2009-10-18

"幾何学基礎論" David Hilbert 著

昨日飲んだ熟成純米酒に誘われたのか?いつのまにか純粋数学の古典を手に取っている。空間感覚の破壊された酔っ払いには、頭の体操にもってこい!なのだ。

幾何学は、ユークリッド以来、ひたすら公理から展開されてきた。ところが、19世紀になると集合論によるパラドックスの発見によって、その基礎は危機に曝される。そこで、ヒルベルトは公理主義を強調して数学の体系化を推進した。有名な「ヒルベルトの23の問題」が、現代数学の方向性を示したのは間違いないだろう。ヒルベルトは公理論的思惟にこだわった形式主義の立場をとることによって、数学を純粋領域で確立しようと試みた。だが、ゲーデルの「不完全性定理」の登場によって挫折することになる。言い換えれば、人間が証明できる純粋な学問は、人間の不完全性によって挫折したと言っていいだろう。人間が全ての宇宙現象を公理によって証明できるとしたら、人間の地位を神に押し上げるようなものだから。ヒルベルトの努力が、結果的に数学を再び哲学の領域へと引き戻してしまった感がある。だからといって、その貢献を蔑むことにはならない。人間の限界である完全性と不完全性の境界線を探求することに、学問の意義があるだろう。境界線に近づこうとする努力は、全てが完全であると信じるところから始まる。最初から不完全だと諦めていては、その境界線に近づくことすらできないだろう。現在においても、プラトン哲学が継承されているところがある。それは、どんな複雑な現象も、その背後には単純な自然法則が潜んでいるに違いないと信じてきた科学者の執念である。ヒルベルトもこの執念に憑かれたと言えるだろう。

本書は、カントの言葉から始まる。
「斯くの如く人間のあらゆる認識は直観をもって始まり、概念にすすみ、理念をもって終結する。」
ヒルベルトは、カントールの無限濃度アレフの存在を証明しようと試みても失敗することを認めている。つまり、本書には、有限個で完結した世界においてのみ純粋数学がありうるのであって、公理に基づいた数学を確固たる地位で安定させたかったという願いが込められる。彼は、数学をなんとしてもユークリッド幾何学に留めておきたかったのだろう。本書には、集合論の無限性を拒絶した反応があちこちに漂っている。
幾何学には、古くから議論される作図問題がある。結合公理、順序公理、合同公理、平行公理の4つの公理に基づいた幾何学においては、定規と定長尺を用いて作図することが可能である。だが、連続公理が加わった途端にその範疇から飛び出す。図を描くと自然に見えてくる定理が、ひたすら論理的な公理だけで解析を続けると、摩訶不思議な幾何学が登場してしまう。おまけに、複素数系に放り込めば、人間には手に負えない世界が広がる。そこには、幾何学と代数の融合が現れる。近代数学は、証明の可能性を示す方向から、不可能性を示す方向へと方針転換しているかのように映る。アーベルは、5次方程式の代数的解を求めることが不可能であること証明した。平行線公理の証明不可能性、あるいは、ネイピア数と円周率を代数的方法で作ることの不可能性やリンデマンの定理といった例が支配的となる。形式的公理による論理の組立てでは、人間の想像もつかない世界を構築する。こうした流れを、本書はパスカルの定理とデザルグの定理の展開から匂わせる。ちなみに、パスカルの定理とデザルクの定理は、射影幾何学の基本定理である。本書の考察は、実際に微分を用いて解析されるわけではないが、思考的には微分学の匂いがする。そして、ついに非ユークリッド空間を無視した幾何学の構築に限界が見えてくる。

数学の歴史は、抽象化の歴史と言えよう。代数の世界は、自然数に始まり、数の概念を整数、有理数、実数、複素数へと拡張させてきた。それは、自然数で引き算や割り算を行うと、答えが自然数の世界からはみ出すように、一つの系が算術によって世界が閉じられないからである。本書は、これを生成的方法と名付けている。
一方で、幾何学は、点、直線、平面の存在を仮定して公理的に展開される。結合、順序、合同と考察される中で、無矛盾性と完全性に従った公理が構築される。本書は、これを公理的方法と名付けている。そして、公理的方法の方が合理的であって、知識を完全に記述し、完全に論理的に保証する上で優れていると主張する。これは代数学への批判か?
ヒルベルトは、民族や国家の繁栄のために協和と秩序が確立されるように、学問同士の協和と数学界の秩序が重要であると訴えている。そして、幾何学では、平面方程式の一次性の定理と点座標の直交変換から、ユークリッド幾何学を完全に保証できると述べながら、あらゆる学問が公理的展開を見せると熱く語る。数論の構成には計算法則と整数法則があれば十分で、力学にはラグランジュの運動の微分方程式があり、電磁気学にはマクスウェルの微分方程式に電子と電荷の性質を加えたものが公理的な役割を演じるという。そして、熱力学では、エネルギー関数の概念と、そのエントロピーと体積を変数とした偏微分方程式で温度と圧力を定義することによって完全に構築でき、初等輻射論では輻射と吸収との関係を支配するキルヒホフの定理が中心となり、確率論ではガウスの誤差法則が、気体論ではエントロピーの定理が、曲面論では孤の長さを二次微分形式で表すことが、素数論ではリーマンのゼータ関数が、それぞれ基本定理になるという。これらの基本定理は、それぞれの分野における公理と見なすこともできよう。
本書は、高名な数学者であるクロネッカーやポアンカレのような、数学から純粋性を奪おうと企む連中が豊かな数学を脅かすと批難する。ヒルベルトは、交点定理であるデザルグの定理やパスカルの定理を仮定すれば、それを有限回繰り返すことによって、幾何学の公理を決定づけられると信じた。しかし、連続公理の無限性に現れる矛盾性がその道を妨げる結果となってしまった。デカルト座標において、幾何学的公理から矛盾が導かれれば、それは実数系の算術も矛盾として認識されなければなるまい。つまり、幾何学的公理の無矛盾性の問題は、実数の公理系の無矛盾性の問題に転嫁させる。そして、無矛盾性の問題は依然として残されたままである。

1. 5つの公理群
幾何学の構成元素といえば、点、直線、平面の3つに集約できよう。本書は、この基本元素を結合、順序、合同、平行、連続の5つを基本公理として展開する。結合公理では、2点間における直線との結合関係、3点間における平面との結合関係、あるいは平面における立体的な結合関係を示す。順序公理では、直線上、平面上、あるいは空間における点の位置関係を示す。合同公理では、線分と角から三角形の合同関係を示し、すべての直角は合同であることを導く。そして、空間移動における運動の概念を示す。平行公理では、線分と交わる角度の関係から平行の条件を導く。連続公理では、直線上の有限個の点を極限操作によって無限に拡張できることを示す。連続性については、アルキメデスの公理と完全性の公理とに分かれるという。ヒルベルトが公理の完全性を求める上で、連続性はやっかいな存在だったことだろう。無限の概念を避けては通れないからである。本書は、公理として無限性を含まないという意味で完全性公理を仮定しないと述べ、デカルト幾何学との同一性を宣言している。

2. 無矛盾性と独立性
本書は、5つの公理群の無矛盾性と独立性を証明しようとする。独立性とは、各々の公理から他の公理を演繹できないということである。平行公理の独立性には、非ユークリッド幾何学への拡張を思わせる世界をルジャンドルの定理によって紹介される。
ルジャンドルの第一定理:
「三角形の内角の和はニ直角よりも小なるか、あるいはこれに等しい」
ルジャンドルの第二定理:
「いずれか一つの三角形において内角の和がニ直角ならば、あらゆる三角形の内角の和がニ直角に等しい」

本書は、合同公理の独立性から非アルキメデス幾何学の存在を認め、連続公理の独立性から非ルジャンドル幾何学の存在をも認め、ルジャンドルの定理の拡張が述べられる。
「三角形の内角の和がニ直角よりも大か、等しいか、小になる。」
ついに、非ユークリッド幾何学の存在を認め、トポロジーの世界を匂わせる。

3. 分解等積と補充等積
三角形の合同と相似の関係を見出すのは容易である。本書は、多角形における面積理論を展開する上で、分解等積と補充等積を議論している。分解等積とは、二つの多角形をそれぞれ有限個の三角形で分割し、しかも細分した三角形が互いに合同で対応できれば、二つの多角形は合同ということである。補充等積とは、二つの多角形が互いに分解等積である場合、分解等積で得られる三角形の組み合わせで合成してできる多角形のことで、三角形の組み合わせ方で様々な多角形を形成することができる。そして、二つの同底、同高の平行四辺形は互いに補充等積となることが導かれ、二つの平行四辺形の面積は等しくなることが導かれる。
「二つの補充等積な三角形が底辺を共有すれば、その高さも等しくなる」
ここには、面積理論の基礎が構築されている。

4. デザルグの定理とパスカルの定理
デザルグの定理:
「同一平面上にある二つの三角形において、対応辺がそれぞれ平行ならば、対応頂点の連結直線は一点を通るかあるいは互いに平行である。また逆に、同一平面上にある二つの三角形の対応頂点の連結直線が一点に会するか、あるいは互いに平行であり、かつ三角形の二双の対応辺がそれぞれ平行ならば、両三角形の第三辺もまた互いに平行である。」

この定理は、結合公理、順序公理、平行公理によって証明される。しかし、直線公理および平面公理が成立しても、デザルグの定理が成立しない平面幾何学が存在する。立体公理を加えると、合同公理なしではデザルグの定理の証明は不可能という結論を導いている。本書は、デザルグの定理には、平面幾何学から立体幾何学へ拡張するための意義があるという。そして、あらゆる空間公理に代わるものになると示唆している。
パスカルの定理とは、円錐曲線論における定理である。
「点A, B, C、および点a,b,cをそれぞれ3点ずつ相交わる2直線上にあり、かつその交点と一致せざる点とせよ。しかるとき線分CbがBcに平行かつCaがAcに平行ならば、BaがまたAbに平行である。」

デザルグの定理とパスカルの定理はともに平面幾何学の条件であり、パスカルの定理もまた立体公理を加えることで合同公理なしでは証明できないという。ただ、デザルグの定理は、合同公理と連続公理を用いることなく、パスカルの定理から証明できるという。ちなみに、パスカルの定理には、比例の理論と相似関係の基本定理が内包されている。

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