2010-02-21

"ゲーテ格言集" 高橋健二 編訳

ゲーテほど、その残した言葉を引用される人物も珍しいだろう。その領域は文学にとどまらず、科学や数学にも及ぶ。なにかにつけて、文章構成にゲーテの言葉を埋め込むと引き締まるから不思議である。アル中ハイマーが誤魔化すためによく使う手だ。
改めて格言集を読むのもおもしろいが、原作を読まないとニュアンスの掴みにくいものも多い。本書は、どの作品から引用しているかが明示されているので、ゲーテの作品の道しるべになってありがたい。
格言の中には、多くの矛盾が見られる。正反対のことが言えるということは、人間の不完全性を暗示していると言えよう。たとえ、その言葉が間違っていると感じたとしても、そんな感覚ですら捻じ伏せてしまうような「言葉の力」なるものがあるように思える。論理を超えた論理性と言おうか...また、ゲーテの哲学には、キリスト教の予定説的な世界観が潜んでいるように映る。それは、運命とも言うべきか、宇宙原理に支配された自然観であって、アリストテレス的な人間中心的で目的論的自然観とは少々異なる。晩年、ゲーテは次の言葉を繰り返したという。
「沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ。」
これは、肉体は死んでも精神は永遠であることの隠喩だという。ゲーテのお気に入りは、次の言葉だという。
スピノザ曰く、「真に神を愛するものは、神からも愛されることを願ってはならない。」
なんとなくスピノザの影を感じながら読んでいたが、納得である。

ちょいと、ゲーテの言葉を引用しながら作文してみよう。
ゲーテ曰く、「たやすく獲得されたものは気が向かない。無理に手に入れたものがひどく喜ばす。」
恋愛は、所有していると錯覚するところから始まる。人間は愛する者が幸せになるだけでは満足できない。自分が幸せにしたと自負できなければ気が済まない。自分自身が介在できなければ不幸になることすら望む。単に恋愛で勝利したいがために。これが人間の持つエゴイズムであり、人間特有の「所有の概念」であろうか。実は、人生で所有できるものなんて何もないのに。女性という寿命の長い生き物を理解することは永遠にできないだろう。
ゲーテ曰く、「理解していないものは、所有しているとは言えない。」
一般的に、夫婦の組合わせを眺めると、夫の方が年上というケースが多いのも不思議である。10年も長生きする上に年下では対抗する術がないではないか。とはいっても、若い娘の前でにやけてしまうのは男の悲しい性である。女は永遠の若さを装うために化粧を塗りたくり、男は永遠の若さを信じて女に溺れる。永遠の生を願うかのように。
ゲーテ曰く、「年をとることは何の秘術でもない。老年に堪えることは秘術である。」
男は看取られる運命にあるのか?男は死に顔を曝け出して愚痴られる運命にあるのか?そして、残された女は財産計算に明け暮れる。これが「所有の概念」というものか。したがって、借金を残しておっ死ぬのが男の甲斐性というもである。
...なるほど、ゲーテの言葉を引用するだけで作文は楽しくなる。

さて、酔いが回ってきたところで、気に入ったところを軽くつまんでみよう。なぜかって、そこにスモーキーなモルトにピッタリのおつまみ、燻製チーズがあるから。

1. 真理と誤り
「信用というものは妙なものだ。ただひとりの言うことを聞くと、まちがったり誤解したりしていることがある。多くの人の言うことを聞いてみても、やはり同じ事情にある。普通、多ぜいの言うことを聞くと、全く真相を聞き出すことができない。」

「人間と、人間をとりかこむ色々な条件から、直接生ずる誤りは赦すべく往々尊敬に値する。しかし、誤りの後を追う者はそんなに公平に遇されるわけにはいかない。口真似して言われた真理はもう魅力を失っている。口真似して言われた誤りは味もそっけもなく笑うべきものである。自己の誤りから脱出するのは困難である。往々にして偉大な精神や才能の人においてさえ不可能である。他人の誤りを受け入れながらそれに固執する人は、働きの乏しいことを示す。誤りの本尊の頑固さには腹が立つが、誤りの模倣者の強情さは不愉快でしゃくにさわる。」

「真理と誤りが同一の源泉から発するのは、不思議であるが、確かである。それゆえ、誤りをぞんざいにしてはならぬことが多い。それは同時に真理を傷つけるからである。」

「もし賢い人が間違いをしないとしたら、愚か者は絶望するほかないだろう。」

「権威がなくては人間は存在し得ない。しかし、権威は真理と同様に誤りを伴うものである。それは、個々のものとして消滅すべきものを永遠に伝え、固く把持さるべきものを拒み消滅させる。こうして権威は往々人類をして一歩も先へ歩かせぬようにする原因となる。」

2. 自然と科学
「自然研究の歴史を見て終始気づくことは、観察者が現象からあまりに早く理論に急ぐため、不完全になり仮説的になるということである。」

「プラトンは、幾何学を知らないものを彼の学校に入れなかった。仮に私が一つの学校を作るとすれば、何らかの自然研究をまじめに、かつ厳密に選ばない人間の入学を許さないだろう。」

「でき上がったものが硬化しないように、作りかえるために、永遠の生きた活動が働いている。...瞬間とどまることがあってもそれは外見だけである。永遠なものは一切のもののうちに活動し続ける。万物は存在に執着するならば、崩壊して無に帰するほかはないのだから。」

3. 芸術と文学
「芸術は一種の宗教心に、深いゆるがぬ真剣さに基づいている。それゆえ、芸術は宗教とよく結びつく。宗教は芸術心を必要としない。宗教は独自の真剣さに基づく。」

「われわれは芸術によって最も確実に俗世間を避けることができる。同時に芸術によって最も確実に俗世間と結びつくことができる。」

「古典的なものは健全であり、ロマン的なものは病的である。...新しいからロマン的なのではなく、弱々しく病的で、実際むしばまれているから、ロマン的なのだ。古いから古典的なのではなく、強く生き生きとして、快活で、健康だから、古典的なのである。」

「文学は、人間が堕落する度合いだけ堕落する。」

「フランス語は、書かれたラテン語からではなく、話されたラテン語から生じた。」

「それによってすべてを知るが、結局かんじんなことは何もわからないような本がある。」

4. 政治と歴史
「自分自身の内心を支配することのできぬものに限って、とかく隣人の意志を支配したがるものだ。」

「財貨を失ったのは、...いくらか失ったことだ!新たなものを得なければならない。
名誉を失ったのは、...多く失ったことだ!名声を獲得しなければならない。
勇気を失ったのは、...すべてを失ったことだ!生まれなかったほうがよかっただろう。」

「不正なことが不正な方法で除かれるよりは、不正がおこなわれている方がまだいい。」

「立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由とを同時に約束する者は、空想家にあらずんば山師である。」

「歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である。」

「二つの平和な暴力がある。法律と礼儀作法とがそれだ。」

「優れた人々は他の者より損である。人々は自分を優れた人々と比較できないので、優れた人々を監視する。」

5. 哲学
「こうしてわたしは、たえまなく聖ディオゲネスのように、わたしの樽をころがす。まじめなことあり、冗談のことあり、愛あり、憎しみあり、これかと思えば、あれ、無いかと思えば、何かあるもの。こうしてわたしは、たえまなく、聖ディオゲネスのように、わたしの樽をころがす。」

「人間があんなに犬をかわいがるのに不思議はない。お互いに憐れむに堪えた浅ましい奴なんだから。」
当時、犬儒学派が流行していたことを揶揄しているような...キュニコス派あたりへに皮肉だろうか?その一方で、「聖ディオゲネス」と持ち上げながら...

「各個人に、彼をひきつけ、彼を喜ばせ、有用だと思われることに従事する自由が残されているがよい。しかし、人類の本来の研究対象は人間である。」

「完全は天ののっとるところ、完全なものを望むのは、人ののっとるところ。」

「人間が、かつてできたことを今でもできると考えるのは、きわめて自然である。未だかつてできなかったことを、できると思う人があるのは、いかにもおかしいが、珍しいことではない。」

「不死の思想は、現世の幸福を取り逃がした人の考えることである。」

6. 自己と自由
「考える人間の最も美しい幸福は、究め得るものを究めてしまい、究め得ないものを静かに崇めることである。」

「無制限な活動は、どんな種類のものであろうと、結局破産する。」
「豊かさは節度の中にだけある。」

「自分に命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる。」

「人は自分の肉体あるいは精神についてよく考えると、たいてい自分が病気であることを発見する。」

「すべての人間が自由を得るや、その欠点を発揮する。強い者は度を超え、弱い者は怠ける。」

「人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。多く知るにつれ、次第に疑いが生じてくるものです。」

「自分の持っているものを管理することのできる人は裕福です。それを心得なければ物持ちであるということは煩わしいことです。」

「孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何かなずべきしっかりしたことがあれば。」

「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」
「欺かれるのではない、われみずからを欺くのである。」

「情熱は欠陥であるか美徳であるかだ。ただ、どちらにしても度を越えているだけだ。大きな情熱は、望みのない病気である。それを癒し得るはずのものが、かえってそれを全く危険にする。」

「憎しみは積極的不満で、妬みは消極的不満である。それゆえ、妬みがたちまち憎しみに変わっても怪しむにたりない。」

7. 生き方
「すぐれた人で、即席やお座なりには何もできない人がある。そういう人は性質として、その時々の事柄に静かに深く没頭することを必要とする。そういう才能の人からは、目前必要なものが滅多に得られないので、われわれはじれったくなる。しかし、最も高いものはこうした方法でのみ作られる。」

「人は一生のうちにしばしば述懐する。色々なことに手を出すのを避けなければならない、特に、年をとればとるほど新しい仕事につくことを避けなければならない。だが、そんなことを言ったって、自他を戒めたって、だめだ。年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。すべての事情は変わって行く。われわれは活動することを全然やめるか、進んで自覚をもって新しい役割を引き受けるか、どちらかを選ぶほかない。」

「人間は現在を貴び生かすことを知らないから、よりよい未来にあこがれたり、過去に媚びを送ったりする。」

「真剣さなくしては、この世で何事もなしとげることができない。教養のある人と呼ばれる人たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情がある。」

「経験したことは理解したと思い込んでいる人がたくさんいる。」

「愚かな者と賢い者は同様に害がない。半分愚かな者と半分賢い者とだけが最も危険である。」

「なんでも初めはむずかしい。それはある意味では本当かもしれない、だが、もっと一般的にはこう言うことができる。...なんでも初めはやさしい。最後の段階をよじ登るのこそ困難で、それをやりとげることは、きわめてまれであると。」

「古い基礎を人々は貴ぶが、同時にどこかで再び初めから基礎を築きだす権利を放棄してはならない。」

「印象を極めて新鮮に力づよく受け入れ、これを味わうということは、青年のうらやむべき幸福です。批判的認識が増すにつれ、次第に、あの濁らぬ喜びの泉は涸れます。」

「少年のころは、打ちとけず反抗的で、青年のころは、高慢で、御しにくく、おとなとなっては、実行にはげみ、老人となっては、気がるで、気まぐれ!
君の墓石にこう記されるだろう。たしかにそれは人間であったのだ。」

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