとユニタリだけで。
また、量子フーリエ変換は、n重アダマール変換と類似しているという。参考までに、n重アダマール変換も記しておく。

  H ⊗ n |x>n = (1/2n/2)Σexp(πix・y/2n) |y>n , (0 ≦ y ≦ 2n - 1)
  ただし、H ⊗ n = H ⊗ ... ⊗ H (n回)

原理的な違いは、n重アダマール変換でビットごとのx・y の内積の部分が、量子フーリエ変換では xy の通常の積になっている。

5. グローバーの探索アルゴリズム
データ検索に思いっきり時間がかかるのは古くからある問題で、ヘタすると比較一致処理を全データに施すことになる。
ところが、量子コンピュータでは (π/4)√n 回程度で、1 に非常に近い確率で検索できるという。ランダム検索よりも因子 1/√N だけ効率よく探索できるというのがミソ。そのアルゴリズムは、ロブ・グローバーによって発見されたという。
さて、n ビット整数 x が、目的の a かどうかを伝える量子探索サブルーチンが利用できると仮定すると、その値は f(x) で与えられる。

  f(x) = 0, (x ≠ a); f(x) = 1, (x = a)

そして、1-Qビット出力レジスタに作用するユニタリ変換 Uf を利用するという。

  Uf(|x>n |y>1) = |x>n |y ⊕ f(x)>1

まず、Uf を適用する前に、1-Qビット出力レジスタにアダマールを作用させておく。

  H|1> = (1/√2)(|0> - |1>)

Uf の作用は、x = a の時だけ、-1 を掛けることになる。

  Uf(|x> ⊗ H|1>) = (-1)f(x) |x> ⊗ H|1>

すると、n-Qビット入力レジスタ上の計算基底状態の作用が、次のユニタリ変換 V の作用と同じ効果を得るという。

  V|x> = (-1)f(x) |x> = { |x> (x ≠ a の時) , -|a> (x = a の時) }

まず動作に入る前に、n-Qビットの初期状態を、起こりうる全状態の一様な重ね合わせとしておく。

  |φ> =  H ⊗ n |0>n = (1/2n/2)Σ|x>n , (0 ≦ x ≦ 2n - 1)

さらに、ユニタリ変換 W を加えて、V と W を次のように与えている。

  V = 1 - 2|a><a|
  W = 2|φ><φ| - 1

尚、|a><a| と |φ><φ| は射影演算子。
ここまでは非常に複雑なプロセスである。ところが、ユニタリ変換 V と W を仮定した途端に思いっきり単純になるから、これまた狐につままれた気分になる。初期状態 |φ> にある入力レジスタに、積 WV を何度も適用させるだけという仕掛けに変貌するのだから。V と W は一見関係ないようにも見えるが、|a> と |φ> がほとんど直交していることがミソのようだ。そのなす角度をγとすると、

  cos γ = <a|φ> = 2-n/2 = 1/√N

さらに、|φ> と θ = 2π - γ をなすような、|φ> と |a> の実線形結合による規格化されたベクトル |a⊥> を用いると便利だという。

  sin θ = cos γ = 2-n/2 = 1/√N

そして、√N が大きい時、θはほとんど正確に次のように与えられるという。

  θ ≈ 2-n/2

平面上で角運動を繰り返せば無限になる。そこで、最終的には、

  (π/4)2n/2

に近い回数を適用すればいいとしている。積 WV を適用する回数で、θの整数倍になるという仕掛け。グローバーのアルゴリズムとは、角運動的な作用のループで構成できるというわけか。

6. 量子誤り訂正
本書で紹介される単純化した例はイメージしやすい。1-Qビット状態に対して、3-Qビット符号を適用している。


この図は、単一ビットのフリップエラーが生じると仮定した場合の量子誤り訂正回路の一例を示している。
まず、α|0> + β|1> を α|000> + β|111> へ拡張する。破損していない状態は、|000> と |111> だけ。Qビット状態は、ボルンの規則により |α|2 の確率で、|000> に、|β|2 の確率で |111> になる。さらに、巧妙な手段として、初期状態 |0> にある二つの補助Qビット |x> と |y> を付加する。図のMは測定ゲートを示している。つまり、補助Qビット経由で間接的に測定すれば、出力 α|000> + β|111> に影響を与えないという仕掛けだ。|x> と |y> で構成される4つの状態で、符号語のどのビットがフリップされたかに対応させている。
Qビット同士の相互関係のみを抽出することで、重ね合わせは維持されるということだが、補助Qビットだって測定した瞬間に破壊されるのではないか?どう転んでも測定が関与する限り、自己矛盾に陥るのではないか?確率的に定められる何らかの方策があるのか?Qビット状態とCビット状態を変換するような仕掛けがあれば、ありがたいのだか。あるいは、光子の直線偏光の位相差で、ほぼ確実に定められる方法があるのか?そのあたりを量子暗号の説明で匂わせてくれる。

7. 量子暗号
どんなに強力な暗号システムを構築しても、理論的には解読の危険性が常につきまとう。ランダム列を用いるバーナム暗号は、完全に解読不能とされる。使い捨て暗号方式(One-time Pad)とも呼ばれるやつだ。それでも、遠隔地へ暗号鍵の配送が必要で、暗号通信において重要なのは、いかに鍵を秘密裏に送れるかにかかっている。
では、通信経路が量子システムで構築されていたらどうだろうか?盗聴するということは測定することなので、必然的にデコヒーレンスに陥り、データは破壊される。となれば、受信者は伝送路で介在している奴がいることに気づくかもしれない。
こっそり測定装置を設置したところで意味がないとなれば、堂々と伝送路をジャックしてしまえばどうだろうか?盗聴者は伝送路に細工することができても、受信者の装置を遠隔操作したり、送信者になりすましたりするのは難しい。送受信者の間では、通信プロトコルによってソフトウェア的に経路が確立されるはずで、テレビ放送のように一方的な受信とはならないだろう。
さて、量子暗号は最も実用化に近いテクノロジーだそうな。それは、Qビット1個ずつで機能し、1-Qビットゲートだけで済むからだという。少なくとも最も簡単なプロトコルでは、cNOTゲートなど必要としないらしい。物理系は非常に単純で、単一光子による直線偏光で、Qビットの状態を担う。1984年 BB84 として知られるアイデアはチャーチル・ベネットとジル・ブラサールによって発明された。
ここでは、暗号鍵の受け渡しに絞って記述してみる。
|0> および |1> を垂直偏光と水平偏光に対応させ、これをタイプ1としよう。
状態 H|0> = (1/√2)(|0> + |1>) と H|1> = (1/√2)(|0> - |1>) を±45度の対角に偏光させ、これをタイプHとしよう。
受信者は、Qビットを受け取ると、アダマールを作用させるかどうかをランダムに決める。受信が終了した時点で、送信者は Qビットがタイプ1かタイプHかを伝える。
だが、タイプ1が |0> と |1> で、タイプHが、H|0> と H|1> だということはまだ伝えない。送信側で、タイプ1とタイプHがランダムに切り替えられるならば、受信側で当てすっぽに選んでも、ほぼ半分の確率で情報は読めるだろう。
次に、受信者は、どのQビットから等しいランダムビットを共有できるのかを送信者に問い合わせる。そして、受信者と送信者でタイプが異なる約半分のデータを捨てる。共有した等しいランダム列から使い捨て鍵を作るわけだ。
確かに、Qビットが保存できるならば、理に適っていそうだ。しかしながら、光子の偏光状態を保持することは無理だと、散々聞かされてきた。位相が90度もずれれば確率的になんとか識別できるということか?いや、わざと二つのタイプに分けることにミソがあるのか。

2012-12-16

"自己組織化と進化の論理" Stuart Kauffman 著

ダーウィン以来ほぼ1世紀、生物の進化は自然淘汰と突然変異の二つの骨格で組み立てられてきた。だが、約5億年前のカンブリア紀に見られる生物種の爆発的出現は、これらの法則だけでは説明できそうにない。今日の生命の秩序を構築するには、あまりにも薄い偶然性に頼らなければならないからだ。そこで、ジョンジョー・マクファデン著「量子進化」では、量子力学の重ね合わせの原理を持ちだして多宇宙論で補完しようとした。その突飛的な洞察力に、頭は既に Kernel Panic!
対してスチュアート・カウフマンは、量子力学に頼らなくても、数学の最適化の原理で説明がつくという。その数学モデルは極めて単純で、ブール代数で構成されるネットワーク。それは「NKモデル」と呼ばれる。大雑把に言えば、システムの構成要素が手に負えないほど複雑な場合においても、入力状態と出力状態に制限を与えるような最適化が生じれば、適当に変化可能な柔軟性と崩壊に陥らない程度の恒常性を兼ね備えた自発的なシステムへ向かう性質があるというのである。尚、入力状態と出力状態を関連付けるブール関数はランダムに生成される。
では、最適化のための外部入力は誰が与えるのか?そこは偶然性でも構わないようだ。「カオスの縁」と呼ばれる秩序とカオスの狭間で、ほんのわずか秩序側に振れれば、たちまち法則性に向かうという。カウフマンは、生命組織が秩序を獲得する過程で、「自己組織化」という補助的機構があるのではないかと提案する。そして、集団的な自発性の法則を「創発理論」と名付け、遺伝分子の巨大ネットーワークが個体発生に必要な秩序をもたらしたと主張する。おそらく、自発的複製に対して触媒能力を持つ化学物質の系こそが、生物の核心にあるのだろう。
しかし、だ。自己触媒系がそんなに単純な数学モデルで説明がつくならば、実験室でゼロから生命が作れてもよさそうなもの。近代科学が酵素なしで自己複製できる分子が作れないのはなぜか?あえて倫理的に拒んでいるのか?それとも、カンブリア紀のような億年単位の時間スケールが必要なのか?もし、人間がまったくの新種をこしらえることができれば、しかも、その細胞が人間組織を成す細胞よりも優れていたら、人類は人工物によって滅ぼされるのかもしれん。これが自然淘汰というものか。
ここに提示される法則はにわかに信じがたい。だが、生物学の入門書としてはなかなか。また一歩、ダーウィンに近づけそうな気がする。

確かに、カオス理論にはアトラクターという現象がある。ランダム状態にあるはずのシステムが、時間の経過とともに周期性やいくつかの安定状態に落ち込み、ある種の不動点に収束することがある。宇宙空間で言えば、ブラックホールに吸い込まれるような。ブール代数で設計される電子回路やプログラムにおいても、想定外の入力信号によって抜けられない状態に陥ることがある。ギガスケールのゲート素子で構成すれば、ほとんど無限に近い多段トランジスタ回路を形成するため、想定外の外部要因に対して、とんでもないエネルギーが蓄積され暴発することもある。よって、設計者は、主論理の間違えよりも例外処理による思いがけない振る舞いの方が、はるかに怖いことを知っている。
また、社会学や経済学においても、人間社会の集団性はべき乗則に従うと言われる。小集団による些細な動機づけから始まったものでも、数量的にある閾値を超えた途端に、バタフライ効果のごとく巨大エネルギーの波となって民衆運動を引き起こすことがある。こうした方向性には、集団の意思のようなものを感じる。
しかし、個人には意思があり、人工物には人間の思惑が仕込まれるが、原子レベルではどうだろうか?意思のない集団であっても、方向性なるものが見出せるのだろうか?そもそも、原子はなぜ分子構造をとろうとするのだろうか?原子核と電子軌道は、引力と斥力の安定エネルギーで維持される。だが、それ以上のエネルギーが周辺に余っていれば、それに反応せずにはいられない。その反応は閾値超えという極めて離散的であり、原子と原子が電子軌道を共有しながら強力な分子構造を形成していく。さらに、異物同士の分子が集まって、物質代謝でエネルギーを燃焼しながら細胞なんてものに成長していく。エントロピーの法則に従うならば、ある程度結合できたとしても、次には分離し、そのサイクルを繰り返すであろう。結合と分離だけに支配された世界、ここにどんな方向性があるというのか?なぜ、分子は自己形状を維持しようとするのか?なぜ、生命は不可逆性のリスクを冒してまで進化しようとするのか?
非平衡状態における細胞は、体積が増えると自発的に分裂する傾向があるという。細胞分裂は自己複製のために必要不可欠。だが興味深いのは、精子と卵子が作られる過程で生じる減数分裂の方である。父方と母方の細胞のどちらかが選択されるという仕組みは、より優れた細胞を選ぶことを可能にし、進化の可能性を与える。同時に組み換えミスのリスクを背負い、天才や障害を生む可能性も生じる。どうやら物質というやつは、単独でいるのを嫌う性質があるらしい。それは自己にエネルギーを持つからであろうか?エネルギーのあるものは、互いに影響し合わないと気が済まないものらしい。結合するからには相手が必要だし、分離するからにはこれまた相手が必要だ。なるほど、原子の集合体である人間どもが、群れたがるのも道理というものか。物質はみな、さみしがり屋よ!ちなみに、結婚エネルギーよりも離婚エネルギーの方がはるかに大きいと聞く。ここにエネルギー保存則が成り立たないのは、至る所に暗黒物質なるものが潜んでいるからに違いない。その時、暗黒エネルギーは慰謝料という形で精算されるらしい。結合には、常にリスクをともなう。精神が知識や認識と結合するのにも、学問や学習というエネルギーを放出する。いつも退屈しないほどの刺激で向上することを望み、同時にこれ以上酷くならないほどの生活の安定を求める。この範疇でならエネルギーのやりとりを惜しまない。一旦、自己触媒と自己複製の技を習得しちまえば、それを頑なに守ることに執心する。
おそらく、結合と分離から自己組織を維持するための必要最小限の複雑さや規模というものがあるのだろう。その結合エネルギーは、地球の重力に対して算出できそうか。エドガー・アラン・ポーは、著書「ユリイカ」で、物体の本質を引力と斥力の二つの要素だけで情熱的に語った。実は、分子レベルの結合と分離という単純な反応こそが、自己存在という意識の源泉なのかもしれない。

1. 非平衡状態と創発理論
一般的に物理学が扱うのは、平衡状態である。物体は、重力作用によって高い所から低い所へ運動する性質があり、やがて位置エネルギーの最小点で停止する。ウィルスが形成される過程にも、似たような現象が見られる。水に富んだ適当な環境下では、DNAやRNAの分子と構成要素のタンパク質が、最もエネルギーの低い状態を探して集まることによってウィルス粒子が作られるという。一旦、低エネルギー状態に落ち着けば、外部からのエネルギーが関与しない限り安定状態を維持する。つまり、この平衡状態は閉じた系ということができ、ある種の秩序が保たれる。しかし、外部からエネルギーが供給されると、たちまち平衡状態が崩れる。生命を形成する細胞はそのような状態にある。
では、非平衡状態における秩序は、どのようにして形成されるのか?それは、物質とエネルギーが継続的に散逸することによって維持されるという。木星の大赤斑のように、巨大な暴風システムが維持される仕組みと同じであると。人体で言えば、食べて排泄することを死ぬまで繰り返すといったことか。開いた系において秩序を保つには、外部要因の継続性が欠かせないというわけか。面白いことに、細胞の中には物質代謝しない非活動状態のものもあるという。だが、ほとんどの細胞にとって平衡状態は死を意味する。
本書は、化学物質の混合物が十分に複雑化すれば、自発的に結晶化して、自身を合成する化学反応のネットワークを形成し、集団的に触媒できる可能性があるという。分子の多様性が増加しながら複雑さがある閾値を超えた時に生命現象が創発すると。これが、創発理論というものらしい。
例えば、コンピュータは数学的計算アルゴリズムに支配され、その基本論理は平衡状態から生じる。だが、ネットワークノードが無数となった途端に単純な通信システムは、非平衡状態へと生産性をアップさせる。十分に複雑化した集団では、自己触媒系を形成し、自分たち自身を維持し複製する能力を持つようになり、まさにこれが、生物の物質代謝と呼ぶものに他ならないという。

2. 生命の最小限とプロイロモナ
自由生活を営む生物のうち、最も単純なものは「プロイロモナ」と呼ばれるものだという。非常に単純な細胞だが、細胞膜、遺伝子、RNA、タンパク質、そしてタンパク質構成機構など標準的な要素をすべて持つらしい。プロイロモナの遺伝子の数は、およそ数百から千と見積もられている。ちなみに、大腸菌は三千と見積もられているそうな。プロイロモナよりもはるかに単純なウィルスは、実は自由生活を営んでいないという。ウィルスはあくまでも寄生者であって、宿主の細胞を侵略し、細胞の物質代謝を利用した上で細胞から抜け出し、さらに他の細胞を侵略する。自由生活を営む細胞は、少なくともプロイロモナに具わる分子の最小限の多様性を持つという。これを生命というのかは知らんが、生命を形成する下限というものがありそうだ。

3. NKモデル
本書は、著者のグループの30年間の研究成果を披露してくれる。NKモデルなんて大層なネーミングだが、K個の入力信号とN個の電球をブール代数で接続するというオモチャじみた回路モデル。要するに、ランダムな論理式で構成される巨大ネットワークが、深遠なカオスを説明しうるというのだ。生命構造が分子の結合と分解という単純な化学反応で形成されるなら、単純なモデルで説明できても不思議はないのかもしれない。
Kの値は、1 で状態が凍結するだけ、2 で周期的な現象が生じ、4 か 5 でもカオス的な振る舞いをするという。ここまでは面白いところは何もない。だが、K = 2, N = 100,000 とすると、かなり滅茶苦茶な配線が予測されるが、しばらくすると状態が落ち着き、√100,000 ≒ 317 個の状態を循環するという。ここではヒトゲノムは約10万個のタンパク質を暗号化していると言っているが、現在では2万とも3万とも言われる。N = 100,000 という値はそれなりに説明がつきそうだが、K = 2 は小さい値でそれほど説得力があるようには思えない。
そこで、さらに出力状態、すなわち電球が点灯するパターンの偏りを示すパラメータ P を導入する。Pは電球が点灯する数の割合を示し、0.5 近辺であれば点灯する電球に偏りが少なくカオス的となり、1.0 に近づけば偏りが大きく規則的となる。シャノン流に言えば、情報量を表している。Kの値が大きくても、Pの調整で周期性が得られるという仕組みだ。
では、出力状態の偏りはどうやって生じるのか?臨界的なPの値が、カオスの縁にあるにはどうすればいいのか?NKモデルでは、秩序が様々な形で顔を出すそうな。近くの状態同士は状態空間の中で互いに近づき合い、類似した初期パターンは同じ引き込み領域の中にいる可能性が高いという。複雑度が増すと、系はいくつかのアトラクターに落ち込む確率が高くなるということらしい。それは、宇宙の複雑度が増すと、ブラックホールの数が増えて、そこに吸い込まれる確率が高くなるようなものか?宇宙法則では、カオスがますます複雑度を増し、ある閾値を超えると、ランダム性から解放されるというのか?宇宙のクラスタ化を説明しているようにも感じる。
また、K = N においては、極端なバタフライ効果を得るという。そして、状態数が平方根に落ち着くものらしい。とはいえ、100アミノ酸しかないような比較的小さいタンパク質でも、20種類のアミノ酸に対して20100となる。K = 20 だとしても、Pの調整だけではかなりの時間を要するだろう。結局、時間スケールに頼るのは変わらないような気がする。それでも、億年スケールなら説明がつくのだろうか?

4. 驚異的な遺伝回路
個体発生、すなわち卵から成体への成長は、一つの細胞である接合子(受精卵)から始まる。接合子は、およそ50回の細胞分裂を繰り返し、250 ≒ 1000兆個の細胞を作るという。さらに、接合子では細胞の型は一つだったのに、成体になると約256種の細胞の型へと分化するという。肝臓の腺細胞、神経細胞、赤血球、筋細胞などである。成長を制御する遺伝的な指令は、細胞核にあるDNAに書かれる。すべての型の細胞で遺伝子の組はほぼ完全に同じ。各々の細胞が異なるのは、活性化される遺伝子の組が異なり、様々な酵素やその他のタンパク質が作られるためである。遺伝子、RNA、タンパク質による複雑なネットワークは、互いにスイッチを入れたり切ったりして活性化部分を変えながら個体を発生させる。ブール代数で言えば排他論理で形成される仕組み。赤血球にはヘモグロビンのコードが現れ、免疫系には抗体分子のコードが現れ、骨筋細胞には筋繊維を形成するアクチンとミオシン分子のコードが現れ、神経細胞には細胞膜内に特定のイオン伝導チャンネルを形成するタンパク質のコードが現れ、消化管の細胞には塩酸の合成と分泌を導く酵素のコードが現れ...といった具合に。まるでプログラマブルデバイスの回路モデル!一つの論理セルが多数集積され、セル内では必要に応じて配線をつないだり切ったりしてカスタマイズし、全体回路を構成するのに似ている。あるいは、オブジェクト指向プログラムで、活性化する部分だけをインスタンスとして生成するのにも似ている。
しかし驚くべきは、すべての細胞が接合子の持つ完全な遺伝情報を持つだけでなく、多少の修正の余地を持つことだ。例えば、免疫系の細胞では染色体を再配列し、侵入者を退治するための抗体を作るために、わずかに修正を受ける。そこには、自己複製だけでなく、自己組織化の仕組みがある。
では、遺伝子を活性化するスィッチを、誰が制御しているのか?タンパク質の合成には、それを暗号化した遺伝情報をDNAからRNAに転写される。そして、遺伝暗号に対応したmRNA(メッセンジャーRNA)が、タンパク質に翻訳される。大腸菌とラクトース(乳糖)の反応実験では、遺伝子のスィッチはmRNAに転写する段階で行われることが観測されたという。ラクトースを分解する酵素βガラクトシダーゼは、大腸菌の細胞に十分な濃度がない。ところが、ラクトースを加えて数分後に、大腸菌はβガラクトシダーゼを合成しはじめ、細胞の成長と分裂のためにラクトースを使いはじめるという。DNAの中にタンパク質が結合する短いヌクレオチド鎖というのがあって、オペレーター・タンパク質(作動遺伝子)と呼ばれる。オペレーターに結びつくタンパク質は、リプレッサー・タンパク質(抑圧子)と呼ばれる。フランソワ・ジャコブとジャック・モノーは、リプレッサーがオペレーターに結合していれば、βガラクトシダーゼの遺伝子の転写が抑制されることを発見したという。リプレッサーは、遺伝子転写の抑制フラグのような役割をするのか。
さらに、ここからが魔術... ラクトースが大腸菌の細胞に入ると、リプレッサーと結合するという。厳密には、ラクトース分子とではなく、アロラクトースと呼ばれるラクトースの物質代謝による誘導体と結合するそうな。リプレッサーは形を変えるために、もはやオペレーターとは結合できない。これで、オペレーターが自由になり、隣接するβガラクトシダーゼの遺伝子の転写が始まり、すぐにβガラクトシダーゼ酵素が生成されるという。なるほど、ラクトースが大腸菌の遺伝特性を変質させるわけか。そうなると、たまたま生成に対する抑制機能を阻止する細胞が入り込むと、遺伝情報を変質させる可能性がある。これを遺伝の自由度としている。

5. 遺伝回路のNKモデルへの適応
ジャコブ - モノー型の遺伝回路におけるフラグ制御は、電球回路のオンオフ制御と同じイメージで構成される。リプレッサー・タンパク質をオペレーターへの分子調節入力とし、オペレーターをβガラクトシダーゼ遺伝子の活性化のために調節入力とし、オペレーターはリプレッサーとアロラクトースの両方によって制御される。アロラクトースがリプレッサーに結合してリプレッサーをオペレーターから切り離さない限り、リプレッサーとオペレーターは結合したまま。よって、オペレーターはブール関数の not if で制御される。βガラクトシダーゼを生成する遺伝子は、アロラクトースが存在しなければ不活性のまま...といった具合に。
そして、このモデルから大規模な秩序が発見されたという。ネットワークのあらゆる状態は、状態循環アトラクターに引き寄せられるというのだ。アトラクターの数、安定する場所が多いほど複雑な生物ということか。そうなると、チューリングマシンでも生命になりうるということか?ちなみに、チューリングマシンには停止問題という本質的な問題を抱えている。対角線論法で自己停止できるマシンは存在しないことが証明されたが、ある種の不完全性定理と解することもできよう。停止問題は、細胞が物質代謝を自己停止すると、平衡状態になり死を招くことを意味しているのかもしれない、というのは解釈しすぎか?
さて、生命誕生の問題が複雑さと時間スケールにあるとすれば、分子の多様性を爆発させるような超臨界スープが作れるだろうか?量子力学と化学の法則によって引き起こされる化学反応は、どの時点で臨界点を超えるのだろうか?それを統計的に見積もることは可能であろうか?それは、多くの種類の有機分子と抗体分子を混ぜたスープを作ることになる。触媒抗体のことをアブサイムと呼ぶそうだが、アブサイムのデータによると、ランダムに選んだ抗体分子がランダムに選んだ反応を促進する確率は、ほぼ100万分の1 だという。
そこで、有機分子の多様性と抗体分子の多様性の関係における臨界曲線を示してくれる。例えば、1万種の有機分子と100万種の抗体分子があるとすると、1対1で反応するとすれば、反応数は 1万 x 1万 となる。これに触媒となりうる抗体100万種を掛け、反応を促進する確率を10億分の1 とすると、臨界点の期待値は、10万になるという。有機分子の種類数を1000と少なく見積もっても、有機分子の種類の数を増やせば臨界点を超えるのはそれほど難しくないようだ。この臨界点の仮説が正しければ、生態系は手に負えない大爆発ではなく、分子の多様性が制御された形で増殖されることになる。つまり、ランダム的な爆発ではなく、秩序を保ったままの増殖ということらしい。へー...

2012-12-09

"量子進化" Johnjoe McFadden 著

通常、物理学が対象とするものは、無数の粒子による秩序なき運動である。そこには、統計的な法則性が見られても、個々の分子にはカオスがあるだけだ。しかし、生命は違う。けしてカオスの産物などではない。細胞の内部には、あらゆる生物の形を決める1個の分子に至るまでの秩序がある。それは、DNAと呼ばれるたった1個の高分子によって監督、指揮された高度に組織化されたシステムなのだ。
シュレーディンガーは、著書「生命とは何か」の中で、生命を扱う力学と無生物を支配する力学はまったく違うと主張した。ジョンジョー・マクファデンは、シュレーディンガーの著書に触発されて、この書を綴ったという。酵素となった著者が、偉大な量子学者に触媒として反応した結果とでも言おうか。本書は、意思とは何か?なぜ生命は進化しようとするのか?この疑問を量子力学で説明しようとしたものである。そして、量子力学や生物学の入門書としてもなかなかの感動モノで、いつかダーウィンを読んでやる!という気にさせてくれる。生命の誕生や進化をもたらしてきたのは、化学反応の積み重ねによるものであろう。少なくとも、近代科学はそう考えている。化学反応を支配するものは熱力学である。だが、熱力学には方向性や指向性、すなわち意思なるものが欠けている。このギャップを量子力学が、どうやって埋めるのかは見物!だからといって、すっきり説明されると期待してはいけない。

人は何かをきっかけに突然目覚めることがある。自ら酵素となり、いつも触媒される何かを探しながら、現状に満足できず変化を追い求める。こうした変異の方向性なるものが、進化の根元にあるのだろうか。すなわち、生命たる意思が...
では、この方向性はいつ獲得されたのか?生命が誕生する前、まだ分子構造であったアミノ酸のレベルではどうか?やはり自ら酵素となり、触媒される何かと反応したのだろう。それが多重連結しながら、タンパク質へと成長していく。ただ、進化するためには、現状を知る必要がある。そうでなければ、次の段階へ移行できない。そこで、自己保存を企てる重要な仕組みが自己複製構造、すなわち遺伝子が鍵となる。タンパク質は、DNAという高分子構造を形成し、それを媒体としながら自己複製コードを獲得してきた。
一方で、地球上の環境は刻々と変化する。気候変動や生命どうしの原子資源の奪い合い...タンパク質は、分子配列の組み合わせを微妙に変えながら、より環境に適応してきた。配列を組み替えるからには、配列ミスのリスクを背負う。遺伝子が誕生した当初は、複製ミスも多かったことだろう。複製ミスを極力避けるために、結合力の高いエネルギー構造を持つ、複雑な高分子へと成長したことは想像できる。これが変異の方向性というやつか?だとすると、タンパク質のレベルで既に意思に近いものを獲得していたのだろうか?そして、生命と無生物の境界は、自己複製と変異の方向性の双方を獲得するかどうかのあたりにあるのだろうか?これらを、それぞれ意識と意思と言っていいのかも分からんが...
しかしながら、生物がすべて自己複製できるわけではない。ラバは子孫を作らないし、混成種の園芸植物の多くも実を結ばない。確実に生きている細胞にもかかわらず、複製できない神経細胞などの細胞型もたくさんあるという。それでも、人間はなんとなくそれが生物か無生物かを識別している。その感覚は経験だけで説明がつくのか?あるいは、生物同士で分かち合える何かがあるのか?おまけに、人間は生物でないものにまで魂を感じる。実際にアニメの登場人物の葬儀が行われたりと。ラテン語の anima を語源とするアニメーションは、本来物体に魂を吹き込むという意味がある。物体と精神は分離できるのか?という哲学論争は、プラトンやアリストテレスの時代から受け継がれる難題だ。生命とは何か?という問いは、人類に課せられた永遠のテーマなのかもしれない。そして、そこに答えが見つかった時、人間はもはや生命ではなくなっているのかもしれない。

ところで、量子力学と古典力学の境界はどこにあるのだろうか?微小な量子は、粒子性と波動性の二重性を持つ。では、境界はスケールにあるのか?いや、人間だって群衆化すると巨大な波のうねりとなる。70億もの人口に兆スケールのネットワークノードが後押しして、些細な民衆運動からバタフライ効果をともない巨大エネルギーの塊と化す。もはや、人体を構成する60兆個もの細胞と同等レベルなのかもしれない。実際、社会現象や経済市場の分析に波動関数が導入される。では、境界は数や量にあるのか?いや、それだけでは心もとない。重要な鍵は、光速に近い運動ができるかどうかにかかっている。人間が宇宙船に乗って個々に光速に近い運動ができるならば、人間にも量子力学が適応できるのかは分からんが...
さて、量子力学には、実存性に反する詐欺のような技がある。それは、重ね合わせの原理だ。光の二重スリット実験は、奇妙なことを教えてくれる。二つのスリットを通る光から生じる干渉現象は、二つの光によって重ね合わせの状態として存在する。光源は一つなのに、まるで光源が二つあるかにように振る舞う。確かに、同波長、同位相の干渉現象を説明する都合の良い概念にコヒーレンスというものがある。だからといって、これを一つの光子に着目すると、どちらのスリットにも存在することになるのか?さらにスリットの数を増やせば、何倍にも光子が存在するというのか?存在するものすべて、もしくは、それを意識するものすべては、影響し合わないではいられない。これが、コヒーレンスの正体かは知らん。
そこで、この疑問を解決するために、量子論は多宇宙論を持ち出す。量子レベルでは、複数の宇宙に存在しうるという仮説だ。光速が絶対速度だとすれば、光速で運動する量子は時間の概念を抹殺することなる。一方で人間は、時間軸上で微妙に人格を変えながら生きている。
では、一人の人間が光速運動ができて、時間を失うとしたらどうだろうか?時間軸が細かくスライスされ、多重人格が同時に現われるというのか?おまけに、成功と失敗、生と死が同時に存在するというのか?そしてその時、個人の意識は干渉しあうのか?まさにパラレルワールド!これがシュレーディンガーの猫が暗示するものだ。そもそも、シュレーディンガー方程式の示す存在確率が時間の関数であるところに、奇妙な解釈を生じさせるのかもしれない。波動を三角関数で単純化しても、現実には存在するかしないかのどちらかなので、インパルス応答のように一点に集中することになる。結果論を持ち出せば、すべての確率予測は結果に集約されるのだから当たり前だ。この現象を、波が集中するから波動関数の収縮と表現することに、どれだけの意味があるのかは知らん。つまり、波動方程式は、あくまでも予測の道具であって、結果までは責任が持てん!と告げているだけではないのか。その意味で、予測である未来と結果である現実を完全にパラレルワールド化している、と言えなくはないか?
しかーし、これだけ懐疑的なアル中ハイマーであってもだ!不思議なことに、多宇宙論を一旦受け入れてしまうと説明が簡単になるから恐ろしい。科学が信奉する、単純こそ真理!というのは本当なのか?いや、認識できるから存在するというデカルト的発想にも似たり。そりゃ、神の存在を一旦認めちゃえば、すべての苦悩は単純化できるさ。
それはさておき、意識は時間の概念を必要とし、DNAコードは完全に時間に支配されている。記録するということは、時間を頼りにするということだ。となると、時間とは意識の産物でしかないのか?そうかもしれん。存在という意識もまた時間に幽閉され、生命とは意識によって意識を幽閉し続けるだけの存在なのかもしれん。では、時間の感覚が完全にぶっ飛んだ精神分裂症は、脳内に形成される電磁場、すなわち精神の重ね合わせの結果であろうか?これを自由電子や自由エネルギーで説明できるならば、精神の自由は精神異常者の方にあるのかもしれん。

1. 酵素の研究から還元主義へ
1853年、リールの醸造業者は、ルイ・パスツールを雇ってワインが酸っぱくなる原因を調べさせたという。当時、発酵は純粋な科学反応とされ、酵母は生物と認識されていなかった。醸造酵母は、ブドウ糖をアルコールに転換するのを促進する単なる触媒であると考えられた。パスツールは、酒石酸の結晶が鏡像の関係にある左手型と右手型の二つの形をとることを示す。しかし、生物組織から酒石酸を抽出すると、成長する結晶は必ず左手型になるという。生体系はキラルであって、単純な化学反応では説明できない。こうして生命科学は還元主義へ向かう。

2. 呼吸の必要性
人間には呼吸が欠かせない。だが、呼吸することが害となる生物もたくさんいるそうな。嫌気性細菌は空気呼吸せず、それどころか、空気過敏性で酸素に露出すると簡単に死んでしまうという。なんと、大便の80%以上は嫌気性細菌だそうな。すべての生物にとって有害なことに、酸素は反応性が高いという。したがって、空気呼吸する生物は、防御酵素の兵器を持っているという。
では、酸素がこんなに有害なのに、なんでわざわざ酸素呼吸するのか?酸素を使った呼吸のプロセスで食物を燃やすからである。食物から電子が集められ、酸素にいたる一種のエネルギーカスケードを流れ落ちるという仕掛けがある。食物の高エネルギー電子と酸素中の低エネルギー電子との差が捕らえられて、細胞にエネルギーを提供する。酸素呼吸は食物から最大限のエネルギーを抽出する非常に効率的な手段で、ほとんどの高等生物において嫌気性代謝にとって代わったという。なるほど、リスクを冒してまでも高エネルギーを得る手段を獲得したわけか。
細菌に至っては、様々な無機物で呼吸することができるという。鉄で呼吸する細菌までも。発酵の過程では、まったく呼吸をせず、食物の分子を小さく切り分けて、通常は単純な酸またはアルコールにすることよってエネルギーを得るという。生命にとって息をすることが必須ではなく、酸素がなくても生命はうまくやっていけるらしい。
確かに、酸素濃度の低い時代から生命は発生しているだろうし、好気性生物が生じたのは、光合成植物や微生物が地上に酸素を放出しはじめてからのことであろう。光合成する植物は、二酸化炭素と反応して大気中に酸素を供給する。酸素呼吸する動物は、酸素と反応して大気中に二酸化炭素を供給する。動植物は、地球の自然界にうまいこと共存している。

3. 遺伝リスクと多様性
自然淘汰によって生命が進化を遂げるならば、多様性の余地を残す必要がある。そして、進化のリスク、すなわち自己複製の失敗を伴うことになる。遺伝情報の媒体であるDNAの鍵となるのは、核酸塩基の順番と組み合わせである。その基本構造は、リン酸基によって結合されたデオキシリボース糖の連なりの重合体である。それぞれの糖には、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)、アデニン(A)の4つの塩基がついていて、一本のDNA鎖を辿ると、塩基の直鎖状の配列、すなわち遺伝コードを読み取ることができる。
生体の一般的なアミノ酸は20種類ほどあるとされるが、塩基は4つしかないので、1対1でコードすることはできない。だが、コドンという塩基の三量体という仕掛けが、うまいことコード化しているらしい。例えば、GCCというコドンはアラニンというアミノ酸を、GGCというコドンはグリシンというアミノ酸をコード化する。タンパク質は、これよりはるかに複雑なコードによって表されるが、原理は同じようだ。DNAは、タンパク質の合成を指示することによって、細胞全体のすべての活動を編成し、身体を組織化できる。こうして、犬の細胞は犬の形の作り方を知り、樫の細胞は樫の木の作り方を知り、人間の細胞は人体の作り方を知る。DNAがタンパク質をコード化し、タンパク質がDNAも含めてすべてのものを作るとは、なんとも自己循環に陥った感がある。
DNAの二重螺旋の特徴は、片方の鎖にある塩基に対して相補的に存在することだという。AはTと、GはCと対になっているそうな。相補的な塩基対は、水素結合によって保たれるという。水素結合は、一方の塩基の正に帯電した陽子と、相補的な塩基の負に帯電した電子との間に存在する電磁力によって維持される。要するに、コードは重複されるわけだ。進化にとって都合が良いのは、鎖の複製がそれほど完全ではないことだという。
1つの親DNA二重鎖から1対の娘二重鎖が形成され、DNA二重鎖の対のうち一方が娘細胞の一つに入り、他方の二重鎖は別の細胞に入るという。DNAはタンパク質をコードするが、タンパク質を作るわけではない。その仕事をするのはリボソームと呼ばれる物体だという。リボソームは、ばらばらのアミノ酸をつなぎあわせて一本の鎖にする。アミノ酸の鎖は、短ければペプチド、長ければタンパク質と呼ばれるだけのことのようだ。リボソームがランダムにアミノ酸を数珠つなぎにすれば、それこそ無数の種類のタンパク質を作ることができる。ちなみに、100アミノ酸しかないような比較的小さいタンパク質でも、20種類のアミノ酸に対して 20100 になる。全宇宙の原子数は、1080 ほどと言われるが、アミノ酸の配列パターンはこれよりずっと多いことになる。とても統計的確率や偶然性などで説明できそうにない。リボソームの仕事には、なんらかの意思が働いているのか?
また、DNAがタンパク質の合成を指示するためには、物理的な問題を克服する必要があるという。DNAは動物細胞の核の中に保たれるが、リボソームはその外側の細胞質にあるからだ。解決策の一つは、DNAが核膜を通リ抜けてリボソームに接触すること。だが、DNAは何百万や何十億という塩基を持つ巨大な分子で、膜の小さな穴を通り抜けることは容易ではないらしい。そこで、もっと小さくて動きやすいRNAというDNAの類似体に複製されるという。RNAは、DNAとちょっと違った構造を持っていて、チミン(T)の代わりにウラシル(U)という塩基を使う。背骨となる糖は、デオキシリボースではなくリボースになるので、DNAからRNAとなる。そして、DNAとRNAの混合二重螺旋が形成されるという。更に、RNAポリメラーゼという酵素が、数千塩基ぐらいのRNAの複製版、メッセンジャーRNA(mRNA)を作り、リボソームに告げるという仕掛け。mRNAは、DNAの必要な情報を選別、あるいは分割して転送しているのか?は知らんが、デジタル通信回路の制御モデルを彷彿させる。
DNA複製機構の仕事は、親DNA鎖から完璧な複製を作ること。だが、時には間違った塩基を挿入したり、タンパク質のアミノ酸配列を変えることも、変えないこともある。こうした間違いが、突然変異となる。もし、突然変異が重要なタンパク質の機能を妨害すれば、有害となり死に至ることもある。遺伝病で知られる鎌型赤血球症は、主に血液ヘモグロビンのグロビンタンパク質の中のたった一つのアミノ酸を変える突然変異によって起こると聞いたような気がする。ごく稀には、突然変異が宿主に対して利益をもたらす場合もある。自然淘汰では、より多くの子孫を残すことができるように有利な突然変異をもつ遺伝子が選ばれる傾向にあるという。親よりも生存に適した突然変異を持つ子供を選択することによって進化するようだ。突然変異のほとんどは、DNAの複製の際に生じるという。

4. 大腸菌の培養実験
ハーバード大学公衆衛生大学院のジョン・ケアンズは、ラクトース(乳糖)を食べるために必要なβ-ガラクトシダーゼという酵素を持たない大腸菌の実験を行ったという。
細胞にラクトースしか与えなければ、飢餓すると予想される。だが、大腸菌を殺すことは難しく、細胞が定常状態のまま何週間も生き延びたという。更に、酵母抽出液を与えた細胞と、ラクトースしか与えない細胞とで比べると、前者は酵母抽出液を食べて飢餓を免れる。だが、ラクトースしか食べるものがない細胞の方が突然変異を起こす割合が高かったという。生存危機に迫られると、細胞は適応変異を起こしやすいということか。それにしても、たった一世代で突然変異が起こるとは恐るべし生命力!
ところで、脊椎動物には獲得免疫系なるものがあり、分子レベルでは中立進化説というものを耳にする。自然淘汰に対して有利でも不利でもなく中立的というわけだが、この実験は、単細胞生物であっても獲得形質の遺伝が生じることを示しているように映る。これも変異の方向性であろうか。

5. 生命の自発運動とミトコンドリア
無生物が運動するには外部からの作用を必要とする。だが、生物は自己作用によって運動する。筋肉を動かすには、ミオシンというタンパク質が関与するという。ミオシンは数千個のアミノ酸でできた非常に大きなタンパク質。筋繊維は、ミオシンとアクチンというタンパク質で構成され、これらが互いに作用することによって筋収縮を行うという。これらのタンパク質を作用させる鍵は、ミオシンが酵素として働き、ATP(アデノシン三リン酸)分子と水との反応を起こさせることにあるという。すなわち、加水分解によってATPを分解し、ミオシン酵素はその化学反応で得られるエネルギーの一部を捕らえて、筋肉が伸び縮みするエネルギーとする。ATPは細胞内の化学エネルギーを貯蔵する小さなバッテリーとして働き、加水分解によって放出されるエネルギーが筋肉の機械的な動作に変換されるという仕掛けか。人体は1日にざっと 2 から 3 kg のATPを作って消費しているという。加水分解が重要となれば、生命に水が必須というのは確かなようだ。
では、この自発運動を引き起こすものとは?筋肉を動かすには、脳からなんらかの電気信号によって指令されるはず。その指令はどうやって発せられるのか?ここで極めて重要な化学反応、酸化に行き当たる。酸化は、空気中で紙や木やグルコース、すなわちブドウ糖を燃やした時に起こり、電子の移動をともなう。グルコースは生物が活動する時のエネルギー物質。細胞は、酸化で代謝燃料を燃やし、ATPという形で化学エネルギーを得る。この一連の反応が呼吸である。燃焼と同じように、呼吸も酸素を必要とする。グルコースの酸化から得られるエネルギーの約38%をATPとして捕らえるという。細胞機関はなかなか効率の良い熱機関のようだ。残りは熱として放出されるため、激しい運動をすると体が熱くなる。
呼吸は、細胞内のミトコンドリアというオルガネラ(特定の仕事を行う細胞内小器官)で行われるという。ミトコンドリアの構造は驚異的だ。それは、内膜、リボソーム、自身のDNAなど、細胞全体の特徴の多くを持っていて、しかも細胞とは独立して分裂することができるという。ミトコンドリアは二枚の膜が重なりあって結合し、その間には水の入った空間があり、電子の輸送はこの膜で行われる。膜に挿入された呼吸酵素は、電子を動力源とする陽子ポンプとして作用するわけだ。シトクロムオキシダーゼやシトクロムcといった別の酵素を電子リレーとして働かせ、電子を伝播させる。そして、電子の流れを動力源にして、陽子を組み上げ、約0.15Vの電池が生じるという。
続いて、ミトコンドリアの電池が、ATP合成の動力を供給する。それにかかわる酵素は、ATPシンターゼまたはATPアーゼと呼ばれ、分子モーターの作用をするという。だが、ATPシンターゼとATP合成を結びつける正確なメカニズムは、まだ明らかになっていないそうな。呼吸のメカニズム、すなわちこの陽子ポンプが、体内にあるすべての生細胞に動力を供給しているというのは、宇宙の神秘と言わねばなるまい。

6. 量子測定と量子コヒーレンス
生命の起源を原始スープに遡る。スープの成分には、アミノ酸や単純な糖、もしかすると核酸なども含まれていたかもしれない。これらの成分がなんらかの方法で組み合わされ、自己複製する何かを発生させたと考えることはできるだろう。
今、話を簡単にするために、最初の複製物質はアミノ酸配列の短いペプチドだったと仮定する。とはいえ、このペプチドは32アミノ酸の長さをもち、自己複製するための必要条件は途方も無いことを教えてくれる。アミノ酸同士がペプチド結合しかしないとしても、20種類のアミノ酸に対して32長を形成するには 2032 パターンもある。つまり、1041 スケール。原始スープでそれぞれのペプチドを合成すると総量は約1018Kg になり、現在の熱帯雨林にある有機炭素の総量よりもずっと多いという。そんな規模の原始スープの池が、地球上に存在できるはずがないというわけか。確かに、アミノ酸が20次元の空間をさまよいながら、自己複製のチャンスをうかがっていたとは考えにくい。おまけに、ペプチドは生命ではない。ここから自己複製物質を進化させて、やっと生命なるものが見えてくるはず。
では、ランダム性から突然変異への方向性は、どうやって誘導されるのか?そのプロセスの源泉が量子測定だという。原型細胞は、量子系をいつまでも環境から保護することができなかっただろう。ある時点で何が起こっているか気づき、その量子系の測定に迫られる。そして、量子系が環境に不可逆に結合されていき、デコヒーレンスが起こったとしている。そりゃ、量子測定が機能すれば話は早い。だが、測定から方向性はどうやって転化されるのか?
また、周囲環境を効果的に結合する分子は酸素である。ペプチドは酵素になりうるのか?短いペプチドでも、弱いが酵素活性を持っているという。ならば、これを含んだ原始酵素を形成し、さらに酵素能力を持つタンパク質へと進化したと考えることができそうか。ペプチドが単一分子であるからには、いつでも量子領域に戻ることができる。そして、量子測定を繰り返しながら、短いペプチドを最小単位とした酵素形成が何度も繰り返されたのかもしれない。ペプチドが酵素となって、結合と分離を繰り返しながら、古典力学の領域と量子力学の領域を行き来して量子測定を促進し、ついに自己複製を覚えたのか?一旦、古典力学の領域に踏み込めば、不可逆性に支配される。まさに遺伝子は不可逆性の領域にある。要するに、なんらかの酵素的な存在が生じて、不可逆な領域まで成長すれば、後は簡単ということか?そして、物質代謝という魔法の循環が始まるというのか?
さて、ここまでは熱力学的確率論の域を脱していない。いよいよ変異の方向性の説明になるわけだが、量子力学は意思なるものの誕生をどう説明するのか?解決策の第一弾は、量子の重ね合わせである。量子力学によって、1041 パターンを瞬時に同時に発生させたというわけだ。干渉をおこしやすくする方向性に、量子コヒーレンスという概念を持ち出す。確かに、電子の波動性を活発化させるために、超伝導性なるものがあるにはあるのだが。つまり、なんらかの条件下で電気抵抗をゼロにすれば、小規模な原始スープの池であっても都合のいいパターンが生じるというのか?しかし、どうやって地球上の空間に収めるのか?
なぁーに、解決策の第二弾が用意されているので心配はいらない。そぅ、多宇宙論だ。つまり、量子レベルでは変異の方向性などはなく、すべての状態がそれぞれの空間に存在するというわけだ。人類が住むこの宇宙は、その一つの空間に過ぎないということか?突飛過ぎて、もはや頭は Kernel Panic !!!
いずれにせよ、量子力学はハイゼンベルクの不確定性原理の呪縛から脱せないでいる。しかも、量子レベルの位置と運動量を同時に確定することは不可能というだけでなく、他の相補的な特性の測定も制限しやがる。エネルギーと時間を同時に測定することも。偏光の方向と、電子や陽子のスピンによる角運動量の測定も。その原因は観測系が加わるからかである。なるほど、人間が関与するとろくなことがないらしい。そもそも、量子の塊で構成される人間が、量子を測定すること自体、自己矛盾を孕んでいる。いや、人間という個体が量子力学の領域から飛び出して、古典力学の領域に入ってしまったから、そうなるだけのことかもしれない。エントロピーが増大するのも、たまたま不可逆な空間にいるだけのことであって、量子の領域に引き戻されれば、エントロピーは一定でいられるのかもしれない。すると、エントロピーが減少する宇宙がどこかに存在してもよさそうか。多宇宙論と言っても、単に空間が時間で結びつけられると考える方が筋かもしれんが。
あらゆる量子測定は、二つの関連する相補的な特性で構築されている。この測定に制限を受けるのであれば、もはや何を測定しているのかわからない。生命の正体を知るためには、観測者が量子の領域に戻るしかないのかもしれん。映画「ミクロの決死圏」のような...

2012-12-02

"生命とは何か" Erwin Schrödinger 著

量子力学の立場には、シュレーディンガーの波動力学とハイゼンベルクの行列力学がある。波動力学はアインシュタインと同じく連続性を重視する立場。その量子論学者が生物学を語るのだから、なかなかの見物!生物学は科学の中で最も避けてきた領域であるが、物理学者が語るとなればアレルギーも鎮まる。
古代から受け継がれる学問の本来の姿は、総合的な能力の結集であった。だが、専門知識の高度化が進むに連れ、知識の交流が疎かになりがちである。専門に囚われ過ぎると、学問の意義や知識の方向性を見失うことにもなろう。あるいは、自ら積極的に専門馬鹿になることを受け入れ、人柱となってきた研究者も少なくない。
一方で、科学者というものは専門知識を徹底的に追求する人種で、十分に精通した領域でなければ口に出してはならないという掟のようなものがある。シュレーディンガーは時代のジレンマを感じつつ、あえて自らの専門を放棄すると宣言する。又聞きで不完全にしか知らなくても、また物笑いの種になることを覚悟してでも、そうするしか他に道はあるまい。彼の学問哲学には、人類の意義を問うことが根底にあるようだ。本書は、量子力学を通して生命の意義を追求したものである。

物体において生物と無生物を区別するものとは何か?双方とも原子構造を持つのは同じなのだから、物理学で説明がつくはず。しかし、シュレーディンガーは、統計物理学の観点から生物と無生物とは構造が根本的に違うと主張する。
ニュートン力学では個々の物体の運動を扱うが、量子力学では原子や分子などを統計的に扱う。その顕著な例は、常磁性に現われる。すなわち、ある空間に磁場を与えると空間内の物質が一方向に磁化される。だが実際には、磁場によって分子の向きを揃えようとする傾向は、分子の熱運動によって絶えず妨げられているという。熱運動は分子にでたらめな向きを与えようと働くが、磁場と拮抗した結果、すべての分子が完璧に磁化されないにしても、双極子の軸に対して鋭角に磁化した分子が多数派となる。温度を下げれば熱運動を弱め、磁場が分子の向きを揃えようとする。量子力学における物理法則は、このような統計に基づいた近似的なものに過ぎない。それは、人間社会における群衆運動、あるいは多数決の原理に似ている。群衆が冷静さを失えば、暴徒と化す。どんな微小空間であれ、社会の反抗分子というものが生じるものらしい。
つまり、物理法則の精度は多数の量子の参与によって決まる。実際、分子数の平方根の法則(√n法則)なるものがある。それは、ある容積に気体分子が n 個あるとすると、現象を観測するのに √n の誤差が生じるというものだ。安定現象を求めるならば、サンプル数を無数にとって誤差を小さくしようとする。
ところが、だ。生物の根幹を成す遺伝子は、物理法則に反してせいぜい1000個程度の原子から成っているという。確かに、安定状態を保つには少な過ぎる。本書は、生物細胞の最も本質的な部分である染色体繊維は非周期性結晶であるとし、その安定構造をエネルギー準位で解き明かす。特に、エントロピーの法則によって生命体が崩壊して平衡状態になるのを、負のエントロピーを食べることによって免れているとするところは感動モノ。ちと反論したくもなるけど。
ただ意外なことに、生命の根幹に遺伝子を据えながら、タンパク質やDNAという言葉がまったく登場しない。あえて避けているのか?刊行が1944年で、ちょうど遺伝子の正体がタンパク質かDNAかで論争の巻き起こった時期と重なる。遺伝子を暗号コードという観点から語られるので、ここではタンパク質というよりはデオキシリボ核酸(DNA)と見るべきであろう。物理学で注目されやすいのは周期性結晶の方で、その単純な規則性が研究者を魅了する。対して、一つの非周期性結晶と見なせるDNAの螺旋構造は、まさに人類の進化によって培われた芸術と言うべきものかもしれない。
さて、遺伝子暗号はどこまで個人の運命に関与するだろうか?そして、例外の意義とは?本書は、これを問うているような気がする。

「自由な人間が、死ほどおろそかに考えるものはない。自由人の叡智は、死ではなく生を考えるために在る。」...スピノザ

また、「統計的 = 決定論」という図式を表明しているところに、量子論的確率論の解釈を垣間見ることができる。量子論の不確定性は、生物学で重要な役割を演じていないという。確かに、統計的偶然性だけで、生命の構造や進化を説明するには不十分であろう。ただし例外として、減数分裂や、自然発生的および X線によって誘起される突然変異などの現象においては、ある程度の偶然性を認めているようだけど。
非周期性結晶を精神活動に結びつけるといった記述は見られないが、エピローグで唐突に自由意思の存在を持ち出すのは、読み手としてギアチェンジが難しい。古代インド哲学の聖典「ウパニシャッド」を引用しながら、なんとなくデカルト的実存論と重なる。デカルトは、生物が機械仕掛けで動くものとしながらも、人間だけは神の存在を意識できる特別な存在とした。結局、生命の意義を論じるには哲学に、いや、神に縋るしかないということか?

1. 四次元型の染色体
生物学には、「四次元的な型」というものがあるそうな。それは、卵細胞が受精してから、成熟して生殖を行いはじめる成熟期に至るまでの個体発生の全期間に関するもので、四次元型の全体は、受精卵ただ一個の細胞構造をしているという。その本質的な構造は細胞の核にあって、正常な休止状態では細胞の中の一部に拡がっていて染色質の網目として見え、重要な細胞分裂、すなわち有糸分裂と減数分裂の期間は一組の粒子からできているように見えるという。普通は紐状の形をしていて、染色体と呼ばれるやつだ。
染色体の数は、2 x 4, 2 x 6, ..., 2 x 23, ... といった具合に二組で構成され、人間の場合は46本とされる。一組は、母(卵細胞)からできたもので、もう一組は父(受精される精子)からできたもの。そこには、将来の発展と成熟したときの身体の働きの型の全部が、一種の暗号文として組み込まれているという。
現在では、染色体の構成要素は DNA とヒストン(タンパク質の一群)とされる。あえて厳密性を避けているのは、当時は DNA の役割がはっきりしていなかったのだろう。

2. 有糸分裂と減数分裂
染色体は、運命を記録した暗号文とするだけではなく、それ自身が定められた成長発育の道具として機能するという。人体の中で、法典と裁判官の両方の役割を担うようなものらしい。そして、生物体は染色体の有糸分裂によって成長する。ただ、そんなにちょくちょく分裂が起こるわけでもないらしい。最初のうちは成長は速く、人体のすべての箇所で起こるわけでもないから、すぐに数の規則は破られるという。
有糸分裂では染色体も二つになり、暗号コードも複製される。個体の成長が始まるとすぐに、一群の細胞が後の配偶子を作り出すために別に保管されるという。それは場合によっては精子だったり、卵細胞だったりするが、成熟してから個体が増殖するのに必要なものだ。
そこで、例外的な分裂に減数分裂があるという。配偶子がつくりだされる際の分裂で、すぐに接合される。受精においては、46本ではなく、23本だけ暗号を受け取る。普通の細胞は二倍体だが、配偶子は一倍体である。接合の時は、それぞれ一倍体である雄性配偶子(精子)と雌性配偶子(卵)とが合体して受精卵をつくるので、受精卵は二倍体になるという。ここでは分かりやすく省略した過程が示されるが、実際は、減数分裂はただ一回の分裂ではなく、二回の分裂が続いて起こり、一体になったものらしい。その過程で染色体が一回だけ倍加されて、結果的に一倍体の配偶子が2個ではなく4個できるらしい。
さて、そうなると、受精よりも減数分裂に遺伝的な重要な意味を持つことになりそうだ。配偶子が二倍体ならば両親の遺伝子コードを忠実に受け継ぐかもしれない。男女の性の意味もなくなりそうな気もする。しかし、接合によって遺伝子コードの部分的な入れ換えができる仕組みにこそ、進化の可能性を匂わせる。それが一倍体であるがゆえに、コード入れ換えの失敗リスクを同時に抱えている。
では、減数分裂の前のコードを保存することができれば、コード入れ換えのミスをやり直せるだろうか?いや、失敗したかどうかなんて細胞自身に判別できるはずもないか。人間社会に適合するかどうかなんて結果論に過ぎない。天才の出現だってコード入れ換えのミスかもしれない。では、コード入れ換えを医学的にやれるとしたら、障害者は恩恵を受けられるだろうか?それも怪しい。なにしろ人間の欲望は悪魔じみている。遺伝子操作に自由が与えられた時、人間の尊厳までも失われるのかもしれん。

3. 突然変異と自然淘汰
突然変異とは、統計的には例外的な現象と捉えることができよう。では、例外の意義とは何か?遺伝子は、進化の過程で自然淘汰の原理を働かせることによって偶然変異という異物を排除してきた。しかし、あらゆる現象の連続性には、不連続性が紛れ込む。突然変異が生じるのも、遺伝の結果である。
量子論では、不連続なエネルギーの移動を量子飛躍で説明する。ただ、突然変異が有用で好都合な方向に起こるのか?という疑問はある。天才が出現する一方で、障害者が生まれる確率がある。先に述べたように、減数分裂が進化の可能性を与えているとすれば、不都合な現象は進化のリスクと解するべきだろう。最も幸せを感じられるのは凡庸さかもしれん。ただ、優性変異が新たな思考をもたらす一方で、劣性変異が人間の弱さを教えてくれるならば、最も劣悪な存在は凡庸さかもしれん。となると、幸せな状態とは、劣悪な状態なのか?
さて、突然変異には二つの法則性があるという。それは、単一現象であることと、限られた範囲で起こるということ。突然変異の誘起される確率を支配する法則は、極めて単純でしかも示唆に富んでいるという。そして、身体組織におけるイオン化作用の総量と密度が重要だとしている。実際、あるエネルギー磁場によって人為的に原子現象に偏重をきたす場合がある。例えば、X線が癌や不妊症の原因とされる。ちなみに、股間に電磁波を浴びると女の子しかできないという説がある。ある研究室では、股間用の防磁グッズが常備されていたものの、先輩方の子供は女の子ばかりだった。ただ、Hが下手だと女の子ができるという説もあり、こちらの方が説得力がある。
ところで、近縁交配が有害となりやすいのはなぜか?劣性変異は異型接合にとどまっている限りは、それが基になって自然淘汰が起こることはないという。異型接合においては偶然変異は遺伝しないという。突然変異はしばしば有害となることが多いが、根絶や死にはなりにくいと。不利な遺伝子が集まっても、直ちに害になるというものでもないらしい。例えば、白色の金魚草と紅色の金魚草が交配すると、その子はすべて中間色の桃色になるのだそうな。
二つの対立因子が、その影響を同時に現す場合が、血液型に見られる。どんな遺伝子にも、わずかながら変異因子が紛れ込むとすれば、異型交配によって排除しようとする。だが、同型交配では、変異因子はもはや変異因子ではなくなり、それを倍化させる危険があるということか。バッハ家族のように音楽的才能に恵まれた家系が生じる一方で、ハプスブルク家には顎と下唇の奇形に遺伝が見られる。名門同士で650年にも渡って濃縮した血縁は、まさに異様!近親相姦が古くから禁じられてきたのは、生理的な防衛本能が働いているのかもしれない。
突然変異種は安定性の低い場合が多く、不安定な遺伝子を自然に排除する仕組みが備わっているというから、とても統計的偶然性などでは説明ができそうもない。劣性の対立因子が異型接合の場合、優性の対立因子により完全に支配されて害が認められないというのは、実に驚くべきである。
では、自然淘汰は最適な種を生み出そうとしているのか?安定な遺伝子を選ぶ機能があるとして、それが正常な因子と判別できるのか?突然変異の確率がイオン化作用を持つ放射線によって増加するとすれば、大気中の放射線や宇宙線の影響も考えられる。地球の磁場が不安定な時代では、とてつもない進化や退化が起こるのかもしれない。
一方で、遺伝子の優劣、人種の優劣、民族の優劣、学問の優劣、地域の優劣など、あらゆるものに優劣を唱えれば、自己の優位性を過信することになる。医学的に遺伝操作が許されるならば、人々は優れた因子に群がるだろう。人間も自然物のはずだが、はたして人間の意思は宇宙法則に支配された自然淘汰の原理に従っているのだろうか?

4. 負のエントロピー
生命というだけにある特徴とは何か?一塊の物質が生きているとはどういうことか?自発的に運動することを言うのか?ただ、年を老いていくと、薬漬けにされ、無理やり寿命が延ばされ、無理やり生かされている感がある。自律神経系だって植物性機能と言われる。やがて身体はエントロピーを増大させ平衡状態になる。これが死というやつか。
運動すればエネルギーを消耗するが、体内器官は適当な運動をしないと機能不全に陥る。はたまた食べ過ぎれば栄養過剰となり、肥満や糖尿病などを誘発する。人体とは、なんと矛盾に満ちた悪循環な熱機関であろう。消費と供給で生きながらえる物質、これが生物の正体か?その均衡が崩壊した途端に危機が生じる。まるで経済サイクルよ。
さて、生物体は急速に崩壊して平衡状態になることを免れているという。それが、負のエントロピーを食べるということらしい。エントロピー S は、次式のようになる。

  S = k log D

k はボルツマン定数。D は物体の原子的な無秩序さの程度を示す値。収束時間の違いはあれど、いずれエントロピーは増大し、活動のない状態へ近づく。だが、生命体は死から逃れようと必死だ。D が、無秩序の目安とすれば、逆数 1/D は秩序の目安となる。1/D は対数に負の符号をつけたものだから、こうなるという。

  -S = k log (1/D)

これが、負のエントロピーの考え方である。
しかし、だ。食べるという行為は、食物に含まれる有機化合物の秩序をそのまま取り入れているわけではない。消化によって有機化合物の分子構造を破壊しているし、おまけに、余計な遺伝情報までも排除しているではないか。要するに、体温を保つこと自体がエントロピーを増大させている。そして、熱力学の第二法則は自由エネルギーが減少することを告げている。んー...やはり違和感は拭えない。

5. 遺伝子を保持するエネルギー準位
遺伝子が原子1000個程度の高分子構造であるならば、それを維持するエネルギーはどこから生じるのか?それは、異性体のエネルギー準位から解き明かされる。異性体とは、分子を構成する原子構造が同じでも配列が違うもの。例えば、プロピルアルコール(C3H8O)は、3個の炭素(C)、8個の水素(H)、1個の酸素(O)とからなるが、異性体では O の位置が違う。この構造で遷移しようとすれば、O を引き抜いて他の位置に差し込まなければならない。そのような操作には、量子飛躍の観点からも非常に高いエネルギーを必要とする。高分子構造の異性体の仕組みが、遺伝子を維持しながら、しかも配列の多様性をもたらすというわけだ。となると、遺伝コードを入れ替える減数分裂においても、かなりのエネルギーを消費するはず。セックスやると眠くなるのも道理か。
エネルギー準位を引き上げるのに最も簡単な方法は、熱を帯びることである。そこで、異性体の偏移を起こす確率を決定するものは、W/kT の比が重要な役割を果たすという。k はボルツマン定数、T は絶対温度、W は遷移のためのエネルギー。ちなみに、理想気体で原子1個の持つ運動エネルギーは、(3/2)kT になると教わった。ここでは、「ハイトラー - ロンドン結合」と呼ばれる理論で説明される。
W/kT の比が大きいほどエネルギーが引き上げられる確率は小さくなり、突然変異の起こる期待時間は長くなるという。W/kT = 30, 50, 60 に対して、その期待時間は、1/10秒、16ヶ月、3万年になるそうな。そして、T が室温の時の閾値 W は、それぞれ 0.9eV, 1.5eV, 1.8eV(エレクトロンボルト)になるそうな。このエネルギーを身体に換算すると、どのぐらいになるのだろうか?落雷でも突然変異が起こりそうか?ん...よく分からん。尚、突然変異の起こる期待時間 t は、W/kT の指数関数になるという。

  t = τe(W/kT), (τは、10-13 ないし10-14 となる定数)

突然変異の期待時間は温度を上げると短くなり、変異の頻度は増加するという。指数関数であることが、少しの温度差でも大きな影響を与えそうだ。安定性の高い分子構造で変異の起こる頻度が低いものの、温度に対する変化は著しいものがある。寒冷地方の方が遺伝子の安定性は高いのだろうか?その気候が、そのまま生きる上で快適とも言えないだろうけど。生物の進化は、地球の気象変化とも関係があるのは確かなようだ。
熱力学の第三法則では、絶対零度に近づくにつれ、分子の無秩序は物理現象になんら影響を与えないようになる。だが、ネルンストの定理では、室温でさえもエントロピーの演ずる役割が驚くほどわずかだとされるという。確かにエントロピーは対数特性なので、そうかもしれん。冷蔵庫の中でも、非周期性結晶が真空で絶対零度に近い振る舞いをしても不思議ではないか。