2009-07-26

"戦史(上/中/下)" トゥーキュディデース 著

アル中ハイマーの購入予定リストには、昔から亡霊のように居座る奴らがいる。本書もその一つ。岩波文庫でしばらく絶版になっていたので諦めかけていたが、偶然にも復刊されているのを見かけた。と言いながら、本書を買ったのは昨年である。なかなか読む気になれないのも仕方がないだろう。なにしろ、大作だ!この三巻の分厚さを目の前にすれば、尻込みもしようというものだ。それにしても、本書から克明と伝わる出来事の記述は感動ものである。

古代ギリシャの歴史家トゥーキュディデースは、ほぼ同時代に生きたヘロドトスとよく対比される。それは歴史家の使命についての論争である。古代の歴史叙述には、神話や伝説といった物語的に着色されたものがほとんど。ヘロドトスの著書「歴史」にも、多くの誇張が感じられる。それも仕方がないだろう。現在でさえも主観的論調が多いのに、古典に期待するべくもない。歴史の信憑性という意味では、トゥーキュディデースに軍配を上げる人が多いようだが、二千年以上も前の文化的価値を現代の価値観で単純に判定するのも無理がある。よく歴史学で問題にされるのは、いかに主観を排除し、ありのままを客観的に語れるかである。これは非常に難しい問題で、主観も客観も人間の精神の持つ本質である。主観を排除すれば、深い思考は得られない。単なる現象の羅列からは、せいぜい最寄の事象の関連付けぐらいしかできない。主観の境界線も個人によって微妙であって、主観と客観の按配にこそ、歴史学者の腕の見せ所がある。また、歴史事象は社会現象の一つであって、真の原因と広められた原因の二つの性格を持つ。トゥーキュディデースの生きた時代は、宗教や神託など思想や予言に支配されていた。にもかかわらず、主観をできるだけ排除し、隙の無い論理で組み立てようと試みたところに凄みがある。本書の序説には、事実関係を淡々と記述しているため読み物としてはおもしろくないだろうと語られる。ところが、どうしてどうして!戦争の実況中継や、その原因と背景が詳細に描かれ十分に味わい深い。軍勢の数や死者の数など、その具体性には説得力がある。中でも注目すべきは、多くの演説が克明に描かれるところである。民主政治で最も有効な政治行動は、政策を論理的に民衆に訴えることである。その演説は対立構図で描かれ、民衆の票決で世論が動く様子には、民主政治とは何か?という原点に立ち返る思いがする。二千年以上の歴史の差がありながら、その演説の見事さや誇り高さには惚れ惚れする。ましてや、日本の政治ではなかなか見られない光景で新鮮なのだ。また、疫病が流行った時の病状の詳細には、後世に治療法をうながすためか?医学的使命感も伝わる。ソクラテスの生きた時期とも重なり、哲学的あるいは論理的論争が盛んであったことも想像できる。報告書とは、斯くありたいものだ!

本書は、古代ギリシャ最大の戦争と言われ、27年間続いたペロポネーソス戦争の記録である。とはいっても、著者は21年目で筆を置いていて、この大作は未完に終わっている。著者は戦後も生きているはずだが、執筆中に亡くなったということか?人間が20年も生きれば思想や哲学にも変化が生じるであろう。しかし、終始一貫して乱れがないという出来栄えには、戦時中の記録というよりも、戦後に冷静に分析した結果と思われる。ペロポネーソス戦争は、アテーナイ軍を中心としたデーロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネーソス同盟との間で発生した。地域でいえば、東側のアッテイカ地方と西側のペロポネーソス半島の対立である。著者自身は、両軍がトラーキア地方のアテーナイ植民都市アムピポリスをめぐって争った時、アテーナイ軍の指揮官として救援にかけつけたが、ペロポネーソス軍の名将ブラーシダースに先を越されて都市を奪われ、その責任を問われて追放されたという。そうした、やりきれない立場からの回想録と解釈することもできる。ちなみに、この戦争は、11年目のニーキアースの平和条約を境に二つの別々の戦争と解釈する人も多いという。この平和条約が有効期限を50年と定めているところからも、そのように解釈されたようだ。著者は、それは誤りであると主張し、あくまでも一つの戦争として記述すると語る。

著者は、予めこの戦争が史上最大になると予測している。その理由に戦備の量や参戦国の数を挙げている。戦争規模の基準は様々であろうが、著者が言う戦備とは軍資金のことを指している。そして、富の蓄積と政治権力の形成という観点からの国力の評価には鋭いものがある。富の蓄積がないところに政治力の結集は期待できないだろう。支配者と被支配者との関係も希薄となり、内乱があれば外敵に向かうことすらできない。その莫大な資金から、庶民の生活も豊かで税収入が多かったことが予想される。なるほど、人々の定住や、安心して農耕を営むこと、海洋を利用する商業利益の蓄積といったものに重点を置きながら、戦争が大規模化すると、武装と武装の戦いではなく、経済力と経済力の戦いになることを見越している。まさしく、現代的な分析と言おうか、科学的な分析である。これほどの冷静な分析がなされながら、なぜアテーナイは敗戦したのか?その分析は敵意とまでは言わないが、アテーナイに対してかなり辛口である。もしかして、著者は敗因を残そうとしたのだろうか?敗戦の問題提起だったのだろうか?戦争は得てして、敗者の分析に鋭いものが現れる。クラウゼヴィッツの「戦争論」はナポレオン戦争の敗戦の反省として残されたと解釈することもできよう。

本書には、全ギリシャの共通意識と価値観がうかがえる。その合言葉は「自由なギリシャ」といったところだろうか。その中で、実に多くのポリスが登場し、他ポリスからの干渉を嫌う性格が見受けられる。各ポリスで政治体制も異なり、大別するとアテーナイ側の民主制とペロポネーソス側の貴族制のイデオロギー対決といった構図がある。全ギリシャの民族価値を前提としながら、独自のポリスが多く混在する政治モデルには、地方自治体の単位で結束した地方分権モデルに通ずるものを感じる。アテーナイでは自由とは何か?といった哲学的思想が根付いているようにも見えるが、一方で奴隷制が栄えた時代でもある。現代感覚では矛盾しているが、「人間」という身分の抽象度はまだまだ低い。独立した諸ポリスの性格には個性があるが、ペルシア戦争では、大軍が押し寄せるとアテーナイとペロポネーソス諸国は団結した。いざとなると意志統一ができるのも、根底に共通文化があるからであろう。そして、ペルシア軍は遠征という不利な立場から撃退された。本書には、ペルシアの大軍に勝利した余韻がまだ残っているように思われる。ペロポネーソス側では、ヘーラクレースの子孫である誇りも覗かせる。しかし、不利な遠征を、ペロポネーソス戦争では、大軍アテーナイがシケリア(シチリア島)に侵略して大敗する。アテーナイでは、大敗責任を追及され民主制の弱点を露呈する。それは、気まぐれな世論の変化である。諸ポリスには強国アテーナイと隷属関係があって、その遺恨も根深い。この侵略の失敗が相次ぐ離反国を生み、ペロポネーソス戦争を敗戦へと導く。

1. 歴史学とは何か?
本書は、「歴史学とは何か?」という素朴な疑問に、一貫して答えようと努めているように映る。人間の文明は何を前提としているのか?人間の行動は何を目的としてるのか?社会や歴史を動かしているものは何か?こうした疑問を自問しながら、経過を辿る様子がうかがえる。そこには、条件と反射との正確な記述がなければ、人間行動の本質を見極めることはできないという原理が潜んでいるようだ。そもそも、歴史文献には権力に着色される性格を持っている。権力者は歴史を美化する傾向がある。したがって、歴史文献をそのまま鵜呑みにすると本質を見誤る恐れがある。世俗的な風刺などにその本性が隠されていることも多い。著者は、政治演説で、人から聞いたことや、自分で聞いても一字一句記憶することはできなかったことを予め断っていて、主旨をできるだけ忠実に綴ったと語る。特に、戦争といった敵対関係では、感情的になって食い違いも生じるだろう。歴史は分かりやすく記述することはできても、正確に記述することは難しい。正確であっても、その実証も難しいので、あぐらをかいてしまう。政策に対する意見の評価も難しく、常に賛否両論がつきまとう。本書の特徴は、そうした混乱を避けるために、賛否の演説が組となって記されるところにある。これは、議事録としての真実性よりも、更に踏み込んだ真実性とでも言おうか。真実は行動した結果だけをもって判断できるものではない。真の因果関係と、表に現れる因果関係が違うことも多い。人間の行動には、表向きの行動と、その奥底に潜む真の動機が共存する。本書は、演説と決議、理論と実際、知性と行動といった両面から迫ろうと試みる。

2. ヘラス(ギリシャ)の地
ヘラスの地に人々が定住したのは比較的新しい時代のことだという。それまで人々は住居を転々としていた。互いの生命を維持するに足るだけの土地を領有し、物資の余剰を持たず、日々の必要な糧さえ確保できれば十分だった。こうした身軽さから、外敵に侵略されると未練なく土地を捨てることができる。豊かな土地のテッサリア、ボイオーティア、ペロポネーソスは、内乱や陰謀の餌食となっていたという。その一方でアッティカ地方は、土壌の貧しさが幸いして内乱は稀であったがために、古来から同種族が住み着いたという。各地で紛争が起こると、国を追われアッティカ地方へ逃げ延びる。その結果、アテーナイの保護を求めた王侯貴族の数が多いという。アッティカの繁栄は難民の増加によってもたらされ、アテーナイのポリスを巨大化させた。トロイア戦争以前は、ギリシャという国が一致団結した例はないそうな。海洋航行が盛んになると、海賊からの防衛のために城壁を築きポリスが形成される。蓄財するようになると、海軍も組織され勢力が拡大し、その結果トロイア遠征が行われた。ここで、ホメロスの叙述にあるトロイア戦争の規模は、詩人としてのありがちな誇大な虚飾であると批判しているようだ。トロイア戦争後、国を離れる者など住民の入れ替わりが激しく、国力を充実することはできなかった。それは、トロイアからのギリシャ人の帰還が遅れたために社会的変動が生じ、新たな国を建てるという現象が繰り返されたためだと指摘している。その80年後、ドーリス人がヘーラクレースの後裔とともにペロポネーソス半島を占領して、ギリシャにようやく平和が戻ったという。ペロポネーソスはイタリア方面に植民地を建設し、ギリシャ人の勢力が拡大すると、各ポリスでは独裁者が台頭し収益を増大させた。各地に海軍が組織され、ますます海上へと勢力を広げる。ギリシャで最初に三重櫓船を建造したのはコリントス人だと伝えられるそうな。コリントスは、ギリシャ人がペロポネーソス半島を往来する時に通る通商の要地である。コリントスは、船舶を建造し海賊を制圧し、陸海両面の通商で商業の中心となる。アテーナイで軍船が建造されるようになったのは、ダレイオス王のペルシア軍が迫った時だという。ペルシア軍を撃退した後、アテーナイはギリシャの頭となった。そして、アテーナイを盟主とした同盟ができる。同盟財務局はデーロス島にが設置された。

3. アテーナイの民主制確立
戦前からアテーナイでは、急進的な民主派と旧勢力の保守派との間で指導権の争奪が続いていたという。新興勢力の海軍と、旧勢力の重装歩兵との間に政治問題が発生する。この問題を、支配圏拡大と植民地増設によって解決しようとする急進派と、収縮的な解決を狙う穏健派、更に、ペロポネーソスに対する親疎両派の対立などが絡む。そして、急激な民主制の発展にともない新旧勢力の均衡が崩れつつあったという。こうした背景で、著者とペリクレースの特殊な関係がある。著者の所属するキモーンの一派は旧派を代表する。その旧派を打倒し新派を代表したのがペリクレースである。著者の態度は、両派に影響されず、冷静に歴史を傍観する眼力を持っていたということだろうか。アテーナイの新旧両派の争いは、まずキモーンとペリクレースの政治抗争として現れた。キモーンは、海軍を率いてエーゲ海各地からペルシア軍を撃退し、後のアテーナイ支配圏の基礎を築いた。しかし、外交的にはスパルタとは平和政策をとったために破綻したという。勢いずく海軍を支えていた下層市民は、更に生活向上を要求したため、キモーンの内政政策に不満を持ったからである。そこに、下層市民の生活向上を旗印に現れたのがペリクレースである。スパルタが地震と奴隷叛乱のために窮地に陥ると、キモーンは援軍を率いるが、逆にスパルタ側の猜疑を受けて面目を失う。キモーンはその責任を負われて追放刑となる。この頃、法廷も民主派の要求に屈して権限を縮小された。新興勢力はテロ事件まで起こし、その振る舞いには目にあまるものがあったという。キモーン追放後、次々と民主派が勝利して、海軍はエーゲ海のみならずペロポネーソス連邦を牽制し始める。海軍は強化され重装歩兵は弱体化という構図。下層市民は海洋制覇を拠り所にして生活権を獲得する。ペリクレースは、植民地経営権を下層市民に分譲し、都市の美化運動、祭典や競技の振興などで民心を掴む。パルテノン神殿の建築もペリクレースが提案し着工したものだという。ペリクレースの政策は、最初は民主主義を押し進めたが、ある時期から民主主義の行き過ぎを是正し、福祉と国の安泰へ向かう。この時期、「人が人である限り守るべきものとして神が与えたものであり、現世の敵味方のべつなく守らねばならなぬもの。」といった高い道徳性と良心が現れたという。

4. ペロポネーソス戦争の直接原因
アテーナイの隷属国エウボイア島で離反が起こり、鎮圧のためアテーナイは軍を差し向ける。その隙を狙ってスパルタがアッテイカに侵入したが、深入りせずに引き揚げた。エウボイア島を屈服させた後、アテーナイはペロポネーソス側のラケダイモーン人と30年間休戦条約を結ぶ。ペロポネーソス戦争は、この休戦条約を破棄したところから始まった。それは、コリントス人とケルキューラ人の、エピダムノスというポリスを巡っての紛争から始まる。コリントスはペロポネーソス同盟に属す。ケルキューラは、イオニア海に面したポリスで、ギリシャ西方に位置しイタリア方面へ向かう要地でもある。エピダムノスを植民地にしていたのはケルキューラであるが、ケルキューラの母国はコリントスで、両者は遺恨の関係にある。ケルキューラはギリシャ諸国と同盟関係にないが、アテーナイに援助を請う。アテーナイもコリントスとの対立関係を歓迎して同盟参加を認める。いずれはペロポネーソス側と戦争が始まると考えていたので、強力な海軍を擁するケルキューラを同盟に加えることは得策だと考えた。そして、アテーナイとケルキューラのどちらかが攻撃されれば、双方で援軍を出し合うという防衛協定が成立。この同盟参加は、ペロポネーソスとの休戦条約違反にはならない。条文には「条約にその名を連ねないポリスは、意のおもむくままにいずれの側の同盟に参加することを得る」とあるから。条文を逆手に取ったわけだが、一方を害する国が、他方に参加することを容認できるわけもない。コリントスは、ケルキューラへ軍船を送る。アテーナイも、ケルキューラに援軍を送るが、指揮官にコリントス船と海戦してはならないと訓令を与えた。だが、戦争とは勢いで意図しないことが起こる。結局、アテーナイはケルキューラと組んで海戦に加わることになる。

5. ペロポネーソス同盟会議と戦争の原因
コリントスは、ペロポネーソス同盟の諸国にラケダイモーンに集まるように呼びかけた。コリントスの代表は、アテーナイが和約を蹂躙したと批難した。ちょうどこの時、アテーナイは代表使節をラケダイモーンに送っていた。アテーナイの代表も演説で、アテーナイがいかに強大な勢力を擁するポリスであるかを示すことによって脅威を与えようとする。各国の演説の応酬が始まる。ケルキューラ事件に見ぬ振りをする態度に、自由なポリスの尊厳をどう説明するのか?アテーナイ人の演説には、侵略行為への釈明が何一つ述べられていない!平和を守るという名目だけで、侵略を黙認することはできない。そして、票決で開戦が決定される。本書の分析では、戦争の理由はアテーナイがすでに広くギリシャ各地を支配下に従えている現状から、これ以上の勢力拡大を恐れたからだとしている。アテーナイの横暴な態度が、諸ポリスの間で顰蹙を買っていたようだ。

6. ラケダイモーンとアテーナイ間の外交的前哨戦
ラケダイモーンは、アテーナイへ何度も弾劾の使者を派遣し、開戦を正当化する有利な口実を模索していた。神の呪いを清めよ!デルポイの神託を仰げ!などの扇動の応酬が交わされる。そこには、互いに過去の侵略などの不当行為を責めるといった遺恨の深さが現れる。ラケダイモーンは陰謀を企て、ペリクレースを失脚させようとする。ペリクレースも、相手の資金不足や軍事的弱点を指摘し、ペルシア戦争以来のアテーナイの実力を誇示し勝算を裏付ける。そして、戦争完遂の決意と十分な資金の蓄積があれば、戦争に間違いなく勝てると主張する。やがて、両者は戦争不可避の結論に達する。開戦にあたっては、無数の予言も横行する。開戦の直前に、前代未聞の地震がデーロス島で発生すると、多くのギリシャ人はラケダイモーン支持に傾く。ある者はアテーナイ支配からの離脱を望み、ある者はその支配を恐れる。

7. 第一次アッテイカ侵攻
第一次アッテイカ侵攻では、ペロポネーソス勢が撤退しアテーナイは勢いに乗る。この勝利で、アテーナイの国葬の光景が詳細に描かれる。最初の戦没者を祖国の慣習にしたがって、栄誉ある死が崇められる。墓地はポリス郊外の美しい場所にあって、そこに参列者の列ができる。国葬でのペリクレースの演説では、偉大な民主政治を守るために犠牲者となった市民の誇りを賛える。利害得失の勘定にとらわれず、自由人たる信念をもって結果を恐れずに人を助ける。これがギリシャ人の理想的精神のようだ。もはや勇士たちに憐れみの言葉はいらない!とその演説も熱い。

8. 第ニ次アッテイカ侵攻
ペロポネーソスは大勢力で侵攻する。その時、アッテイカでは疫病が流行った。一説によると、疫病はナイル川上流のエチオピアで発生し、やがてリュビアに広がって、更にペルシア領土の大部分をも侵したと言われるらしい。それが突然アテーナイに発生したので、ペロポネーソス勢が貯水池に毒を入れたという噂が流れた。疫病による死者がたちまち急増し、混乱はポリス内の秩序を乱す。命も金も今日限りと思うようになった人々は欲望をほしいままに顕にする。宗教的な畏敬や社会的掟をすっかり失い、アテーナイは疫病と外敵の侵略によって窮迫状態に陥った。人間は困窮すると迷信深くなるもので、予言や神託の祟りのような噂も流布し士気が低下する。この窮地にペリクレースは、ラケダイモーンに使節さえ派遣している。だが、なんの成果もない。こうした弱気の行為は、ペリクレースに対する批難となる。ペリクレースは演説で不屈の精神を訴えるが、群集感情は収まらず罰金刑で落ち着いた。ペリクレースは、開戦後二年六ヶ月生きた。ペリクレースは世人の高い評価を受け、優れた見識をもった実力者だったと評している。彼は畏怖するまで市民を叱りつけ、群集から不安を取り除き士気を立て直したという。やがて持久戦となり、ペロポネーソス勢の兵糧が尽き、人肉を食すという事態まで起きたという。ここに経済力の差が出たのか、遠征軍の不利が出たのか、ついにアッテイカから引き揚げた。翌年はアッテイカへ侵攻せず、その後ペロポネーソス勢は苦戦する。アテーナイの船隊はペロポネーソスの船隊を撃破する。その戦闘シーンでは、アテーナイ軍の技術的経験の高さで圧倒した様子が描かれる。

9. レスボス諸市の離反
ペロポネーソス勢が第三次、第四次アッテイカへ侵攻した頃、ポリスの謀反が起こる。レスボス諸市が離反し、アテーナイはその鎮静化に追われる。クレオーンは演説で離反国に対する極刑論を主張する。離反国を討伐するのに、資金と命を掛けるが、勝利したところで得るものはない。疲弊しきった国は年賦金を納める力も失っていて、もはや戦力として期待できない。離反者の行為は過失ではなく、自発的に謀議を行った。情状酌量とは過失の場合のみに該当する。死刑を科せば、未来において離反者が減るといった意見である。
対して、デイオドトスは処刑に反対の立場をとる。
「良き判断を阻む大敵が二つある。性急と怒気だ。性急は無思慮におちいりやすく、怒気は無教養の伴侶であり狭隘な判断をまねく。」
彼は、怒りの立場からすればクレオーンの意見はもっともであるが、戦争勝利者は裁判官ではないと主張する。ギリシャ諸国の慣例では、様々な罪に対して死刑が定められる。にもかかわらず、浅はかな見込みを信じる者は危険を顧みない。成功を確信していなければ誰も無謀な事はしないだろう。離反する時に、ペロポネーソス側の支援が期待できたからこそ、事を起こしたのではないのか。だが、判断は公私に及んで誤る。これは、あらゆる立場の人間の本性に根ざしているという。人間は、あらゆる過ちを犯すのが本性であって、ほとんど全てを死刑に処してきた今日でさえ、犯罪は跡を絶たないではないか。となれば、死刑にまさる恐怖を与えない限り、死刑だけでは十分な拘束力を及ぼすことはできないだろう。人間は衝動の囚にあり、強い誘惑に盲導されて危険な深みに陥る。だが、一旦思いがけぬ幸福に出会うと、信じられない勇気と力を発揮するのではないか。人間の心情を、法の拘束力とその他の威喝の手段で阻止することは不可能であり、これができると思う者ほど単純な人間である。この条理に従えば、死刑にさえ処せば間違いないと信じる愚かな決定はできないはずだ、といった主張がなされる。アテーナイでは意見が真っ二つに分かれたが、デイオドトスの意見が決議された。そして、首謀者のみを処刑することで落ち着く。

10. 内乱がもたらす諸悪
本書は、戦争があるからこそ、内乱が起こると主張する。平和と繁栄のさなかであれば、国家も個人も己の意に反するように強制されることがないため、より良き判断を選択できるという。しかし、戦時では、円満生活を奪い、人間は弱肉強食となって、ほとんどの感情は目の前の安危へと向かう。そして、後から現れる行為は、先例よりもはるかに過激な行為となる。攻撃手段には復讐感情が加わり、更に残虐化を増す。そして、暴虐が勇気と呼ばれ、先を見通す者は臆病者と呼ばれる。人間の共犯意識は集団行動の中で加速する。優勢な方が寛容な態度で言い分を聞いていたものが、間髪をいれずに暴虐化し狂乱する。こうなると、もはや良識などなくなる。人間は、神よりも復讐を、正義よりも利欲を崇めるようになる。内乱で引き起こされた価値の倒壊や人間性の潰滅といった現象が鮮明に記される。

11. アテーナイ、シケリアで敗北
アテーナイの大軍が押し寄せるという報が入った時、シケリアでは次のような演説で鼓舞する。
「ギリシャ人にせよ、異民族にせよ、本国を遠く離れて繰り出した大軍勢が終わりを全うしたためしがない。いかなる大軍といえどもその地に住む人口を凌ぐことはできない。糧食補給が絶たれては異国の地で挫折する。」
アテーナイは、ペルシア軍と同じ過ちを犯して敗北した。本書は、シケリア諸邦のみが、アテーナイと類似の体質を有する国々であったと分析している。すなわち、アテーナイと同じくらい民主国家であり、軍船や騎馬などの軍備も大きかったと。相手国の反政府分子を利用することもできないほど、民主制が根付いていたと。自由を掲げ、他国の隷属を断固として拒否した結果であり、政治体制を崩すことができなかったことを敗因としている。アテーナイ本国に悲報が伝わっても、当初は誰も信じなかったという。それが真実だと判明すると、市民たちは決議に自らの票を投じたことを忘れて、遠征を支持した政治家たちを一斉に批難した。神託師や予言者などにも憤りを投げつけた。ポリスの多数の重装兵や騎兵を失ったばかりか、国内で第一線の壮年者を失った。船を失い、国庫には余財もない。おまけに、シケリアから襲来される恐れがある。離反国も、大挙して押し寄せてくるかもしれない。アテーナイに隷属していた諸国はその報に熱狂する。最大同盟国キオスが離反し、同盟国の離反が連鎖する。

12. ペルシア王とギリシャの思惑
アテーナイ軍がシケリアで大敗した後、ペルシア王とラケダイモーンが同盟を結ぶ。しかし、ここにはそれぞれの思惑が隠されている。ラケダイモーンからすれば、ペルシア王の資金援助があれば、兵士への給料も支払わられ諸都市が援助される。しかし、ペルシア王からすれば、ギリシャ人同士で互いに傷つけあう方が都合がいいので、この戦争を早く終わらせたくない。アテーナイからすれば、ペルシア王の仲間として支配圏を分け合う相手はどちらが都合が良いかいえば、ラケダイモーンよりもアテーナイであるという意見が支配的である。アテーナイは陸上の支配圏に固執しないからである。その頃、アテーナイでは民主政治の廃止を唱え始める風潮が現れる。そして、一部の有力者による貴族政治へ移行し、四百人評議会が成立する。民主政治を廃止すれば、ペルシア王との関係を良好にできるという意見が支配的だったからである。敗戦の責任を民主制に押し付け、強力なリーダーシップを要求した世論もあったのだろう。ただ、隷属諸邦に貴族派が政治工作したところで、もはや効力はない。そして、ペロポネーソス勢によって自由がもたらされると期待し、自ら自治独立の道を選択する。結局、四百人評議会は離反軍の鎮静化に失敗し、窮地に追い込まれる。この時の状況をほどんどの者が功名心に憑かれて、表向きの政治論を展開していたに過ぎないと、その光景を語る。機能しない貴族政治への不満は最高潮となり、五千人会議による平等な政治体制を模索する。そして、四百人評議会は解体され、貴族と民衆が融合して均衡に達し、悪化を続けていた状況が好転しつつあったという。

13. ニーキアースの最後の演説。
ニーキアースは撤退の兵を励ます。
「諸君、男児らこそポリスをなすもの、人なき城や船がポリスではない。」
しんがりはデーモステネスがつとめた。糧食類も枯渇し、軍兵はただならぬ困窮に陥る。ついに、デーモステネス降伏。続いてニーキアース降伏。両指揮官は処刑され、捕虜も過酷な運命をたどる。筆はこの21年目で終わる。その後、ペロポネーソス戦争は、27年目でアテーナイが降伏することになる。

2009-07-19

"社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」" Max Weber 著

マックス・ヴェーバーに魅せられて、もう一冊読んでみることにした。本書は、岩波文庫の古書「社会科学方法論」(1936年版)の補訳新版である。旧書はしばらく絶版になっていたが、こうして時折復刊してくれるのはありがたい。本書は、難解な文章で悩ましいところもあるのだが、折原浩氏の補訳と解説はその理解を助けてくれる。にもかかわらず、泥酔した精神は身勝手に解釈するのであった。これもアル中ハイマー病の特権である。

ヴェーバーは、社会学を科学的な観点から捉えようとした。認識論の観点から「価値自由」という概念で迫り、方法論の観点から「理念型」で体系化しようとする。その試みは、宗教、経済、政治、法律など多方面から研究を重ねたが、未完成に終わっている。ただ、その完成に見込みがあったのだろうか?科学的に分析するということは、客観性や論理性を保たなければならない。「人間の客観性」とは何か?と素朴に問えば、それは自然科学とは明らかに違う。人間行動とは、伝統的慣習、宗教や思想による信仰や倫理観、歴史による民族性、個人の経験則など、あらゆる諸条件が絡み合って生じる現象である。協定や契約など社会関係の制約で生じる義務や使命感もあれば、集団意識に扇動されたり、社会的制裁を恐れて心理的抑圧によって行動することもある。稀に、アル中ハイマーのように「気まぐれ」を信仰している人もいるだろう。その多様性には限りがない。人口増加がそれをますます顕著にする。行動の動機は、単純な利害関係だけでは説明できない。というより、個人の理念に沿った利害関係に基づくと言った方がいいかもしれない。奉仕や援助などの人道的行動は、個人の価値観において合理的に作用しているはず。人間はいまだ絶対的価値観を見出すことができない。価値観は個人の中に相対的に育まれるのであって、精神の合理性にはカオスの世界がある。本書も、無限の諸条件の中から法則性を見出すことは不可能といったニュアンスを匂わせる。ただ、個人の環境による諸条件の違いはあれど、条件の因果関係から人間行動の動機が生じるのも事実である。人間は直観的に追体験する能力を持っている。感情移入とはそうした現象の一つであろう。とはいっても、理解不能な行動も多く存在する。主観と客観の双方からアプローチして、最終的に融合することはある程度可能かもしれない。人間のタイプを、抽象化して区分や分類することは可能であろう。これが、社会学における「科学する」ということであろうか?ただ、カテゴリー分析論から社会問題を解決できるところまで学術的に高めることは難しかろう。本書は科学の限界を問題提起しているようにも思える。

一つの命題に対して、論理的な裏付けができたら、そこに安心感が生まれる。人間が客観的論理や体系化を追求するのは、精神が安住の場を求めているとも言えよう。そこで得られる快感も主観で解釈するから、人間とは得体の知れない生き物である。自己責任と他人責任の区別をするためにも、客観的な判断や論理的な説明が必要である。となれば、自己責任の範囲、ひいては精神の縄張りを明確にするために、科学的説明を求めているとも解釈できる。客観的に、論理的に説明できる人を見かければ、憧れてしまう。しかも、冷静な面持ちで渋い声で語りかければ、それだけで世論はいちころだ。ヒトラーのような演説の天才であれば尚更。政治マフォーマンスも政治能力の一つではあるが、大衆も経験を重ねるごとに胡散臭さを感じていくだろう。

以下は、酔っ払った精神が気まぐれで章立てている。なぜかって?そこに泡立ちのいいビールがあるから。本書に関係があるような?ないような?この解釈がヴェーバーの意図するものかどうかは知らんがねぇ!もはや泥酔した精神を諌めることはできないのだから。

1. 社会学で科学する
当初の科学は、おそらく実践的見地から始まったのだろう。リンゴが落ちるから重力理論が誕生する。臨床体験から医学を発展させる。数学の起源は、占星術が宗教と結びついた結果といったところだろう。政治論や経済政策では、理想と実践の立場で論争が繰り広げられるが、最初は実験的な模索から始まったのだろう。実践的方法は、経験的な反省から構築されていく。そこでの問題に対する思考方法は、主観から発生し、客観的な見解が求められることになる。工学は実践的に考察する分野であり、科学と数学に密接にかかわる。社会科学は、理論科学というより現実科学という意味合いが強いように思える。社会政策は、現実政策にならざるをえないからである。社会を分析する時、条件さえ固定できれば、ある程度の体系化は可能である。ただし、その条件が無限に存在するから困ったものだ。無理やり統計的に処理すれば多少の効果はあるが、真理の探求からは程遠い。はたして、人間社会の平均的価値観といったものを計測することができるのだろうか?それでも、本書は、個人認識の「価値判断」と「理念型」を形式化し、計測可能な領域へ持ち込もうとする。学者の立場からすると、真理の探求が不可能であるのと、それを諦めるのとでは違うということであろうか。不可能性を証明したり、科学的認識の限界に迫るのも意義深いはず。少なくとも、くだらない体系化による欺瞞が蔓延ることを抑制する効果はありそうだ。歴史的には、科学的解明が人間中心主義から徐々に離れさせる役割を担っている。

2. 理念型
複雑系を分析するプロセスとして、まず現実から遠ざかった単純化モデルから始める。科学的手段として、抽象化レベルを変化させながら考察する方法はよく用いられる。単純モデルでは、資本主義的な私的資本の増殖という利害関係だけで支配される社会を想像することはできる。その一方で、思想的に理想像でまとめあげたユートピアのような社会モデルを想像することもできる。人間の行動様式をある条件で縛ることによって、特定の理念をモデリングすることは可能である。本書の主旨は、こうした理念型を集めて、多様な実体へ少しずつ近づこうとすることである。そして、階級や身分によって理念型を言及し、売春婦というカテゴリーからも一つの理念型が構築できると主張している。とはいっても、一つの理念型に属す人々の行動も様々であり、時代が変われば区分そのものに見直しが迫られるだろう。自然主義的な理論と歴史とを混同すると本質を見誤る。やっかいなのは、価値観や理想像は時代によっても違うことである。
「思想が人間をもっぱら論理的に強制する力が、歴史上いかに巨大な意義をもったにしても、マルクス主義はその顕著な一例であるが、人間の頭脳にある経験的、歴史的事象は、通例、心理的に制約されたものと理解されるべきであって、論理的に制約されたものと理解されてはならないのである。」
本書は、マルクス主義の特有な法則や構成が、理論的に欠陥がない限り、理念的性格をそなえていると語る。だが、これはマルクス主義の科学的見地を皮肉っているようだ。いや!誉めてんのか?いずれにせよ、ヴェーバーはマルクス主義とは違う立場にあると主張している。理念型の概念は、その型に嵌る人々から見れば、それ自体は矛盾のない宇宙となるはず。しかし、すべての人間を理念型に当てはめるには、抽象度を上げなければならない。厳密な分析を求めれば理念型は無限に枝分かれし、下手すると人間の数だけ生成されることになりはしないか?もはや、社会学で人口論を無視することはできないはずだ。人口論のもとでは、戦争は奇妙な論理で成り立つ。世界恐慌時代、雇用を創出するために軍備を強化して帝国主義へと邁進した。しかし、大量に兵隊が死ねば、その補充で子供の量産が求められる。雇用の創出と子供の量産は、若年層の大量死によって相殺される。寿命の短い時代もそれなりに均衡されていただろう。少なくとも人口比に対して地球資源が無限に見えている間は。では、現在は?若年層の失業問題がある一方で、少子化問題を訴えながら子供をたくさん産むことを奨励する。まるで老後の面倒を押し付けるかのごとく。おまけに、地球資源の枯渇という問題が絡む。もはや、人間の遺伝子を突然変異させて、地球環境外でも住める生物に進化しなければならない段階にきているのかもしれない。

3. 集合知
集合知は、正しい方向へ、あるいは自然法則へ導くという意見もある。それも一理ある。ネット社会では「大衆の叡智」と賛美する人も多い。だが、人間の集団力には偏向を助長する危険性が高い。驚異的なベストセラーが発生する一方で、出版業界が揺れ動くのも、そうした現象の一つであろう。「口コミ」や「おすすめ商品」でいくら星印が並んだところで、その影には購入を誘導する思惑が透ける。匿名性は紳士をも凶暴化する。SPAMを送りつける連中を抹殺したいと思う人も少なくない。人間社会がどんな形態をとっても、コミュニティが形成されるところには必ず醜態を曝け出す。容易に拡がりを見せる社会ともなれば、その醜態を助長するのも自然であろう。
ここで、いったん政治に目を向ければ、各党派の行動が集合知として真理へ近づいていると思っている人は少数派であろう。政治屋が目論む意見の調停が、科学的客観性に基づいているとは到底思えない。むしろ、既得権益の維持に必死で、思いっきり主体性の中でうごめいている。おいらは、昔、政治家は理系出身者でなければならないと主張していた時期がある。社会システムを構築する上で、理系的な分析が必要だと考えたからである。しかし、ある知人から未納三兄弟で一世風靡した某元党首は理系出身者だと指摘されると、その考えはあっさりと崩れ去った。論理的思考に、文系や理系という枠組みに囚われることに、なんの意味もなさそうだ。政治家は、しきりに国益のために行動すると発言する。では、国益とは何か?既得権益のことか?グローバル化が進むと国益という概念も怪しい。一国の事情だけで経済動向を見極めることなどできはしない。情報化社会では、ある現象が自分の理想と矛盾すると、それに関心を持った人々で集まりやすい。彼らは、だいたい似通った理想像を持ち、親和力によって結束する。そして、客観的意見で集まったはずが、いつのまにか同士となり、科学的な思考も偏ってしまう。人間関係は、濃厚であってもドライであっても善し悪しがある。

4. 経済に関わる現象
本書は、「経済現象」、「経済を制約する現象」、「経済に制約される現象」を区別する。「経済現象」とは、取引所や銀行など、経済制度に直接関わるもの。「経済を制約する現象」とは、宗教や歴史などによる信仰や倫理観などから生じるもの。「経済に制約される現象」とは、不景気や経済危機によって、人間行動に制約が生じるもの。また、国家が法律で経済を制約する場合もあれば、逆に、経済動向が国家の行動を制約する場合もある。不景気下では、政府は無闇に税金を上げることもできず、節約方向の政策を取らざるを得ない。こうしてみると、直接経済制度に関わるものを除けば、あらゆる文化事象にまで拡大されることになる。経済現象には、政治、宗教、風土、その他無数の要因から様々な反応が起こる。所詮、直接経済に関わる制度やシステムだけを考察したところで、経済動向を見渡せるものではない。にもかかわらず、経済の専門家は、直接経済に関わる現象ばかり追いかける。

5. 偶然性の評価
歴史事象には無数の偶然性が潜むが、はたして偶然性を演繹する方法はあるのだろうか?自然科学の発展が、社会現象の合理的考察と密接に結びついているのは事実である。個人の価値観から解放されたい、あるいは偶然性からも解放されたいという願いから、概念の体系化は進む。ここで、「ナポレオン言行録」の中に偶然性について語った一文があったのを思い出す。
「軍学は、好機を計算し、次に偶然を数学的に考慮することにある。しかし、こうした科学と精神の働きを一緒に持っているのは天才だけである。創造のあるところには、常に科学と精神の働きが必要である。偶然を評価できる人物が優れた指揮官である。」
貨幣経済は法則的に把握できるという見解があるが、それも仕方がない。貨幣量は計測できるからである。しかし、経済は貨幣量だけでは計測できない。人間行動をも計測する必要がある。人間行動は精神を相手取った心理学の領域にある。経済学者たちは偶然性ですら統計情報に基づいて無理やり定式化する傾向がある。学説というものは、統計情報で武装されると、なんとなく説得力を感じるものだ。人間の精神は、規則性に支配された世界でないと安住できない性質を持っているのだろう。ただ、無理やり定式化すれば誤謬を犯す。現象と真理の違いを見極めるのは困難な作業である。「歴史は繰り返す」と言われるが、何も歴史が繰り返されるわけではない。諸条件はいつの時代も異なる。ただ、歴史を学ばなければ同じ過ちを犯す。事実認識を経験的妥当と混同するのは、人間の深層心理にご都合主義がつきまとうからであろう。

6. 国家という奇妙なシステム
人間が生まれると国家に自動的に、あるいは強制的に編入される奇跡ともいうべき社会システムがある。そこには理念の強制がある。幼い頃からの教育によって、その強制に疑問を感じることすらない。国家は歴史的に育まれたもので、国家観は自然に植え付けられる。では、この奇跡のシステムから逃れることはできるのだろうか?巧みな法律術を駆使すれば可能かもしれない。自由にどの国家にも属さないという身分保障があってもいいような気がするが、物理的には難しい。もし、そんなルールを作ろうものなら猛反対されるだろうが。人間には、どこかに所属して安住の地を求める性質がある。だが、現実には、生まれながらにして孤独という境遇を持ったほんのわずかな人々も存在するだろう。あらゆる社会に認識されず、アウトローに生きる人々もいるだろう。日々を無人島で魚を釣って過ごすような世界、電子メールや携帯電話の煩雑さから解放され世界、俗世間から離れた世界、こうした世界に憧れる。おまけに、ホットな女性に囲まれれば完璧だ!ここで、アル中ハイマーは理想の理念型を見つけた。これをハーレム型と定義しよう!

2009-07-12

"社会学の根本概念" Max Weber 著

本書の表紙には「社会学の泰斗」と紹介される。マックス・ヴェーバーと言えば、しばしば経済学で見かけるが、こちらが本職のようだ。まぁ、社会学的な見地のない経済学者は、単なる統計調査員だと思っているので、違和感はまったくない。本書は100ページと薄っぺらなので立ち読みに絶好と思ったのだが、内容は結構分厚いので買ってしまった。「社会学の根本概念」は、ヴェーバーの死後出版された「経済と社会」の巻頭の論文だそうな。彼は、宗教、経済、政治、法律など多岐に渡って社会研究を重ねたが、その試みは未完成に終わったという。それは残念!しかし、完成する見込みはあったのだろうか?
本書は、「社会学とは何か?」といった素朴な疑問を提示してくれる。そこには、社会学の根本原理が綴られる。それは、科学的に理解することであるが、数学的な解明とは少々意味合いが違っていて、人間的な部分を排除するわけではない。科学と同様に明瞭化しようとするもので、社会科学の分野であることは間違いない。

ところで、あらゆる研究分野で「科学する」とは、よく耳にする。複雑な問題を解決するにあたって、まず、その正体を解明しようと試みるのは自然な思考であろう。そこで、必ずと言っていいほど用いられるのが、区分や分類といった抽象化手法であり、そこに法則性や規則性を見出そうとする。本来、人々が求めるものは、社会問題を解決することである。研究者は科学的アプローチで問題解決に期待をかけるが、人間社会や精神を相手取った問題がそう簡単に片付けられるわけがない。
そこで、「カテゴリー分析論で何が解決できるというのか?」と自問すると、泥酔した精神は「では、それ以外に何ができるというのか?」と返してくる。「思考の試みによって問題解決ができなければ、それは無駄というものではないのか?」と問えば、「人生とは、死までの暇つぶしである。」と答えやがる。
もし、矛盾性と複雑系が宇宙原理の本質だとすれば、物事の解釈は自己の中にしか見出せないだろう。ただ、科学的思考は、客観的で冷静な判断を試みる上でも有効であり、個人の主観的解釈を手助けしてくれる。頭に知識を詰め込むだけの知識至上主義では、答えを先に求めようとする傾向がある。人間は忙しいのだろう。だが、社会学のような複雑系で、体系化した解決策を安易に求めるのは、都合が良すぎる。知識を探求しながら、ある解釈に到達する過程にこそ、人生の醍醐味がある。どんな難問でも答えが簡単に見つるのであれば、人生は空虚なものとなろう。そして、退屈のあまり、くだらない悩みを無理やりでっち上げてノイローゼになるのがオチだ。

ヴェーバーは、人間の意志が自由になればなるほど、学術的に理解しやすくなり科学的な考察が有効になると主張している。つまり、社会学においても、自然法則に従った客観的な考察がしやくすなるという。
しかし、だ!自由意志が拡大すれば多様性が増し、より複雑系に向かうのではないのか?人間社会におけるエントロピー増大の法則とは、人間の凡庸化を意味しているとでも言っているのだろうか?あるいは、精神の成長が、社会の合理性へ向かわせるとでも言っているのだろうか?確かに、現代の政治は凡庸な指導者の登場が甚だしい。ネット社会でうごめく群集の自由意志は、大衆の叡智として平均化され、スーパースターが出現する可能性を低くするのかもしれない。人間が近視眼的に利害関係に基づいて行動しやすいのは事実であるが、歴史的理念や伝統的慣習、あるいは信仰的な倫理観などが、しばしば行動を動機付ける。奉仕や援助といった行為もあれば、名誉や評判に固執する行為もある。人生の目標が金儲けだけではなく、精神の探求といった哲学的思想に頼る人もいる。浪費に命をかける人もいれば、貯蓄に生き甲斐を感じる人もいる。なにがなんでも長生きしたいと願う人もいれば、短い人生でも有意義に生きたいと考える人もいる。自らの不幸な境遇から人道的に目覚める人もいる。協定や契約に縛られて、義務や使命感を強く持つ人もいる。これらすべて個人の利害関係と言えなくはない。生き方の多様性には限りがない。人間行動には、合理性と非合理性が共存する。というより、人間の持つ合理性とは、個人が解釈する価値観であって、個人の論理に支配される。精神には、感情と理性が同居する。これらの要素を区別して分析することは有用であるが、無理やり対立させることもない。そこで、まず客観的な考察から始めて、徐々に主観的な要素を加えていくことになる。
本書は、合理主義という言葉で苦悩する姿をちらつかせる。これを合理主義と呼ぶかどうかは知らん!ただ、客観的合理性だけに着目するのではなく、個人の理念に着目するところに共感を覚える。当時は合理主義という言葉が高い地位を得ていたのかもしれない。いまだに経済学者は合理主義という言葉がお好きだ。経済学者には、ヴェーバーを見境なく合理主義と解釈する人がいるらしい。

以下は、アル中ハイマーの勝手な御託を並べてみた。それは酔っ払いにとって本書の文章が難解だから。この解釈がヴェーバーの意図するものかどうかは知らん!単に、酔っ払った精神が社会学を気まぐれで綴りたくなっただけのこと。難解な文章がBGMのように流れる中を、思考を解放させながら読み続けた結果に過ぎない。偉大な哲学書を読んでいると、しばしばこうした心境に陥る。本書にもそうした感覚を覚える。

1. 社会学とは
本書は、人間あるいは人間行動が社会に及ぼす影響について語る。これは、個人の行動を理解するという最も基本的な考えに基づいている。しかし、個人の目的や価値は、経験則に従ったり、主義思想に基づいて思考されるので複雑極まりない。更にやっかいなのは、人間の意識は集団行動や集団意識に極めて敏感ということである。人口が急激に増加し、人間社会はますます複雑化する。おまけに、煩雑な情報が群集心理を気まぐれにする。もはや、人間社会を解釈するには、統計的手段を用いるしかないようにも思える。そこで、民主主義では効率的な手段として多数決を用いるが、この方法が万能なわけではない。そもそも、群集を平均化や近似化できるものだろうか?集団的人格なるものが存在するのだろうか?極右と極左のまん中を取ると、社会はとんでもない方向へ行きそうだ。また、うまい言い回しで扇動すると、多数派を勢いづけてしまい、もはや個人の意志なのかも疑わしい。では、個人の行動を解釈するには、どうすればいいのか?体験することが意味解釈の絶対的条件ではない。人間は疑似体験する能力を持っているから感情移入もする。とはいっても、個人の行動には、理解可能な部分と理解不能な部分が混在する。生物学的な解釈では、個人を細胞の結合や化学的反応の複合と見ることもできる。しかし、そうした視点で行動様式や心理的要素まで解明できるのも、ずーっと先のことであろう。となると、社会学の分析は絶望的にも思えてくる。しかし、解明できないのと諦めるのとでは意味が違う。人間は、人間自身を理解するために、永遠に思考をめぐらす運命にあるようだ。したがって、「社会学とは、人間を理解しようとする永遠の努力である。」という帰結を得るのであった。

2. 主観と客観
本書は、まず主観と客観を区別して考察を進め、後でこれらを融合して理解しようと試みる。そして、合理的な領域では、知的な情報を素直に受け入れながら数学的、論理的な考察で迫り、体験できない領域では、感情移入など追体験的に迫ると語られる。とはいっても、感情移入は、個人の持つ経験則にも影響されるので、客観的な解釈だけでは満足な結果は得られないだろう。純粋な客観性を議論することも難しい。人間は、ほとんど主観性に支配されながら、それにも気づかず客観性を主張する。客観性を求めるために、宗教思想に頼る狂信者がいたり、伝統的慣習に無条件に従う人もいる。道徳観や倫理観にも個人差があり、人間の動機に大きな影響を与える。少なくとも、慣習的動機は、安定性を求めリスクを避ける方向に働くだろう。
人間の精神は、知性と感情の葛藤の中にある。一般的には、知性を合理性と、感情を非合理性と結びつける。しかし、知的な解釈が必ずしも合理的とは言えない。知性から得られる論理には不完全性が潜むからである。また、感情的な解釈が必ずしも非合理とは言えない。科学には直観から合理性を導いてきた経験がある。主観の領域には、その人にしか理解できない理念とも言うべき動機がある。

3. 集団行動
一般的に、集団分析に統計的手法は有効とされる。しかし、人間社会がパニックを起こせば、それも無力であることは経済現象が示している。比較社会学も有効ではあろうが、複雑化が増せば効果は薄いように思える。知識を解釈せずに、ただ曝け出したところで何も解決しない。そこで、暫定的な解釈が横行する。その余計な解釈が混乱を招くことも多い。しかも、それが集団意識となった時、社会全体を誘導するから恐ろしい。個人の解釈が複雑な要因に依存するのであれば、多様な考えがあってしかるべき。にもかかわらず、集団意識として一方向へ向かうのは矛盾しているようにも映る。しかし、人間の心理には、同じ思考をめぐらすことで不安を解消するという性質がある。一人に不幸が訪れると、なぜ自分にだけ降りかかるのかと理不尽を感じずにはいられない。ところが、多勢で不幸を共有すれば、同志という感情で慰められる。集団意識では、論理的思考よりも、不安を避けようとする防衛本能が勝っているように映る。そこで、論理的思考で集団意識から遠ざかろうとする人々が現れる。これも同じように、論理的な理由付けをして不安から逃れようとする防衛本能が働いているわけだが。集団意識では、悪行は多数派によって正当化され、「赤信号みんなで渡れば怖くない」となる。では、規制強化すれば社会秩序が守れるかというと、そうはならないから困ったものだ。規制する側も人間だからである。やっかいなのは、規制する側が理性を持っていると自我自賛しているところである。自らの理性や道徳に自信を持っているところに、傲慢さが現れるのは自然法則であろう。人口増加で社会が複雑化すれば、悪行も複雑化する。これもエントロピー増大の法則に従っているのかもしれない。集団意識に、平均的意識といったモデルが構築できると便利であるが、それも難しい。集団意識の恐ろしいところは、特定の扇動者がいるわけでもないのに、情報の流布によって群集行動が自然発生するところである。個人に意志がなくても集団意志に感化され、群集の一部となって思考停止状態に陥る。ウォルター・リップマンは、その著書「世論」の中で、ジャーナリズムの本質は人間の理性に頼るしかないと悲観的に語った。政治支配力によって秩序が形成されるよりも、集団意識によって秩序が形成される方が望ましいが、人間社会はそのような自然法則の流れに乗っているのだろうか?

4. 秩序
古代では、秩序を守るために伝統主義があった。祟りや迷信めいた恐怖心によって心理的ブレーキをかけた。予言者の神託もこれに当たる。現代では、慣習的な価値観に論理的合理性が加わった。というより、論理的合理性の方が勢いがある。それも、社会制度に科学的見地が加わった証であろう。その結果、様々な自由が誕生した。行動様式が衝突すると競争も生じる。そして、自由競争によって社会的に淘汰されるといった現象もある。結局、人間社会は、長い歴史の中で多数派に落ち着くようにできているのだろうか?古い時代、議論は満場一致が原則であった。現代では、多数決の登場で民主主義社会に効率性をもたらした。その分、論争に遺恨を残し、次の選挙で勢力分布が塗り替えられると、一度決まった制度が簡単に覆される。民主主義を主張する中に、多数決至上主義に陥る人も少なくない。それも仕方がないだろう。大方そのように教育されているのであるから。しかし、多数決にも多くの欠点がある。少数派の弱者を強制することでもある。自己主張がなければ、自己防衛のために多数派に鞍替えすることで、多数派を助長させ、少数派に平和的暴力を強いる。民主主義の本質がどこにあるのかは難しい問題である。もはや、全ての人間が幸せになれる万能な社会体制は存在しないだろう。もし存在するとすれば、善悪の基準を全ての人間で共有できなければならない。つまり、人間社会における絶対的価値観の構築である。これは絶望的である。ならば、最初から諦めて、柔軟な社会体制を築く方が現実的である。民主主義が優勢な現在では、これをベースに社会主義や他の体制を融合してみるのも一つの方策であろう。どんな方法を用いたところで、すぐに限界にぶつかり妥協点を模索することになるだろうが。自由の概念は難しく面倒である。相手の自由を認めれば自分の自由を阻害するという矛盾を抱える。自由を崇め過ぎれば、競争が激化し敗者が生まれる。それも、少数の勝者と多数の敗者に分かれるからやっかいだ。そこに、多数決が機能すれば、多数派の敗者が勝利して均衡されるのかもしれない。となると、勝者と敗者の境界線にいる人間は、有利な方が選択できる絶好の立場と言えるだろう。善悪の規準がはっきりできなければ、とりあえず極端な悪行を取り締まるという現実的な発想が生まれる。では、「極端な」とは誰の規準なのか?現実路線は不公平を招くことになろう。結局、善悪の基準は右往左往するしかないのかもしれない。

2009-07-05

"地獄変" 芥川龍之介 著

何を血迷ったか?今度は芥川文学に触れている。精神の泥酔はとどまるところを知らない。この手の文学作品は、学生時代に退屈するものというイメージを徹底的に叩き込まれている。本であれ、なんであれ、受け入れられる心の準備ができていなければ、素直にはなれない。許容範囲を超えた芸術を強いられると、反感さえ芽生える。なにしろ、国語の成績では学年で最下位を争っていたのだ。もし、学校の授業で扱われなかったら、もっと早く芥川文学に触れていたに違いない。

芥川龍之介は代表作を持たない作家と言われるらしい。どれを挙げるかは専門家でも意見が分かれるようだ。彼自身、代表作を意識的に拒んでいた節があるという。一つの作品を代表格とすることで、作家として安住を求めるのは邪道だ!とでも思ったのだろうか?作品の多くは短篇集で、どれを読んでも呼び起こされる精神はばらばらである。したがって、好みによって、あるいはその日の気分によって代表作の入れ替えが起こる。こうした作品群は、浮気性のアル中ハイマーにはピッタリだ!それにしても、この文章の流れはなんなんだ。一つ一つの形容の仕方、長ったらしい表現のわりにはしつこくない、とげとげしいようでまろやか、倦怠感の上にまったり感のてんこもり、そして何よりもリアリズム、精神の複合体の連続とでも言おうか。手も足も出ない芸術には溜息がでる。著者は自殺しているが、死を覚悟した迫力がなければ、素朴な精神に近づけないということか?これが破滅に向かった自我から出現した文体というものなのか?日本は、偉大な哲学者が思い当たらないことから哲学後進国と揶揄されることもあるが、どうしてどうして!日本文学にこそ庶民的な哲学がある。おいらは、言葉で人間の思考を完璧に表現できるとは信じていない。人間の創造した言語の体系で、精神を言い尽くせるとは到底思えない。だが、こうした緻密で隙のない心理描写を見せつけられると、その考えも少し揺らぐ。ここで知りたいのは、著者が自らの文章で、どこまで自分の精神を表現できているのだろうか?ということである。その満足度は作者本人にしか分からない。外面的には、思考の限界は言語表現の限界に等しい。だが、内面的には計り知れない。その限界を意識できるのは、思考自体は言語の限界の境界線をまたいでいることになる。まさに芥川文学は、技巧といったレベルでは片付けられない領域にあろう。

本書は集英社文庫版で12作品を収録した短編集。芥川作品でまず思い浮かぶのは、黒澤映画の「羅生門」である。そのシナリオは「藪の中」に基づく。この二作品が本書に含まれるのはありがたい。「トロッコ」は学校の教材にあった。その頃の退屈な印象しかないので読む気がしないが、一つぐらいは許そう。「蜘蛛の糸」は、幼少の頃、絵本で読んだ覚えがある。アル中ハイマーの芥川文学の知識といえば、所詮この程度のものだ。ところが、いざ読んでみると、そこには、孤独感、神経質さ、繊細さ、懐かしさ、純粋さ、退屈さなどなど、いろいろな心情が錯綜する。「地獄変」や「羅生門」のように物語風のものがあるかと思えば、「蜜柑」のようにとるにたらない光景を題材にしてくる。「藪の中」は推理小説風でありながら、結末は釈然としない。「大川の水」では、精神の拠り所となる原点を探り、「秋」は三角関係をいじらしく描く。「トロッコ」は子供心を懐かしく思い出させ、あまりにも不安定な芥川文学の中に、こういう作品を見つけると安心できる。「奉教人の死」は異色過ぎて消化不良、何度読み返しても理解の範囲を超えている。といった様々な趣向(酒肴)が凝らされる。

1. 大川の水
誰しも、故郷を感じるような精神の原点とも言うべき存在があるだろう。本作品は、そうした子供の頃から慣れ親しんだ故郷の様子を、大人になった視点から眺める。昔の感覚を忘れてしまうということは、精神が成長したことの証なのか?それも懐かしいようで淋しいものがある。そのくせ妙な暖かさがある。時代が移り変われば、今となってはなくなった光景もあろう。本作品の締めくくりは、なんとも印象的だ。
「その後「一の橋の渡し」の絶えたことをきいた。「御蔵橋の渡し」の廃れるのも間があるまい。」

2. 羅生門
時代は平安朝、京の都で地震や飢饉などの災いが続々と起こった。洛中はさびれ、羅生門には引き取りのない死人を捨てていく習慣さえできた。そこで雨宿りをする一人の下人。主人から暇を出されて行く当てもない。もはや、盗人になるしか生きる道はないが、決心できずにいる。そこには、下人の心の善と悪の葛藤がある。羅生門の楼の上へ出てみると、老婆が死人の髪の毛を抜いている気味悪い姿がある。近寄って問いただすと、死人の髪の毛を集めて鬘にするという。そして、ここで死人になった連中は、それぐらいされても文句の言えない奴ばかり、飢え死にしても仕方ない奴らだと答える。下人は、その話をきいているうちに餓死することが馬鹿らしくなり、仕方なくするのだから、老婆が身ぐるみ剥がされても文句は言えないと、着物を剥ぎ取ってしまう。
芥川作品では、とおして、罪人を一方的に悪として扱うのではなく、善と悪の対比を描いているように見受けられる。人間が生きるとは、善意と悪意の共存の中で葛藤しながら生きているだけのことかもしれん!

3. 鼻
池の尾の僧である禅智内供(ぜんちないぐ)は五、六寸の長さのある滑稽な鼻を持っているために、人々にからかわれた。心ではこの鼻で悩んでいたが、僧侶という立場からもそんな素振りを見せるのはみっともない。飯を食う時も、弟子に鼻を持ち上げてもらわなければならない。この鼻のために妻のなり手もないと噂され、その鼻のために出家したのだろうと言う者もいる。内供は、鼻のために自尊心を傷つけられた。そこに、弟子が医者から治療方法を聞いてきた。それを試してみると、気にならないほど鼻は小さくなった。しかし、他人は、見慣れた長い鼻が短くなって滑稽に見えるのか、おもしろがっている。逆に、内供は世間の評判から鼻が短くなったのを恨めしく思うようになる。ある晩、鼻がむず痒い。そして、再び鼻が長くなり、鼻が短くなった時と同じような晴れ晴れした気持ちが戻る。内供はもう自分を笑う者がいなくなると思った。だが、他人は、自分が思っているほど、その境遇を心配しているわけではない。ただ、おもしろがっているだけである。
人間には二つの矛盾した感情がある。ほとんどの人が他人の不幸を同情する。だが、その不幸を切り抜けると嫉妬もする。自分よりも不幸な人間に同情し、自分よりも幸せな人間に嫉妬する。人間は、幸福という価値観を、自分と対比しながら相対的に判定することぐらいしかできない。所詮、同情心も自分のエゴからは逃れられない。つまり、人間は、幸福の正体を知らずに生きているのだろう。

4. 芋粥
時代は平安朝、摂政藤原基経に仕える五位の話。旧記には姓名が明らかになっていないので、おそらく平凡な男だったという。侍所にいる連中は、ほとんど彼に注意を払わない。ただ、性質の悪い悪戯をされる。五位は、腹を立てたことがなく、意気地の無い臆病な人間だった。五位は、周囲の軽蔑の中で犬のような生活をしているが、ただ一つ芋粥に異常な執着心を持っていた。当時、芋粥は無上の佳味として万乗の君の食膳に上せられたというから、正月にお目にかかるぐらいで、五位のごとき人間の口には滅多に入らない。そんなある日、正月に饗宴を催すことになった。侍が一堂に集まる食事の中に芋粥があった。人数が多いので、いつも五位が飲める芋粥は、ほんの少し。その日は特に少なく、思わず「いつになったら、これに飽けることかのう」と呟いた。その言葉を聞いた藤原利仁が嘲笑う。そして、飽かせてみようということになった。五位は、利仁が酔っていたので、いつものようにからかわれていると思った。後日、なんと!利仁は芋粥を食べさせるために、京都から遠く敦賀の舘へ連れて行った。到着したその晩、いざ芋粥がたらふく飲めることが現実味を帯びてくると不安になる。翌日、館には芋粥がいっぱい用意される。しかし、「飽くほど」というのは、そういう意味ではなく、長々といつでもゆっくり味わえるという意味である。あまり多すぎると興醒めである。
「人間は、時として、充たされるか充たされないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人にすぎない。」
人間は、夢が叶うのを待ち続ける時間こそが、何よりも幸福であろう。ほどほどに満たされるから情緒も感じられる。どんな小さな夢でも、叶ってしまったら、いくらかの喪失感を感じずにはいられない。他人からどんなにみすぼらしく見えても、何らかの夢を胸に抱いて生きられる人は幸福であろう。

5. 地獄変
良秀という絵師は高名だが傲慢、とかく評判の悪い人物であった。見た目も卑しく、ケチで欲張り、恥知らずで怠け者、強欲で負け惜しみが強く、なにかと馬鹿にせずにはいられない。御霊の祟りも足蹴にする。良秀が描いた絵は気味が悪い評判ばかり。天人のため息をつく音や啜り泣きする声が聞こえるとか、死人の腐っていく臭気がするとか、絵に写された人間は三年と経たないうちに病死するとか、弟子ですら「智羅永寿」という渾名をつける。しかし、良秀本人はその評判がかえって自慢である。そんな人物でも、一人娘を狂ったように可愛がった。娘は、優しく、親思いで、容姿も美しい。大殿様は、その娘の気立ての良さを気に入って小女房にするが、良秀は娘可愛さのために不服である。子煩悩な良秀であるが、いざ絵を描くとなると娘の顔を見る気もなくなるほど、何かに憑かれたようになる。鎖で縛られた人間を描く時は、弟子をぐるぐる巻きにして、実際に殺すのではないかといった極度のリアリズムを追求する。ある日、大殿様は地獄変の屏風を描くように命じる。良秀は屏風が書けずに涙を流して苦悩する。そして、大殿様に見たものでないと描けないと訴える。地獄変の屏風を描くには、地獄を見なければならない。災熱地獄を描いたのも、先年の大火事を眺めることができたからである。良秀の構想では、檳榔毛の車が空から落ちてくるイメージがある。その車の中には上臈が、猛火の中に黒髪を乱しながら悶え苦しむ姿があるという。大殿様は嬉しそうに望みを叶えてやると言って、車の中で悶え死ぬ女を用意した。車の中には、罪人の女房を縛って乗せてあるという。火をかければ、肉を焦がして苦しみ喘ぐのは必定。すかさず、大殿様は笑いながら観物じゃ!と火をかける。ところが、車に乗っていたのは良秀の娘であった。良秀は思わす車の方へ駆け寄ろうとしたが、火の上がった瞬間、足を止めて食い入るばかりに絵を描き始める。そして、恐ろしいことに娘の断末魔を嬉しそうに眺めている。その一ヵ月後、地獄変の屏風は出来上がった。屏風の出来上がった次の夜、良秀は梁に縄をかけて縊れ死んだ。一人娘を殺してまで完成させた芸術。その前で安閑と生きながらえるのは堪えられなかったのだろう。ところで、大殿様は良秀に恨みでもあったのだろうか?いや、単なる道楽か。

6. 蜘蛛の糸
お釈迦様が極楽の蓮池の縁をぶらぶらしていた。地獄をちょいと覗き込むと大罪人がいた。その大罪人はたった一つだけ善いことをした。小さな蜘蛛を助けたのである。お釈迦様はそれを思い出して、地獄から救い出だそうと考えた。そこにちょうど蜘蛛がいて、蜘蛛の糸を地獄の底へ垂らしてやった。大罪人は、喜んで糸をつかんで上へ登ってくる。あわよくば、地獄から抜けて極楽へ行けるかもしれない。しかし、地獄の底の血の池には他の罪人も多勢いる。しばらく登っていると、他の罪人たちも行列を作って登ってくる。自分一人でさえ切れそうな細い糸。この糸は俺のものだ!降りろ!降りろ!と叫ぶ。その瞬間、糸が切れ、みんな地獄の底へ落ちていった。お釈迦様はこの一部始終を見ていた。自分だけ地獄から助かろうとする無慈悲な心、幼少期に絵本で読むには良い題材であろう。

7. 奉教人の死
御降誕祭(クリスマス)の夜、「ろおれんぞ」という少年が飢えそうに倒れていた。伴天連の憐れみで奉教人衆(キリスト教信者)が養うことになり、「しめおん」という人が「ろおれんぞ」を弟のように可愛がった。「ろおれんぞ」が元服の頃になると、仲良くしていた傘張り屋の娘との関係が噂になる。その関係を伴天連や「しめおん」が問いただすと、「ろおれんぞ」は否定する。そのうち娘は身ごもり、腹の子は「ろおれんぞ」の子だと言ったものだから、「ろおれんぞ」は破門された。「しめおん」は欺かれたと腹を立て「ろおれんぞ」を殴った。やがて、傘張りの娘は女児を出産する。一年後、長崎の町の半分を焼き払った大火事があった。幼子が火の中の家に取り残されてしまう。その時、突然「ろおれんぞ」が現れた。火をもろともせず無事幼子を助けるが、「ろおれんぞ」は瀕死の重傷を負う。世間は、さすが親子の情愛は争えぬと罵った。しかし、傘張りの娘だけは跪いて、幼子は「ろおれんぞ」の子ではないと懺悔する。娘の行為は「ろおれんぞ」を恋い慕ってのことだった。奉教人衆は涙を流しながら哀れな「ろおれんぞ」を救い給えと祈る。ところが、驚いたことに、瀕死の「ろおれんぞ」の破れた衣の隙間に乳房が見えた。なんと!「ろおれんぞ」は女だったのである。なぜ、女であることを隠し通したのか?最初から打ち明けていれば破門されることもなかったものを。娘の一途な心を大切にしたいということか?それとも、作者のキリスト教への特別な思いでもあるのか?この作品には、さり気なく、禅宗の無我の境地とキリスト教の友愛とが対比されている。結局、人間の精神は宗教に依存するものではないということか?
「なべて人の世の尊さは、何ものにも換へがたい、刹那の感動にきわまるものじゃ。暗夜の海にも譬へようず煩悩心の空に一波をあげて、いまだ出ぬ月の光を、水沫(みなわ)の中に捕えてこそ、生きて甲斐ある命とも申そうず。されば「ろおれんぞ」が最期を知るものは、「ろおれんぞ」の一生を知るものではござるまいか。」

8. 蜜柑
披露感と倦怠感の入り混じる中、ぼんやりと汽車の発車を待つ。客車には一人しかいないどんよりとした光景。いよいよ出発という時に、慌しく一人の小娘が乗ってきた。田舎臭く下品な顔立ちが気に入らない。おまけに、三等切符で二等車に乗り込んでくる愚鈍さに不快感を持つ。巻煙草に火をつけて、その存在を忘れようとする。夕刊を読んで気を紛らわす。夕刊には平凡な記事ばかりで憂鬱を慰めるほどではない。トンネルの中の汽車、紙面に埋もれる汚職事件、おまけに小娘への不快感、なにもかもが「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」と表す。いつのまにか小娘が隣にきて、重い窓ガラスを開けようとする。まさに、汽車がトンネルに入ろうとしている時に。汽車がトンネルに入ると、煤煙がなだれ込み咳き込む。頭ごなしに小娘を叱りつけようとした、その時、汽車は貧しい村の踏み切りにさしかかった。踏み切りの向こうには、頬の赤い三人の男の子が立っていた。町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着た男の子たちは、いっせいに喚声をあげる。小娘も窓から半身を乗り出して喚声に答える。そして、男の子たちへ蜜柑を投げる。そこで、はじめて奉公先に向かう小娘が、見送りにきた弟たちに蜜柑を投げて答えていることを知る。すべては汽車の窓の外で起きた一瞬の出来事。得体の知れない朗らかな気持ちが湧き、別人を見るような気持ちで娘を見つめる。娘はあいかわらず3等切符を握りしめている。
「私はこの時始めて、言いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、不等な、退屈な人生をわずかに忘れることができたのである。」

9. 舞踏会
17歳の令嬢明子は父親と一緒に鹿鳴館へ向かう。初めて舞踏会に臨む彼女の心境は、愉快な不安と形容すべきか、落ち着きが無い。鹿鳴館に入ると、彼女はその不安を忘れるような出来事に遭遇する。フランスの海軍将校が踊りを申し込んできたのである。踊った後、二人はバルコニーに出る。将校は静かに星空を眺めている。明子は将校の顔を覗き込んで「御国のことを思っていらっしゃるのでしょう」と甘えるように尋ねる。将校は、ほほ笑みながら首を振る。そこに、ちょうど花火があがる。将校は、「私は花火のことを考えているのです。われわれの生(ヴイ)のような花火のことを」と答えた。
ここで突然!舞踏会の風景から老婦人の場面に切り替わる。今では老婦人となった令嬢が面識のある青年小説家と汽車で乗り合わせる。青年が持っていた菊の花束を見て、老婦人は菊を見るたびに思い出す話があると言って、鹿鳴館の舞踏会の思い出を話して聞かせた。青年は話を聞き終えると将校の名をご存知ですかと聞く。ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方と答える。青年は、あの「お菊夫人」を書いたピエル・ロテイですねと興奮する。老婦人は不思議そうな顔をして、ロテイという方ではなく、ジュリアン・ヴィオという方ですと呟く。
本作品は、ほとんどが舞踏会の様子を細かく描くために紙面が使われ、老婦人の様子は1ページという奇妙な構成。にもかかわらず、最後の1ページにインパクトがある。自分だけで素晴らしい思い出に浸る時というのは、時間の流れをも忘れさせてくれる。なんとなく忘れかけていた感情を思い出させてくれるような作品である。

10. 秋
姉妹と従兄の三角関係の物語。姉は将来作家として文壇に立つことは間違いないと言われる逸材だった。姉と従兄は誰もが認める仲。しかし、姉は女学校を卒業すると別の男と結婚したので、妹が従兄と結婚した。姉の心には未練が残っていた。姉は小説の制作に取り掛かかるが、夫から嫌な顔をされる。姉と夫の仲は決して悪いわけではない。妹は、自分の従兄への気持ちを姉が察して別の男と結婚したと思い込んでいる。姉はその妹をいじらしく思う。はたして、姉の結婚は犠牲的なものだったのだろうか?姉自身も未練の原因が分からない。秋に帰京した姉が妹夫婦を訪れる。姉妹は互いが幸せではないことを感じとったのか、探りを入れ合う。妹は、従兄が自分と結婚した後も、姉のことを思っていることを知って嫉妬する。姉は、妹夫婦が素直に幸せになれないことを、内心喜んでいる自分を認識する。そして、妹とはもう他人という意地悪な心まで湧き上がる。
この作品は、特に女性が自分の気持ちを素直に表すのが難しい時代を表しているような、そんな社会風潮を語っているような気がする。

11. 藪の中
藪の中で発見された一人の男の死骸について、検非違使が真相を究明しようとする。主な登場人物は、盗人と、殺された男の妻と、もう殺されたので物の言えない死霊の三人。本作品は、推理小説風に始まるが、まったくの異色である。おもしろいのは、三人の言い分が全く矛盾するところであるが、よくもまあこんなシナリオを考えつくものだ。
まず、盗人が白状する。女を手ごめにするために男を縛り上げたと。そして、女を奪われた男はどうせ死ぬ運命にあると。世間の言葉やらで殺されることもある。盗人は手ごめにした女に妻にしたいと申し出た。これは色欲なんぞではないという。女も男を殺さないと踏ん切りがつかないだろう。しかし、卑怯な殺し方はできない。そこで、縄を解いて堂々と太刀打ちをしたという。その結果、殺したのは俺だ!どうぞ獄刑にしてくれ!というわけだ。
次に妻が証言する。手ごめにされたところまでは同じ。ただ、手ごめにされたからには、もう夫とは一緒にいられない。そこで、木に縛られていた夫を刺して、すぐに後を追うつもりだったが、死に切れなかったと懺悔している。
最後に、殺された男の死霊が語る。もちろん死霊の声は人間には届かない。その話によると、盗人が女を手ごめにした後、女を慰めた。一度肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合わないだろう。盗人は大胆にも、どうせなら自分の妻にならないかと持ちかける。妻もその気になる。妻は、気が狂ったように、夫を殺してくれ!と叫ぶ。死霊は妻を呪う。どうせなら妻も殺して欲しいと。妻は藪の奥へと走り去った。盗人は太刀や弓矢を取り上げて、一箇所縄を切って藪の外へと去った。そして、二人が去った後、夫が自害したという。
この作品は、盗人に弓も馬も何もかも奪われたあげく、藪の中で木に縛られ、妻が手込めにされる様子をただ見ていただけの情けない男の話ということのようだ。自殺を無理やり殺人事件にしようとしているのか?

12. トロッコ
冒険心と心細さといった子供の純情心を、昔を懐かしみながら振り返る様子を描いている。三人の子供が土工がいない隙にトロッコを押して遊ぶ。そこへ、土工がきて怒鳴られる。ある日、二人の親しみやすそうな若い土工がトロッコを押していた。子供は一緒に押すと言ってトロッコに乗せてもらう。夕方、薄暗くなった頃、土工たちはここで泊まるから、帰りな!と言われ途方に暮れる。随分遠くへ来たものだから帰るのも大変、線路沿いに走って帰る。幼い子供が、見知らぬ世界を必死に走りぬけ、家近くに着くと安堵して泣き出す。こうした8歳の頃の思い出を、26歳になって懐かしんでいる。ただ、本作品から、学校教育で叩き込まれた退屈なイメージを払拭することは難しい。