2008-06-29

"真説ラスプーチン(上/下)" Edvard Radzinsky 著

以前から、アル中ハイマーは、社会主義がなぜロシアで起きたのか?という疑問を持っている。歴史教育では、資本主義の枯渇によって生まれたと教える。ちょうど世界恐慌の時期と重なったことがそうした発想になるのかもしれない。だが、もし社会主義が資本主義の枯渇によって起きたのであれば、なぜ?資本主義の成熟したイギリスやアメリカで起きずに、資本主義後進国のロシアで起きたのか?今日、既に社会主義やマルクス主義は崩壊したと言われる。しかし、今まで出現したものは本当に社会主義だったのか?実は、未だ歴史上に真の社会主義モデルは出現していないのではないのか?こうしたことを考察するには、マルクス主義をまともに読むしかないであろう。それも少々勇気がいることであるが、いずれマルクスの言った「疎外」にも挑戦してみたいと思っている。
それはおいといて、ここではもう一つ興味を持っていたラスピーチンについて読んでみよう。ロマノフ王朝からボリシェヴィキに向かう中、後に「ラスプーチンなくしてレーニンなし」と言われた。おいらは、ボリシェヴィキの源流がここにあるのか?となんとなく興味を持っていた。そういえば、最近までロシア大統領にも似たような名前があった。元KGBであることが冷酷な印象を与え、過去が謎めいていることから「ラス・プーチン」と皮肉られることもあった。しかし、歴史の俗説は時代とともに変化する。ロシアの神話では悪魔と聖人が入れ替わることも多い。血なまぐさいニコライ2世は、後に聖ニコライとなり、父であり教師であったスターリンは、血なまぐさい怪物となった。聖者レーニンも、血なまぐさい噂は絶えない。

時代は、ロマノフ王朝の末期。最後の皇帝ニコライ2世は闇の力に操られたと言われる。その闇で君臨したのが怪僧と言われたラスプーチンである。彼は読み書きもままならない農民、つまり「ムジーク」であるにも関わらず皇族への影響力は絶大であった。聖書に関しては優れた知識をもち、素朴で、教養がある人間よりも物事がわかっている。彼の言葉には、謎めいた格言のような形で、神がかりなうわ言のような予言力がある。また、彼のまなざしと、人に軽く触れる手には、催眠効果があったという。その一方で、売春婦や無数の婦人など、彼が「馬鹿女ども」と呼んだ人々を宗教と色欲を混同した半狂乱の中に陥れた。まさしくオカルトの世界である。こんな人物がなぜ闇の世界で君臨できるのか?彼はどんな人物だったのか?本書は、そうした疑問に挑んだ作品である。著者は、反ラスプーチンの証言が数多く出回る中、ラスプーチンの信奉者や友人の証言が多く収録されたファイルを入手したことが本書を執筆するきっかけになったと語る。本書には、数々の証言や回想、取り調べ記録から信憑性を探り、真相を暴こうとしたラジンスキー流の推理小説っぽい味わいがある。ラスプーチンは、自分自身の暗殺を予言している。その予言は、暗殺が親類の陰謀によるものならば、皇族一族も暗殺されるだろうというもの。そして、予言通り皇族一家も暗殺される。果たしてこれは予言なのだろうか?単に皇族を脅して自らの保身を計ったに過ぎないのではないのか。暗殺者によると、毒を盛られたのに生きていた、また、何発かの弾丸を打ち込まれたにも関わらず生きていたという証言がある。彼の逸話には魔人伝説が散乱する。しかし、人間は、狂人を悪魔の偶像に仕立てるには、そうした伝説とも言える筋書きを流布するものである。ましてや、神秘主義に惑わされてきた歴史のあるお国柄である。本書は、そうした仮説を暴いていく。

1. ロシアで流行るカルト宗教
暗殺や謎の死、様々な矛盾と恐怖にむしばまれた時代、こうした時代がオカルト的な雰囲気を蔓延させ、人々の日常生活は霊的なものを求めていたという。確かに、降霊術がこれほど発展した国はないのかもしれない。ロシアでは、ドストエフスキーやトルストイのような文学者を生み出した一方で、超能力者を生み出している。こうした背景は非公認の異端宗派を乱立させる。本書は、中でも「鞭身派」と「去勢派」について言及している。鞭身派における乱交は、肉欲を抑制するためであり、自らを清める儀式である。これをキリストの兄弟愛と称する。敬虔な人間は、罪を犯すと、苦悩を味わい懺悔する。その結果、魂の浄化が起こり罪人は神に近づく。罪と懺悔の間を行き来することに意味があり、神への道を示すものとされる。清らかな体にこそ聖霊が宿り、罪によって罪を追い払うという奇妙な理屈があるようだ。子供は肉から生まれたのではなく聖霊から生まれると信じるので、女性自身が聖母と自覚できる瞬間がある。18世紀半ばに、鞭身派から分かれた去勢派という新たな狂信者を生む。鞭身派の性的堕落を非難し絶対的な禁欲を唱える。男根の去勢処置は、灼熱した鉄を使い、斧も用いられる。女性の手術は、外陰部、乳首、乳房が切り取られる。本書は、この罪を犯すことの重要さを理解しなくては、ラスプーチンを理解することができないと語る。

2. ラスプーチンの教え
ラスプーチンは、鞭身派からスタートしたという。磔にされたキリストは復活せず、復活したのはキリストが説いた永遠の真理のみ。そして、「すべての人間がキリストになれる」と主張する。そのためには、自らの内にある肉欲、つまり、旧約のアダムや罪の人を殺さなければならないというのだ。ラスプーチンの使命とは、神の弱い創造物である女性たちを、罪から解放してやることだという。彼にとって愛こそ神聖なもの。自然の万物に対する愛。キリスト教的な家族愛。女性が夫を愛していれば、それは触れるべきではないが、夫を愛さずに結婚生活を送っているならば罪深い。結婚という制度には、従属する愛と反対の立場をとる。真実の愛が存在しないものはすべて罪と考える。同性愛者で偽りの結婚生活をしていた皇帝の妹には、彼女を抱き、愛を伝染してやろうと試みる。ラスプーチンから愛を授かったものには、性的な放埒から解放され、見えない糸で永久に結ばれると考えていたのだ。なんとも神秘的というか幼稚というか、巧みな触れ合いで催眠状態に陥れる。悪魔のいちばんずる賢いところは、人々に悪魔などいないと信じ込ませることである。だが、ラスムーチンは書き残す。「悪魔はすぐそばにいる」と。

3. 皇族との結びつき
ロマノフ王朝は、血族同士の殺し合いの伝統をもつ。そこには閣僚の暗殺も横行する。王位継承のために企てられた陰謀の数々、皇帝の短命、名誉ある死など、あらゆる信憑性は疑わしい。本書は、そもそも王朝は本当の存続していたのか?という疑問まで投げかける。そして、エカテリーナ女帝時代に、終焉を迎えていたのではないだろうか?という仮説を持ち出す。その後を継いだ息子パーヴェル1世は、実は彼女の愛人の子で、ピョートル3世の実子ではなかったという回想録が残っているという。ロシア帝国の法律では、皇族は、皇室または国家の支配者の家系に属さない者と結婚できない。よって、皇帝が、副官から妻を横取りするなどのスキャンダルも横行したという。そうした陰謀の渦巻く王家にあって、皇帝ニコライ2世は数々の試練を迎える。皇太子アレクセイの血友病。日露戦争の敗北。1905年の血なまぐさい革命。こうした背景は、皇族一家が「神の人」を待ち望むという状況にあった。そんな時期に、予知能力と千里眼を備えるという評判のあったラスプーチンが近づく。予言、奇蹟、死者と話す能力を備え、ロシア艦隊が日本艦隊に敗れることを予言していたという。彼には、催眠的な力を持った目、予言者、治癒者、民衆から出てきたなど、条件は整っていた。ロシアでは、読み書きのできな農民、素朴な人間にこそ貴重な才能が宿るという思想があるらしい。彼は、病気の皇太子に謁見して心を静め、医者が治らないと宣言した病も将来治ると予言した。また、革命で自らの殻に篭った皇帝にも、恐怖心を払い勇気を与えた。特に、皇后は、自身の神経発作を取り除いてくれたラスプーチンの神秘的な力を崇拝するようになる。これぞ催眠療法である。彼は霊的な高みに到達した存在であり、詩的な瞑想をしきりに働かせたという。その一方で、国会は、レイプなどのスキャンダル記事、売春婦あさりに関する報告、犠牲者たちの証言を引き合いに出す。宮廷の高官たちや女官たち、首相や大臣、皆が口を揃えてラスプーチンの堕落振りを報告した。こうした情報は全て皇帝夫婦に届いていた。にも関わらず皇后は信じなかった。そして、ラスプーチンを陥れようとした人間は、例外なく失脚する。かねてから、右翼や秘密警察は、都合の悪い官僚たちを抹殺してきた経緯がある。彼は首相の死を予言している。本書は、皇后はラスプーチン依存症であり、皇后の「第二の自我」とまで蔑む。ラスプーチンを認めるか否かが、皇権への忠誠と同意語なのである。ラスプーチンが書き記したとされる文章には、催眠的な力と見事な文学的センスがうかがえる。しかし、読み書きもできず無学な彼がこれだけの文量を残すことは不可能である。実は、影の執筆者は皇后とその女官たちだったというのである。

4. 政治介入
バルカン戦争で、トルコに敵対する正教国セルビア、モンテネグロ、ギリシャ、ブルガリアで秘密同盟が結ばれる。ロシアでは、宗教上の同胞であるバルカン同盟が、トルコのイスラム教徒たちを打ち負かすという汎スラブ主義の古い夢想が持ち上がる。つまり、ロシアを盟主として、かつてロシアがキリスト教を摂取した古きビザンチン帝国の心臓であるコンスタンチノーブルを首都に据えて、正教スラブ民族の大連邦を作るという構想である。これに対して、オーストリアとドイツが参戦。「バルカンの火薬庫」は一触即発となる。ロマノフ家の血筋は戦争を好む。ロシア帝国は伝統的に好戦的な皇帝たちの国である。ニコライ2世も例外ではない。内外から戦争介入の気運が高まる。ところが、皇帝は戦争に踏み切らなかった。これはラスプーチンの意向と一致する。ラスプーチンは、ドイツの一大勢力に比べてバルカンのスラブ人らは豚どもだという発言がある。そんな連中のためにロシア人が血を流すことは許されないと主張する。彼の言葉は予言として受け止められたのかもしれない。こうした流れが闇から操ったと噂されるのであろう。だが、冷静に考えると、日露戦争敗北と革命の後遺症から、ドイツと戦える余裕はなかったはずである。そうした状況で、単に皇帝が政治的判断を下したに過ぎないのかもしれない。ちなみに、皇后はドイツ出身で、ドイツとの戦争を回避したいが、口外しにくい立場でもある。

5. 王朝崩壊へ
第一次大戦が勃発する頃には、皇帝一家以外、あらゆる人間がラスプーチンに反感を持っていた。皇帝は第一次大戦によって国家体制が強化されると信じていた。日露戦争でもそう考えたが、敗北と革命で思惑が外れる。皇后とラスプーチンは反戦を唱える。新聞は、激しい反ラスプーチン・キャンペーンを展開する。世論は、またもスラブ民族を裏切るのかと煽り立てる。そんな折に、ラスプーチン暗殺未遂事件が発生する。女性からナイフで切りつけられて重傷を負ったり、自動車事故などなど。これに対抗するラスプーチンの武器は民衆の請願書である。実業家、武官と文官、貧しいロシア人、財産はあるが権利を認められないユダヤ人、彼らは巨大な官僚機構を嫌っていた。そうした連中から請願書を募り、官僚を介さず直接宮廷へ送り届ける。その中から資金を持った人々と人脈を築き、ラスプーチンはユダヤ人銀行家と結びつく。ロシアの情勢は中途半端な資本主義と反ユダヤ主義がまかり通っていた。その中で特定のユダヤ人が地位を握る。ラスプーチンもユダヤ人銀行家に利用されていく。これにマスコミも黙っていない。国際的ユダヤ勢力の支配と捲くし立てる。ラスプーチン陣営には、この人脈から本物の陰謀の名手たちが出現した。しかも国際級の陰謀家である。秘密警察との関係を結んだ二重、三重スパイ。まさしくジェームズボンド級である。陰謀を企てられても、逆手にとって権力の剥奪ができると自信を深める。だが、戦局が打開できないのは、ドイツ人の皇后とラスプーチンのスパイ行為だと噂される。

6. ボリシェヴィキの源流
1915年「ムジーク」が自立し、自らの考えを示唆するようになる。そして、スターリン時代のボリシェヴィキ帝国を彷彿させるような進言をする。やりはじめた戦争は勝利するまで徹底的に完遂すべし。第二次大戦下、スターリンは鉄の手で全工場生産を前線の需要に振り向けた。ラスプーチンも同じような提案を皇帝夫婦に繰り返す。菓子製造所でさえも軍装備の製造がなされるべきだと主張する。そして、農民や地主から生産物の強制的接収、工場の国有化と軍事化が進む。更に、国家機構を強化するために、全国の貧しい役人たちの賃金を上げることを協議する。その財源は、資本家からの課税により奪い取る。こうした事業はボリシェヴィキによって完遂されるが、ラスプーチンは、レーニンに先駆けて提案していたという。つまり、ボリシェヴィキは、ロマノフ王朝最期の皇帝によって着手されたことになる。本書を読んでいると、ボリシェヴィキの始祖はラスプーチンのように思えてくる。ここに、ソ連型社会主義国家の序章が始まる。

7. ビクトリア女王の孫たちによる戦争
本書とは少々外れるが、ここで血筋についてメモっておこう。イギリス国王ジョージ5世は、ビクトリア女王の孫で、ロシア皇帝ニコライ2世と従弟、ニコライ2世の皇后アレクサンドラも従妹である。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も、母方はビクトリア女王の孫である。ビクトリア女王は、子供達をドイツを中心とした各国に嫁がせ、晩年には「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる。ビクトリア女王自身が血友病の因子を持っており、ロシア皇太子アレクセイを始めとする男子が次々と発病した。つまり、第一次大戦は、いとこ同士の喧嘩でもある。

2008-06-22

"回想の明治維新" レフ・イリイッチ・メーチニコフ 著

本屋を散歩していると、メーチニコフの名が目に入ってきた。そう言えば、ある歴史小説にこの人物の紹介があったことを思い出す。ただ、その小説がなんだったかは思い出せない。それも数ヶ月前のことである。本書が岩波文庫であることから、多分そのあたりであろう。今、ウォッカを飲みながら、本棚を眺めているが、それらしいものが見当たらない。そうだ、アル中ハイマーは昨日の記憶すらさかのぼれないことを忘れていた。

レフ・イリイッチ・メーチニコフは、ノーベル生物学・医学賞を受賞したイリヤ・メーチニコフの兄である。トルストイの小説「イワン・イリイッチの死」の主人公のモデルが、メーチニコフ兄弟の長兄で、小説では「三番目の息子は失敗だった」という三男で登場する人物が、実は次男の著者のことらしい。著者は、欧州の革命運動、中東やバルカンの民族解放運動にも参加した経歴を持つ。その反政府運動に参加した経緯からも、異端児であったことが想像できる。トルストイが失敗者と形容しているのも頷ける。著者は、諸民族には独自の革命的伝統があると考えていたようだ。当時、欧州では、極東諸国を「アジア的停滞」として文明の遅れを主張する意見が一般的であったという。そんなおりに日本で起きた革命に興味を持ったようである。彼は、あらゆる外国語を操る。本書でも日本語にかなり精通していることが見て取れる。本書は、そのロシア人革命家の日本回想記である。原題は「日本における二年間の勤務の思い出」といい、19世紀後半ロシアの日刊紙に連載されたらしい。著者は、明治7年から1年半滞在し、東京外国語学校で教鞭をとった。たった2年足らずの在日期間で、ここまで研究できた眼力には驚嘆させられる。そこには、民衆側を向いた視点があり、著名な学者や宗教伝道者の観察とは一線を画す。そして、明治維新が、ペリー来航を始めとする欧米列強の介入によるものとする意見は過大評価であり、そもそも日本民族の土着的革命であると主張している。また、日本人の民度の高さに魅了された様を語り、その要因を日本史をさかのぼって考察している。政治体制の考察で驚くべきは、鎌倉時代の前から南北朝時代に、その源流を求めている点である。明治維新ともなれば、単に徳川家の世襲独裁制への反発とも取れそうだが、象徴的立場の天皇家と実権を握った幕府の二重構造までさかのぼっているところは、感動ものである。これほどの魅力的な書籍が、それほど知れ渡っていないのも不思議な気がする。いや、単にアル中ハイマーが無知なだけであろう。

こうした、外国人による日本人論が展開されると、日本民族について考えさせられるものがある。日本は単一民族と言われるが、それは本当だろうか?人類の発祥がアフリカで、そこから世界中に広がったという説に従えば、最も東まで進んだのが日本民族ということになる。それは、最も根性のある民族と見て取れるかもしれない。あるいは、最も臆病で逃亡してきたとも取れる。いずれにせよ、勤勉さによって資源のない国を富ませてきた伝統がある。
本書の考察で注目すべきは、当時の日本の歴史家が中国の影響を受け過ぎていると指摘している点である。地理的条件から見ても、文化の源流は大陸にあると考えるのも自然である。しかし、現在では、明治時代の政治機関や官僚制度は、西欧から取り入れたとする意見が多い。学校教育においても、明治時代の日本の政府機関は、ドイツの最新システムを取り入れたと教える。だが、官僚制度については疑問が残る。これは、むしろ中国を手本と見る方が自然に思える。現代の官僚制の基盤をなしているのは、まさしく中国の伝統システムであり、その悪の根源は科挙であると言いたい。本書でこうした考察がないのは当り前である。だって時代は、もう先に進んでいるんだもーん!ただ、本書はなんとなく日本の官僚制度の方向を予測していた節がある。と思うのは、想像の飛躍し過ぎだろうか?透明で澄んだウォッカには、酔っ払いの純粋な想像力を掻き立てる力がある。科挙は、高級官僚をペーパーテストで募集する仕組みを母体とする。一見公平そうに見えるところに落とし穴がある。逆に言うと他に人員を補充する手段がない。社会的経験が少ない上に、実態社会に対する目利きがなく、出世競争に囚われる。まさしくキャリア官僚はこの呪縛に嵌る。一方、アメリカでは、大統領が代われば高級官僚も総入れ替えとなる。そして、彼らは民間に活躍場を求め、そこで実績を積み、場合によっては中央官庁に迎えられる。よって、ダイナミックな政策や情報に長けている。中国は1500年もの長い年月をかけて科挙を廃止してきた。にも関わらず、未だに古代システムの亡霊に憑かれている。日本は猛スピードでその亡霊を追いかけている。この実態を目の当たりにしたら、メーチニコフは何を語ってくれるだろうか?

1. 日本到着
到着するなり、和船の画一性と奇妙な形に驚いている。古代ローマのガレー船を彷彿させる古風な形をしており、いかにも遠洋航海には不向きであると語る。これは、徳川家の世襲独裁制のもと、法令に定められた船しか作らせないという政策に基づいている。鎖国は、欧米人の暗躍やキリスト教宣教団の陰謀に神経をとがらせた政策である。世界から隔離するには、外国人を日本に入れないだけでは不十分で、日本人の遠洋航海技術も封印する必要がある。こうした背景は将軍制の歴史を探るべきであると述べている。
おもしろいことに、快適な人力車は日本独特なものなのに日本人自身は海外の文明だと思っていると述べている。へー!人力車って日本人の発明なんだ。

2. 日本人の特質
日本人は、素朴で感受性豊かで信じやすい。欧米人にとっては利用しやすい民衆であると語る。内乱状態に乗じて、各藩は高い武器を買わされ、舶来品を高値でにぎらされている。そこには、まさしく金のなる国があり、山師のような多くの欧米人が詰め掛けたとある。しかし、元々資源の乏しい上に、内乱で疲弊しきっている国が、投機に相応しい場とは思えない。やがて、連日の倒産、保険金目当ての放火、ストライキなど混乱の時代へと突入し、欧米品も下落、欧州バブルも消えて、外国商人は没落していく。そして、売れ残った商品にとてつもない保険金をかけ、放火に委ねるなどの詐欺行為が横行した。治外法権も楯にとり、やりたい放題であった様が語られる。

3. 日本語の難しさ
著者は日本人の識字率の高さに驚嘆している。その起源を仏教の影響だと考察している。極度に貴族主義的なバラモン教への反発としてインドで仏教が生まれる。仏教伝道者たちは、布教活動のために難解な中国語は不適当だと考えた。会話に出てくる音節を記述するだけなら50音で十分である。漢字は文字そのものに意味を持たせるが、仮名文字は音と綴りだけを表記する。西欧のどの国もわずか26文字覚えれば、意味は分からないとしても読むことができる。しかし、日本ではこうした西欧的書式こそ難解だと思っていることが奇妙だと語る。西欧では、読み書きの学習法を簡略する方向に注意を払っているという。読み書きで10年以上も費やすよりも、本質的な学問を優先したいからである。しかし、そこまでしても文盲撲滅に成功した国はほとんどないという。日本では義務教育が昔からあったわけではない。学校といえば特権階級のものである。にも関わらす識字率の高さは全国に行き渡っている。それも寺子屋のような仕組みが伝統的にあるからであろう。新しいものに適応し発展するためには、まず中華主義から自らを自由に放つことが大切で、そのための内的改革には長い歳月がかかることを、日本人は熟知していると評している。

4. 日本小説の特徴
日本の小説は、騎士道小説と驚くほど似ているという。英雄的、好色的要素が主役を演じる。英雄的要素は、組織や家紋の名誉のために、自らの命を犠牲にする剛毅なサムライ像を描く。好色的要素は、被差別身分の女性を題材とするのが典型で、上流階級の男と実らない恋に落ちるという筋書きを感動的に描く。濡れ場の叙述となると、これでもかといわんばかりに猥褻な度合いを強め、挿絵が一層拍車をかけリアリズムを煽るという。日本的ユーモアには、繊細な観察眼と真実をずばり洞察する慣性のバランスを取り上げている。ただ、怪奇的や空想的要素も大衆文化には多いが、西欧ほどではないらしい。この方面では、一般的に極東の諸民族は、想像力の豊かさや鮮やかさは際立っていない。日本の神話は、かなり貧弱で生彩を欠いているという。こうした歴史的な観察は、大衆文学にまでおよび、法律により制約を受けているにも関わらず世相風刺が18世紀に顕著に見られるようになったと語る。

5. 日本人は演劇好き
芝居とは、緑の草の上に座るという意味だ。足利政権の長期の失政の頃、尾張地方の熱田神宮が破壊される。この重要文化財でもある神社再興のために資金を募るために京都で演劇活動が始まる。これが阿国の歌舞伎である。出雲の阿国って出雲大社だよなあ。尾張から織田信長が統一に向かったのも何かの因縁かもしれない。徳川時代、役者は、乞食、娼婦らと同じ最下層の身分とされた。売春を国家制度に取り入れたのも家康の時代であると記している。ただ一人、市川団十郎だけは医者、天文学者、画家などと同等の世襲的権利が認められた。日本の演劇は種類は豊富だが、半世紀以上も前に固定化されて刷新したものはないという。日本人は新し好きにも関わらず、昔馴染みの作品ばかりを好む。人気のある小説で舞台化されていないものなどない。因みに、この国には本屋が無数にあるという。同じ物語でありながら、その展開は画一的な拘束も受けず、迫真性とリアリズムによって際立っているという。これらは、騎士道文学に通ずるものがあると評している。戯曲の内容は、体制批難が規制されるのも当り前で、検閲を巧みにかわしてきた様が語られる。例えば、江戸幕府の非難は足利幕府に置き換える。徳川家は源氏の家系ということになっている一方で、足利家は人間の屑のような扱いにできたという。ただ、著者は足利家の研究にも熱心で、他の時代と比べてもなんらひけをとらないと語っている。

6. 明治維新
黒船出現の意義を誇大視してはならないと主張する。ペリーが来航する以前の30年も前から、根本的に政治や社会の変化を必要とする状態になっていたと分析している。徳川時代は、国家制度上、京都の皇室や省庁の官僚的中央集権制との確執、諸大名の独立、農村共同体の自治、地方貴族による支配など、対立原理の複雑な絡み合いで成り立っている。国民が厳格に定められた形式に従わないと維持できない国家体制であることを見抜いている。それも、いかなる自由を許さず、極度に面倒見のよい、それなりに人道的な圧政だったという。当時、イエズス会やドミニコ教団によって、いずれ日本が征服されるという危機感があった。徳川政権から、天皇権力を太古の神聖さにおいて復活することが国粋派の主流となる。この国粋派の中には徳川家の近親者まで加わる。既に幕府の力が弱体化していた証拠は、大塩平八郎の乱に見ることができるという。日本のインテリジェンスは下級武士から生まれた。彼らは、日本で唯一公認の学問であった中国式古典主義の無益さをとっくに悟っていたという。自発的に欧米学問を勉強することは死罪に処されるにも関わらず勤勉であった。もちろん、ペリーの来航が開国に向かったのは事実であるが、遅かれ早かれそうした流れにあったと語る。欧米人の立場からすれば、こうした見解はもっともな話である。しかし、「あやつられた龍馬」でも記事にしたが、日本人の立場からすれば、もう少し欧米の影響力の元で維新が起きたと考えた方がバランスがとれるだろう。

7. 平家滅亡と落人部落
平家は逃れる時、都である福原を焼き払い西へと落ちていく。平家の女性は全国各地に追いやられ、嫁ぎ先が見つけられなかったものは娼婦になるしかなかった。当時、どんな町でも平家の血筋をひくという娼婦団体を見かけたことが語られる。虚々実々の系図を楯に、当然の権利として独特の貴族衣裳をまとっていたという。もしかして、平家の落人が部落の起源だと考察しているのだろうか?確かに西側に部落が多いということに説明がつく。ただ、これについては、いろいろな諸説がある。部落の発生が、政治的陰謀に巻き込まれた人々の落ちた場所と考えるのも、外国人にしては分析が鋭すぎる。こうした考察からも、日本人の歴史家と交流が深かったことが感じられる。

8. 教養を尊敬する風土
日本は中国と並んで、早くから教育と啓蒙の意義を理解していた世界でも数少ない国であると語る。当時、理論や実践では、欧米の学識は、東洋の天才を凌駕できるレベルであろう。だが、西欧文明は、民衆の習俗奥底まで、深く根をおろしていない。日本では知識層に留まらず、過酷な肉体労働者までもが教育や文化に慣れ親しんでいる。日本では太古以来、国民教育の組織化は、権力者が変わろうと、常に政府の主要感心事であったということは、世界に誇っていいことであると語る。列島に日本民族が出現したのが紀元前7世紀とされる。大陸からの渡来民族が原住民アイヌを追い出し、混血しつつ全領土に分布したとする歴史学者の主張は、後代になって中国で強い影響を受けた日本の年代記に基づいている。こうした史料をもとに説を述べるのは疑わしいと語る。日本の歴史は、それほど古くはない。国家として登場するのは3世紀頃である。この頃、中国を範とした教育と文化の移植が始まる。しかし、中国の官僚主義的民主制が日本にはそぐわないことは、その後の歴史が示しており、「日本の中世国家」でも記事にした。これは後醍醐天皇にさかのぼって論評している。著者は、日本民族の源流を大陸からのものと考えることに強く反論している。現代の歴史学においても、日本文化を大陸文化と大別することは一般的な考えのようだ。

2008-06-15

"洋酒うんちく百科" 福西英三 著

「UEFA EURO 2008」のお陰で睡眠不足気味である。おいらは、このようなイベントを「生」で観ないと気がすまない。興奮を冷ますために、睡眠薬になりそうな本を物色しに、本屋をぶらぶらしていた。すると、「洋酒」+「うんちく」というダブルキーワードが目の中に飛び込んできた。そこそこ分厚く、枕にしても気持良さそうだ。感情のままに、本能のままに、いや!なんでもええや!と、いい加減に手に取る。もはや、ボーっとしたアル中ハイマーには思考力など残っていない。ところが、ひとたび読み始めると引き込まれる。睡眠薬のつもりが覚醒剤になってしまったではないか。本書は、冒頭から次の言葉で始まる。
「神が人間の肘をいまのようにつくったことに感謝しよう!他の動物と違い、人間は酒を飲むべく生まれついている。そして、肘がいまの位置にあるからこそ、グラスがちょうど口のところに来て、酒を楽に飲めるのだ。」
これは、ベンジャミン・フランクリンの言葉を著者が意訳したものだという。どうやらアルコールなしでは読めそうもない。ついでに、生ビールを買って帰ろう。しばらくは「生」漬から逃れられそうもない。

人間には五つの感覚がある。味覚、臭覚、視覚、触覚、聴覚。酒の色、香り、味は、視覚、臭覚、味覚に愉悦感を与える。グラスに触れる冷たい感触にも喜びが涌き、瓶から注がれるトクトクという音にも情緒が現れる。もちろんBGMも欠かせない。酒を楽しむということは、五感を総動員するということである。本書は、酒に造詣な作家や小説、映画の酒にまつわるシーン、音楽と酒の相性などを随所に紹介してくれる。また、歴史とも関わりが深く、知識の方面からも五感に磨きをかけようと仕掛けてくる。ただ、あまりの情報の多さに、おいらは満腹を超えてしまった。「もう飲めねーだよ!」。きっと、本書を何度も読み返すことになるだろう。それも毎回違った酒を飲みながら楽しめるのがいい。本書には、オリジナルカクテルの誕生秘話も登場する。バーテンダーが出会いに感激して、相手に捧げるカクテルを創案するのも社交術の一つである。ちなみに、アル中ハイマーにも特注のカクテルがある。その名は「コスモポリちゃん」。バーテンダーがなんでも作るって言うから、意地悪してコスモポリタンを無理やりフローズンにしてくれ!って頼んだ。その時の心境が、ある出来事に凍りついていたかどうかは定かではない。初めてそれを飲んだ時はまあまあ美味かったのだが、しばらくして、完成品ができたという案内が届いた。バーテンダーは営業テクニックにも抜け目がない。ちなみに、コスモポリタンは、海外ドラマ「SEX and the CITY」でサマンサが注文するカクテルである。

昔はバーで恰好よく注文したいから、少しだけ酒の勉強をしたことがある。それが、いつのまにか何も注文しなくても、バーテンダーが勝手に酒を出すようになっていた。甘やかされたお陰で酒の知識など、すっかり飛んでいってしまった。なぜか?最近はラムをやたらと勧められる。バーテンダーが言うには、アル中の辿り着く酒がラムだという。これは単にからかっているに違いない。もし、勘違いしているなら、念のために言っておかなければならない。おいらはアル中ではない。アル中ハイマーなのだ。アル中はアルコール依存症になるが、アル中ハイマーは何に依存しているかなど覚えられない。よって、自らアルコールを求めることはない。そこに山があるから登るように、そこに酒があるから飲むのだ。たまたま、行付けの店に酒が置いてあるだけのことである。
酒の歴史は短く見積もっても紀元前4000年頃まで遡るという。まだ青銅も陶器も使っていない時代、酒を注ぐには、自然に入手できるものを利用していた。大きな葉を円錐状に丸めたり、家畜の角の内部が空洞になっているのを角杯としていた。角杯は先が尖っているので飲み干すまで手が離せない。やがて角杯は「倒れるもの」と呼ばれたという。ちなみに、タンブラー(tumbler)は、平底なのに倒れるものという意味がある。ただ、アル中ハイマーには、酔っ払ってぶっ倒れるのも同じようなものだ。
本書は、酒の造詣が深い人は、ウィスキー・アワーは午後6時からにしているという。ウィスキーは、日没前に嗜むにはあまりにも強すぎる酒ということである。ちなみに、一つの行付けのバーの開店時刻は5時であるが、無理やり4時から開けてもらったことがある。嫌な客である。アル中ハイマーには、太陽の光をウィスキーに屈折させて、ダイヤモンドのように輝く氷に触れている瞬間がエキゾチックなのである。

1. 一杯の量
とりあえず一杯。この一杯という量は日常でよく使うが、量が特定されているわけではない。駄洒落の好きな人は「いっぱーい」と掛ける。こうした量をぼかした飲酒用語は世界中で見られる。アメリカでは、one shot(一発の弾丸)、それだけで強烈な印象が伝わる。語源は「shot in the arm」で、腕への麻薬注射を意味していたという。こうした、薬、毒薬、麻薬に関連した語が、酒に転用された例は多い。人間の潜在意識には、酒をドラッグというように連想させる何かがある。一杯の量というと、日本ではシングルは30mlが多い。これは、戦後アメリカ式の1オンスから慣行化されたようだ。ところが、日本の大都市バーや老舗のバーでは、45mlだったり、60mlだったりするらしい。こうした違いはアメリカやイギリスのどの売り方を基準にしているかの違いである。スコッチの生誕地スコットランドでは60mlがシングルの標準量で、日本ではダブルということになる。アイルランド共和国では、なんと75mlが一杯の量なのだそうだ。どうりでヘビードランカーが多いと言われるわけである。ちなみに、大酒飲みとは、一日の純エチルアルコール摂取量が150ml以上の人を言うらしい。これは、WHO(世界保健機関)で採用している基準値なんだそうだ。

2. オンザロック
on the rocksという言葉には、船が岩に乗り上げて座礁した時に使われる悪いイメージがある。イギリスでは、人生に座礁したという意味でも使われるらしい。ところが、アメリカでは、ロックはダイヤモンドの隠語としても使われる。ちなみに、氷を先に入れるから、on the rockであり、ウィスキーを先に入れるとunder the rockとなるのかなあ?onには、穏やかな語感がある。ただ、ドクドクと注ぐのがウィスキーらしいので、over the rockと言った方がイメージに合うという。よって、over the rock という言葉も広がったらしい。straightは、straight upと表現することから、バーテンダーからup or over? と問われることもあるという。おいらはon the rockを好む。それも、お代わりをする時、氷を取り替えずに、そのまま上から注いでもらい、指で少しかき混ぜながらグラスに話かけ、徐々に氷を育てながら飲むのが好きだ。よって、その日のオーダーは同じ酒ばかりになってしまう。しかし、これは邪道と言われたことがある。あるバーテンダーに言わせると、氷はいつも取り替えるものらしい。別のバーテンダーは、酒の飲み方なんて本人が気持ち良ければなんでもありだよ!と慰めてくれる。

3. 水割りとソーダ割り
ヨーロッパでは、飲料水はガス入りとガスなしで大別される。炭酸ガスを含む鉱泉水と、炭酸ガスを含まない雪解水である。鉱泉水は、古代ローマ時代から、医薬的効果を持つ貴重な水として尊ばれた。水割りにしても、ガスなしの水割りと、ガスありのソーダ割りがあるということだ。ちなみに、ミズワリという言葉はグローバル化しているらしい。日本人が水割りを愛飲することの証拠であろう。ソーダ割りは、アメリカではハイボールで呼ばれることが多い。ハイボールという語の由来を明確に立証できる記録はないらしい。イギリスのゴルフ場で、ある紳士がウィスキーのストレートに、チェイサーとしてソーダを飲んでいると、ゴルフのスタートの知らせが入った。紳士は慌てて残っているウィスキーをチェイサーに注いで飲むと、意外と美味かったという。その時ちょうどミスショットのボールがラウンジをかすめた。驚いた紳士は、「おお!ハイボール!」と叫んだ。これが語源という説が有力なようだ。アメリカでは、鉄道の駅に気球を付けた柱を設置していた。そして、急行列車が田舎駅をノンストップで通過する際、予定より遅れていたら気球を高く掲げスピードアップせよ、という合図をした。これが、さっとつくれるソーダ割りに使われたという説もある。
五木寛之の小説集「ソフィアの秋」に収録される短編「ローマ午前零時」に、こんな台詞があるらしい。
「昼間からコニャックをやっている男は、どことなく信用できない感じがあるじゃないですか」
おいらにグサッ!と刺さる。ちなみに、ブランデーの水割りをブラミズと言う。

4. シーザーとシェリー
スペイン特産のワインであるシェリーは、ジュリアス・シーザーに由来する説があるらしい。本名、ガイウス・ユリウス・カエサル。最後のカエサルは一説によると、正式名ではなく仇名のようなものだという。シーザーは誕生の時、帝王切開によって取り出されたと言われる。ラテン語の切り開く、切り裂くという意味に「カエサ」というのがある。切り開いて取り出された子という意味でカエサル。やがてカエサルはローマの帝王となる。そして、シーザー手術、あるいは帝王切開という医学用語が生まれたという。カエサルはスペイン統治時、シェリーの産地ヘレス・デ・ラ・フロンテラの町にカエサルという地名を付けた。これがイスラム統治下ではシェリッシュと呼ばれ、キリスト教徒の間でヘレスと変化した。スペイン語のJerezをイギリス人は、Xeres、sを複数形と勘違いし省略してXereからsherryと変化したという。ところで、カエサルはドイツ語圏ではカイザーとなる。イタリア北東部のフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州はワインの名産地である。このジューリアもジュリアスのイタリア語綴り。フリウリは集会所のこと。つまり、ジュリアス・シーザー家のヴェネツィア地方の集会所ということになる。こうしたシーザーにちなんだ名前がヨーロッパ各地に痕跡を残しているだけでも、その偉大さが伝わる。

5. ルーズベルトとドライ・マティーニ
「数多いカクテルの中に一匹の妖怪が紛れ込んでいる。」
本書は、こんな表現だけでも楽しめる。その妖怪とは、カクテルの王様と崇められる「ドライ・マティーニ」である。フランクリン・ルーズベルトは、ホワイトハウスで執務時間が終わると、スタッフをねぎらうつもりで、自らシェーカーを振ってドライ・マティーを振舞ったという。これが上流社会で流行し象徴となる。これは、ドライ・ジンと、ドライ・ベルモットの二つの材料だけで作られるシンプルさがいい。ただ、本書は、マティーニがカクテルの王様という称号を与えるのに少々疑問を投げかける。ウォッカやラムやテキーラが、まだバーで主要なアイテムになっていない時代からあるので、数多く飲まれているのは確かである。しかし、「ブラッディ・メアリー」や「ソルティ・ドッグ」が先に有名になっていたら、王様の地位になれたかどうかは分からないという。今では、「キール」や「マルガリータ」や「フローズン・ダイキリ」など人気を誇るカクテルが数多く登場している。そろそろ王様を退位して平凡に生きてもいいのではないかと語る。

6. ヘミングウェイとデス・イン・ジ・アフタヌーン
晩年、アルコール性憂鬱症に陥り、猟銃で自殺した文豪ヘミングウェイ。作品「午後の死」では、生と死を観察するのに闘牛を愛した。彼は、時々ジムに通い、身体を鍛えたという。そのヘトヘトの帰り道に、行付けのハリーズ・ニューヨーク・バーに寄って気付けの一杯を注文した。ハリー・マッケルホンは、ペルノをシャンペンで割ったものを提案した。ヘミングウェイは、いつもペルノは後悔の味がすると言っていたという。それをシャンパンで慰めてみる。これに自作の題名をつけて、「デス・イン・ジ・アフタヌーン」となり、愛飲したという。「日はまた昇る」ではシャンパンを飲む印象的なシーンがあるらしい。ヘミングウェイには、「美酒は無心に味わうべし」という美学があったという。ちなみに、彼はフローズン・ダイキリがお気に入りで、「海流のなかの島々」で登場させる。

7. スプリッツァー
飲みたいんだけど、今飲むとまずい!といった場面がよくある。こういう時に、都会派の心得た人たちが注文するのがスプリッツァーだという。白ワインのソーダ割りで、アルコール度数も低い。食事の時、グラスから漂ってくるワインの香りに魔術があり、都市感覚にマッチするという。ただ、その位置付けは、カクテルと清涼飲料水の狭間に見なされることが多い。映画に「3人でスプリッツァー」というのがある。これは、東西冷戦の中で、政治的に揺れ動くユーゴに、ニューヨークの女性ジャーナリストが訪れ、恋に落ちる物語である。このタイトルは、心が揺れ動く様を「ユーゴが東西の狭間にあって、どっちつかずのスプリッツァーを飲む。」というように暗にかけているという。心憎いほどのメタファーに感動しつつ、酒のピッチも上がる。

8. ボイラーメイカー
バーボンをストレートで飲む。口の中がカーッと熱くなる。そこに水の代わりに冷たいビールをチェイサーとして流し込む。こうしたハードボイルドな飲み方をアメリカ人はボイラーメイカーという。スコットランドでも、スコッチをストレートで引っ掛けて、チェイサーとしてビールを後追いさせる飲み方があるらしい。これをL.Gという。労働組合のレイバーズ・ギルドを略したものだという。ちなみに、行付けのバーでは、いつもチェイサーに黒ビールが出てくる。おいらは、チェイサーって黒ビールのことかと思っていた。

9. 語呂合わせ
「飲」という文字を分析すると、「食」に「欠」けたものとなる。これは、食べることへの補完的な関係を明示しているという。食前酒は、仕事に疲れた神経を、瞬時にリラックスモードへと切り替える。一方、食後酒は締めの一杯?いや「止めの一撃」となる。食前の一杯にしても、食後の一杯にしても、日常では省略することはある。しかし、アル中ハイマー病ともなると食事を省略する。
本書とは、関係ないが語呂合わせの話をしだすと、酔っ払いは止まらない。何かの小説でこんな台詞を読んだ気がする。下心があるのが、「恋」。心を下に書くからだ。見返りを求めないのが、真の「愛」。心を真中に書くから真心ということである。
「酒に落ちる」と書いて、「お洒落」と言うバーテンダーがいる。お洒落は横棒が足らないので、これは詐欺である。アブジンスキーは、別名アースクエイクの方が一般的なようだ。アブサンとドライ・ジンとウィスキーで、すべて強烈なものが混ざる。飲むとまさしく地震が起きる。ちなみに、おいらは「アブちゃん好きー」と呼んでいる。
クラブ用語にも、いろいろある。「君に酔ってんだよ!」とか、煙草に火をつけてもらって、「俺に火をつけやがったな!」などは、バーテンダーに入れ知恵されたもので、おいらの口癖ではない。

x. 酔っ払いたちのテロ行為(おまけ)
本書には関係ないが、酔っ払いたちの悪行を紹介しよう。気分悪そうにしゃがんでいる人に、大丈夫か?と尋ねると、決まって大丈夫という返事が返ってくる。そこで、安心して背負って連れて行こうとすると、なんとなく首筋が生暖かくなる。これを「延髄ゲロ」という。友人の部屋を覗くと、ベッドの中で仰向けでやっているのを...「自爆ゲロ」という。その横で一緒に寝ると「ゲロ心中」となる。他人の顔の上でやると死刑は免れない。
電車の中で、綺麗な女性がなんとなく、おいらを真剣に見つめている。駅に着くと突然、女性はゴミ箱に向かって突進した。その瞬間、ゴミ箱に顔を突っ込んで...しばらくすると、そのままゴミ箱と一緒にお寝んねしてしまった。これを「特攻ゲロ」という。
女性は酒に強い人が多い。全然飲めないか、かなり飲めるかで、中途半端な女性を見たことがない。だいたい少し飲めると宣言した女性で、少しだったためしがない。おいらは3杯でダウンしているのに、10杯飲んでも平気な顔をしている。それもカンガルー級のオンパレード。それとは逆に、意外にも酒にあまり強くないバーテンダーが多い。そういう人ほど繊細なものを作ってくれると信じている。

2008-06-08

"カラヤン 帝王の世紀" 中川右介 著

今年は、ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100周年である。昔々、アル中ハイマーが美少年だった頃、カラヤンのレコードを集めようと奮闘した時期があった。まだCDがない時代である。おいらが、最初に聴き始めた音楽分野はクラシックである。そういえば、最近はクラシックを聴く機会も思いっきり減った。持っているCDの数も少ない。せっかくレコードで集めたのに、もう一度CDで集めるのが面倒だったからである。今宵は、久しぶりに第九を聴きながら、カラヤンについて知っていることを少し語ってみよう。

カラヤンといえば、音楽と映像の融合。これほど映像にこだわったマエストロも珍しいだろう。アメリカでは、演奏に映像を取り入れていたバーンスタインがいる。きっと、彼にもライバル意識を持っていたことだろう。カラヤンの晩年の映像といえば、なんと言っても1987年のウィーンフィル、ニューイヤー・コンサートである。これは世界的にも有名である。それもベルリンフィルとの確執の中で、ウィーンフィルとの組み合わせが注目を集めたのかもしれない。そこには、カラヤンの優しい表情があった。そして、演奏途中、突然後ろを振り返り、観客に向かって手拍子を指揮し始める。この感動シーンは、アル中ハイマーの記憶領域が破壊されたとはいえ、なぜか鮮明に記憶している。おいらは、これほど観客と一体化した演奏を他に知らない。また、どこかの放送局のインタビューでは、ゲーテの言葉、「一つの肉体で才能を出し切れないのなら、もう一つの肉体を与えられるのが自然の摂理だ。」を引用して、「まさに、この考えに賛成だ!私は必ず生まれ変わることを信じている。」と語っている姿も印象的だった。
カラヤンは、当時からテレビの将来性に気づいていたのだろうか?現実に、オリンピックでどんなに多くの観客を集めたところで、テレビの恩恵で億単位の人々が観覧できる。カラヤンは、自分の死後、自分の音楽が忘れられるのを恐れていた節がある。それは、「トスカニーニがどんな指揮をしたか、その資料が残っていたら素晴らしいことだろう。」と述べたという証言がある。彼は、自らの演奏を永遠に刻みたかったに違いない。テレモンディアル社を立ち上げ映像作品を作ったのも、その理由であると言われている。映画界とも交流を深め、撮影や演出の技術を本格的に勉強したことは、よく知られている。そのこだわりは半端ではなかった。舞台色、レンズの種類、アングル、カメラワークなど、楽器を浮かび上がらせるような撮影法を駆使したり、鏡などを用いた反射映像を使ったりと、特にソフトフォーカスがお気に入りだったようだ。残された映像を観ると、彼自身のショットが多いという独占振り。しかし、こうした映像へのこだわりは、音楽を二の次にしてしまうという批判もある。
カラヤンは政治の中で生きたとも言える。フルトヴェングラーとの確執など、政治、喧嘩、陰謀と噂は絶えない。ベルリンフィルとの関係悪化で、ついに、ザルツブルグ音楽祭からベルリンフィルを外した。ベルリンフィルも全収録をキャンセルという報復に出た。そこにウィーンフィルが目を付けるといった構図がある。
カラヤンの人物像では、あまりにも両極端な評判が共存する。支配欲が強く、不快な人物、極めて政治的、イエスマンには優しく主張する者には対抗心をむき出す。こうした厳しい批判の一方で、個人的な悩みには必ず手を差し伸べ、苦境にはいつでも駆けつけ、病気で手術が必要なときは治療費を出すといった友愛の情を持つという証言もある。独裁者と思われがちだが、本番の演奏は、彼ほど自由にさせてくれる指揮者はいないといった証言もある。いずれにせよ、全てを仕切らないと気が済まなかったのは確かなようだ。天才芸術家の徹底的なこだわりは、ギャラで動く演奏家には鬱陶しいものとなる。芸術家としてのエゴ、これが無ければ、真の芸術は生まれない。
また、かなりの機械好きだったという証言もある。ソニーの大賀氏によると、当時社長の盛田氏とともに最高のもてなしをしたという。訪日時のホテルには、最新機材を持ち込み、いつでも遊べるように計らったという。大賀氏が、カラヤンの最期を看取ったというのは、単なる偶然だろうか?

おいらが、カラヤンについて知っているのは、こんなところだろう。本屋を散歩していると、ちょうど、カラヤンの生誕記念コーナーが設けてある。この機会に一冊買ってみるのも悪くない。ただ、陳列の多さに目移りする。迷った挙句、一番安いものを選ぶことにした。

カラヤンは、三歳でピアノを始め、その頃から絶対音感があったという。彼の青年期はナチス時代と重なる。戦後、ドイツ復興の過程で、特にフルトヴェングラーの死後、カラヤンは帝王となる。東西分裂したベルリンに身を置き、カラヤンの死とともにベルリンの壁も崩壊する。これも歴史の運命を感じざるをえない。彼の人生には、政治に翻弄されながらも芸術に生き、権力闘争に生きた姿がある。本書は、カラヤンの人物像をヒトラーに重ねる。彼らは共にトップ以外のポストには就こうとはしなかった。彼の晩年への批判に、「同時代の作品を演奏しない」というものがあるらしい。カラヤンほどの大指揮者ともなると、「何を演奏したか」よりも、「何をしなかったか」が重要だと語る。本書は、こうした流れを歴史年表のように綴る。ただ、気になるのが、全体的に歴史上の出来事をちりばめ過ぎている感がある。音楽に直接関係のないものも多い。政治背景が多いのは、彼に影響を及ぼした点からしても仕方がないところであるが、日本の左翼や中国共産党は全く関係ない。また、科学者や日本の小説家まで登場する。これは、世界情勢と同期させたいという意図でもあるのだろうか?それとも、もっと深く味わいたいなら、他の本を読みなさいという意味なのか?いや、一番安いものを選んだといういい加減な動機が、あの世のカラヤンを怒らせたに違いない。まえがきには、文字数が限られいてるので...という言い訳めいたコメントがあるが、それならば、もうちょっと絞って人物像に迫ってほしかった。読んでいるうちに、なんとなく出版社の意向も想像してしまう。

1. ヨーロッパのオーケストラ
ヨーロッパのオーケストラは、オペラハウスの管弦楽団や宮廷楽団が発展したものが多いらしい。しかし、ベルリンフィルは民間のオーケストラとして発足した。ちなみに、ウィーンフィルも民間で、その楽団員は国立歌劇場管弦楽団のメンバーとしての公務員であるという。そして、勤務時間外に民間のオーケストラとして、ウィーンフィルで演奏するらしい。したがって、ウィーンでの定期演奏会は、基本的には昼間の講演で、夜は公務員としてオペラを演奏するのだそうだ。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」がパリで初演された時、客席では、支持する者と反対する者とが罵りあうなどの、大スキャンダルになった話は有名である。当時のヨーロッパでは、従来にないバレエの振付けをしたり、斬新な演奏をすると、楽器の使い方を知らないなどと罵声を浴びせるような事も少なくなかった。この「春の祭典」をカラヤンが演奏した時、ストラヴィンスキーが激怒したというエピソードがあるという。野蛮さをテーマにしたのに、あまりにも美しく演奏したからだそうだ。

2. ナチスに入党
ヒトラー政権は、国民啓蒙のための宣伝省を新設し、ゲッベルスがその大臣になった。歴史的に、省レベルの宣伝組織を作った国家も珍しい。その管轄下に、音楽、映画、演劇など文化全般を置く。ナチス支配下の全国音楽院の総裁にリヒャルト・シュトラウスが、副総裁にフルトヴェングラーが就任。フルトヴェングラーは、ユダヤ人芸術家を擁護するが、やがて政治に屈する。カラヤンもナチスに入党する。この点は、後に批判の的にもなるが、再婚相手がユダヤ系女性ということもあり、擁護する人も多い。ドイツ全土の歌劇場やオーケストラは宣伝省のゲッベルスの支配下にあったが、ベルリンの州立歌劇場はプロイセン州首相のゲーリングのものだった。二人はヒトラーの寵愛を競う。ゲッベルス側にフルトヴェングラーが付いたので、ゲーリングは対抗できる指揮者を求めていた。そこで、若いカラヤンが抜擢されたという。フルトヴェングラーとカラヤンの対立は、ナチスの権力争いの代理戦争とみることができる。敗戦色が濃くなるとフルトヴェングラーはナチスから命を狙われ、スイスに亡命した。カラヤンもイタリアへ亡命した。

3. カラヤン帝国
戦後、ウィーンフィル、ベルリンフィルを巡ってフルトヴェングラーとの確執は続く。1954年、フルトヴェングラーは肺炎で死去。ここからカラヤン帝国が確立する。カラヤンは、ベルリンフィルの初のアメリカツアーの指揮を引き受ける条件に、終身の首席指揮者の座を要求したという。ベルリンフィルは、フルトヴェングラーの後任にカラヤンを決める。フルトヴェングラーの支柱を失ったザルツブルグ音楽祭は、カラヤンに協力を要請した。カラヤンは、全プログラムの演目と出演者を決める権利を持つ芸術総監督の座を要求したという。そんなポストはこれまでになく、前代未聞の要求だったらしい。そして、ザルツブルグ音楽祭総監督に就任。ウィーン国立歌劇場も、演出が旧態依然のもので崩壊寸前であったが、これもカラヤンが手中にする。この背後にあった画策、陰謀がいろいろと噂されているが、真相は不明なようだ。カラヤンの持論に、次のような構想があったという。
「複数の国際的な歌劇場がネットワークを形成し、プロダクションを交換し合う。」
その構想に恐れを抱いたウィーンの官僚たちは、ウィーン国立歌劇場から追い出した。カラヤンは、一時は、二度とオーストリアでは指揮しないと宣言したという。

4. 晩年
やがて、カラヤン帝国はなくなり、ベルリンフィルに専念するようになる。世界最高のオーケストラと仕事をしたために、レベルの低いオーケストラの面倒を見るのも嫌になっていたのかもしれない。ヨーロッパ統合のために、国歌の曲に「ヨーロッパの賛歌」として、ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」が選ばれた。カラヤンは、その編曲の要請を受ける。現在使われる「ヨーロッパの賛歌」には、ベートヴェン作曲、カラヤン編曲と記されているという。カラヤンは、ベルリンフィルでベルリン以外の都市でコンサートを繰り返した。ベルリン市が財政援助をしているにも関わらず、むしろベルリン市民の方がカラヤンの音楽を聴く機会が少なかったという。本人が認識していたかどうかは別にして、カラヤンにはベルリンフィルと共に西側の優位を示す象徴として、世界をまわる任務があったという。彼は67歳の時、リハーサル中に倒れる。ここから老いとの闘いが始まる。もはや、完璧だったレコーディングもいい加減になっていく。それでも名盤になるから凄い。カラヤンはソニーのディジタル技術に興味を持つ。以降、カラヤンとベルリンフィルの世界最高の組み合わせがディジタル録音で残ることになる。当初、CDの規格が、11.5センチで録音時間が60分であったが、カラヤンの第九を一枚に収録したいという意向から、12センチで74分収録できるようになったという話は、技術屋に身を置くおいらも聞いたことがある。1982年、ベルリンフィル創立百周年を迎えた。その記念演奏会でカラヤンが指揮をしたのは言うまでもない。しかし、カラヤンとベルリンフィルの関係は既に悪化していた。それは、一人の女性クラリネット奏者の入団をめぐっての対立だったという。カラヤンは彼女を気に入り入団させようとしたが、オーケストラ側が拒否した。それまで、女性楽団員が一人も居なかったことから、女性差別とマスコミに叩かれたという。晩年では、ウィーンフィルとの関係を強める。そして、1989年死去。1990年、晩年の最大のプロジェクトである「影像」の販売権を得たソニー・クラシカルは、「カラヤンの遺産」をリリースした。

本書は、最後に独裁と圧政の時代にこそ、真の芸術が生まれると語る。
「ニヒリズムと狂気がないまぜになったところにこそ、最高の美が生まれる。」
確かに、ヒトラーの圧政があったからこそ、フルトヴェングラーやカラヤンのような巨匠を生んだのかもしれない。ただ、強力な政治力を発揮したことも事実で、偉人と狂人は紙一重という印象を受ける。

2008-06-01

"死因不明社会" 海堂尊 著

本屋を散歩していると、謎めいたタイトルに目が留まった。ブルーバックスの話題にしては珍しい。宣伝文句にAiとあるから人工知能関係と思ったら全く違う。本書は、医学界のシステムの欠陥から生じる社会問題を扱う。著者は、外科医でありながら推理小説作家という風変わりな面も持つ。その著作「チーム・バチスタの栄光」は映画化もされている。著者は、作品の中で死因究明問題を扱っており、本書でも、その推理小説の中の架空の人物を登場させる。ブルーバックスでは、この虚構の世界の住人によるガイダンスは初めての試みだという。なかなかおもしろそうな趣向(酒肴)だ。これはブルーバックス教の信者であるアル中ハイマーには見逃せない。

「死因不明社会」とは、いかにも薄気味悪い。死因不明とは、現在の医療システムでは死因を明確にできる手段がないというのだ。それは、医学界には監査システムが機能していないという。おいらは、日本には最新の医療システムが備わっていると信じている。それなのになぜ?本書は、技術が最高レベルでも、システムが人為的に機能していないと指摘する。死因を特定するには死亡時の検証が重要であることは素人にでもわかる。その検証を医学検索という。ほとんどの死は生前からの診察で、重病であればその経過から判断できるだろう。しかし、この考えは甘いと指摘されてしまった。特に、終末期医療は闇に包まれるという。そして、衝撃的なデータを提示する。聖路加国際病院院長の福井次矢氏によると、臨床診断と解剖後の病理診断では死因一致率が88.3%だったという。なんと誤診率12%。ちなみに、欧米の論文では解剖を行うと生前診断は、30%以上のエラーがあるという。医学界ってこんなもんなのか?統計データは厚生労働省の管轄である。官僚の数字操作はお手の物で、分母を変えればなんとでもなる。死因が特定できなければ、治療効果の判定もできないので医学の進歩を妨げることにもなろう。医療現場では、再発か、治療で完治したか、別疾患の併発で死亡したかも判定できないのが現実なようだ。これでは、医療ミスも明るみにならない。不当な医療請求を受けることにもなる。また、犯罪を煽ることにもなる。福祉施設などの虐待や、巧妙に仕組まれた犯罪は闇に葬られ、保険金殺人も見逃されるだろう。捜査機関に運び込まれた死体も同様に、体表から調べる検案だけで死因を確定しているため、殺人や虐待は見過ごされるのが現状だという。これでは死亡統計も当てにはならない。日本警察の優秀さはもはや神話に過ぎないのか?本書は、この問題は市民が認識すらしていないので役所も反応せず、メディアも取り上げないと嘆き、死因確定は基本的人権の一つであると主張する。

死因究明の一つの手段に解剖がある。日本の解剖率は2%台で、先進諸国の中でも最低だという。98%の死者は厳密な医学検索を行われないまま死亡診断書が交付されていることになる。だからといって、突然死や事故死ならともかく、よほどの事がない限り、遺体を損傷させるなど遺族には承諾できることではない。頭部の解剖となれば尚更である。そこで、本書は、Aiを用いた新しい概念「死亡時医学検索」を紹介している。Aiとは、Autopsy imagingの略で、簡単に言うと死体に対する画像診断である。なーんだあ!日本ではCTやらMRIがそこらじゅうの医療施設に散乱しているではないか。画像検索ならば、遺族だって同意できるだろう。しかし、そんな簡単なパラダイムシフトでさえ一筋縄ではいかないという。その根底は、経済至上主義にあろう。正確には目先経済至上主義である。税金を上げるのか?と迫るのも官僚の得意技である。しかし、そこには社会的リスクが考慮されない。そして社会問題の代償に何倍もの拠出を強いられるようにできている。そして、その財源は税金である。ほとんどの官僚的組織の歪んだ政策が、この罠に嵌る。論理的に見えても何かが抜け落ちている。ただ、この現象は霞ヶ関だけの問題ではない。民間組織にもしばしば見られる。凝り固まった思考から官僚思想が生まれるのは自然法則である。その法則を弁えるかどうかが分かれ道となる。自分自身にとって新しいことに目を向けることは、興味でもない限り面倒なことなのだ。弁えていないと潰される世界に身を置けば、自ら外部の風を受け入れることに躊躇しない。エリート官僚は極端に外部の風を拒む傾向にある。本書は、問題の根源は厚生労働省にあると語る。それも事実だろう。ただ、官僚改革を謳うにしても、エリート連中でも比較的弱いところから攻撃されるようにできている。やはり、本丸は財務官僚であろう。金を牛耳る人間の立場が一番強い。そんなことは、家庭内の力学を観察すれば容易に解明できる。ここに手が付き始めなければ、官僚改革はいつまでも前進を見ない。それも、監視能力のない政治家に期待できるはずもない。いや、彼らを選出する国民の問題かもしれない。それも世論を扇動するマスコミの仕業か?いや!闇の侵略者ダース・ベイダーの陰謀に違いない。いずれにせよ、裁判員制度も始まろうとしている。素人にでも判断できるような科学的な根拠を提示してほしい。検察官と弁護士の雄弁さを競う場だけには、ならないように願いたい。死因が特定できなければ裁判は迷走する。明確な情報提供が前提でないと、裁判員制度は司法局が責任を転嫁するための制度となる。

1. Aiとは
Aiとは、狭義では死体の画像診断。広義では死亡時画像病理診断。つまり、画像と病理所見の融合である。日本は、死亡時画像診断(PMI)の最先進国であるという。酔っ払いには、技術進歩が解剖の必要性を奪い、それも悪い傾向ではないと思っていた。実際、PMIから解剖へつながるケースは稀なようだ。しかし、著者は、それだけでは不十分で、解剖がパートナーとして存在するべきであると主張する。まず画像検索によってシミュレーションし、それでも死因が特定できない場合に解剖するという二段構えである。画像検索は、全体をスキャンするのに効果的で、結果も素早く判定できる。死体は、臓器も停止しているから鮮明な画像が得られる。高被爆検査も可能というわけだ。死者に対しては、高磁場や高線量で、機器の最高スペックで検査できるメリットがある。また、生きている人間へのフィードバックもできる。解剖は、局所に絞った診断の質を高くするが、全体のスキャンには向かない。また、一日の大仕事で大変な肉体労働である。結果も一ヶ月以上かかる。画像診断が解剖を凌駕するわけでもなく、画像診断と解剖は互いに補完しあう関係にある。Ai概念が加わると、一変してPMIは解剖へつながる扉となるだろう。画像診断が解剖からの視点に変わる。この視点の違いが大きいという。現在ではホスピスケアがもてはやされる。終末期では、そっと見送ってあげたいというのが遺族の心情というものである。著者も終末期に医療検査を行わない方針も妥当であると語る。だからこそAiが必要だという。そうしないとホスピタル医療が無責任医療になってしまう可能性が高いからである。ケア中に検査せずに、死んだらそのままお見送りでは、施設現場での虐待や、医療ミスは闇に葬られるという。

2. 二つの反対派
反対派の一つは、学会上層部にいる臨床医だという。臨床経過を丁寧に追えば解剖は不要と主張する。彼らは厚生労働省と仲がいいらしい。二つは、解剖関連学会の上層部であるという。ただでさえ解剖が虐げられているのに、更に軽視される恐れがあるという意見だ。しかし、画像検索だけで完全に死因が特定できると考えるのは自惚れであるという。いずれにしても、経済効率主義や、自らの学問的業績にしか興味がないエリート達の論理だという。制度の不備に隠れて横着したり、自らの領域を堅守することに躍起になる官僚主義はどこにでもある。中には、死亡診断書を書く時に、死因がわからないのでは申しわけないと、自ら画像撮影する医師もいるという。

3. 監察医制度
日本には、監察医制度というものがある。戦後、飢餓、栄養失調、伝染病による死亡が続出し死因が特定されなかったために設立された。現在は、5都市のみの制度で、東京二三区、横浜市、名古屋市、大阪市、神戸市。この制度では、まず死体の検案を行い、死因が不審な場合は、遺族の承諾無しで遺体解剖ができる。つまり、5都市以外では、遺族の同意が必要というわけだ。虐待死した子供の解剖を親が認めるわけがない。こんなことで行政格差があるのも奇妙な話である。「家族の虐待は、地方でやりましょう!」ということか。厚生労働省は、戦後の制度で時代遅れという理由から、この制度を廃止に追い込もうとしているという。また、監察医が設置されている5都市でも、唯一機能しているのが東京都監察医務院だけだという。日本で唯一の「死因究明センター」というわけか。では、「死因不明社会」とは正確には東京都以外ということか?東京都監察医務院の業務は現在でも拡大しているという。高級官僚は優遇エリアに住んでいる。これは、監察医制度は時代遅れではなく、むしろ必要なシステムである証拠ではないのか?昭和57年頃からの行政改革の流れの中に、監察医制度の廃止が地方行政の業務のようにされたという。5都市になる前は7都市で、京都市と福岡市で廃止された。神戸市も廃止対象だったが、阪神淡路大震災での検案の結果、有用であることから残されたらしい。ちなみに、福岡市では、年間異状死の発生件数は約4000件、うち承諾解剖は10から20件に過ぎないという。巧妙にカモフラージュされた殺人事件は発見困難ということである。ちなみに、異状死による解剖率は、イギリスで60%、アメリカで50%、日本では9%。しかも、監察医制度がない地域では、4%。これは、素人が見ても恐ろしいデータに見える。

4. 処方箋
高価な画像診断機器が多く導入されているのは日本の底力であり、その結果もたらされる医療インフラは他国の追従を許さない。では、問題は公衆衛生意識ということか?夜間のフリータイムを利用して、既にAiの運営に取り組んでいる医療施設もあるという。本書は、高度な機能特化した病院が乱立しているが、死亡時医学検索センターだけが抜け落ちていると指摘する。具体的には、救急医療センターにAi解剖センターを併設することを提案している。また、大学病院にも併設されるべきだろう。医学教育には解剖実習が重視されるからである。しかし、問題はある。マンパワー不足と、医学検索コストの拠出である。マンパワーでは、医学検索には熟練の技術が必要であることは素人でもわかる。
おいらは海外ドラマNCISをよく観るが、必ず登場するのが解剖シーンである。そこで重要なのが、解剖結果に隠された犯罪性を臭わせるところだ。そりゃそうだ。ドラマティックに演出するには、手口は巧妙でなければならない。ただ、かなり気持ち悪い。一瞬酒を飲む気が失せる。このシーンが好きなのは、そこで活躍するダッキーにいちころなのだ。ちなみに、博多の中洲にはトッキーと呼ばれる潜入捜査官がいるという噂だ。おっと!脱線した。
人員の熟練度を増すには教育が重要である。システムを整備するにしても人材が育つまでには時間がかかる。かなり長期的な戦略が必要であるが、そんなことが厚生労働省にできるのだろうか?官僚は、数年のモデル期間を作って、効果無しと宣伝して葬り去るであろう。著者は、医学検索コストは国家が捻出するべきであると主張する。そして、医療費の1%程度、医療監査費用として拠出するだけで、かなりの効果が見込めると試算している。それで解剖率が2%台から5%台に上昇したとしても、年間死亡者数100万人に対して、Ai費用を一体2万円として200億円、解剖費30万円として150億円。合わせて500億円で計上したとしても、平成14年度の国民医療費の約31兆円に対して、その1%でも3000億円。計算上はおつりがくる。まあ、この計算は、読者にわかりやすいように簡略化してくれているのだろう。

本書のような情報は、テレビや新聞のようなメディアには乏しい。おいらは読書が趣味というほどではない。仕事が忙しいという言い訳からほとんど読書していない時期もあった。職が不安定だと不安を紛らわすために、読書する機会は増える。読書によって恐ろしい現実に出会うことができるのは、困ったものだ。インターネットの普及で情報も手軽になった。立派な意見をメルマガなどで提供してくださる著名人もいる。討論会では声の大きな意見に影響され、ネット社会では発信回数の多いものが助長される。巧みな口述にも情報操作される。どんなメディアもカモフラージュされて、真の情報を得るのは難しい。情報には、意見の対極的なものを双方とも選択するのもいいだろう。ますます勤勉さが求められる。ただ、おいらのような不精な人間には手軽さがほしい。こう情報が多すぎては酔っ払いには選別できない。したがって、今日も日本酒を選んでしまう。