2006-12-29

"葉隠入門" 三島由紀夫 著

「武士道とは死ぬ事と見付けたり」と言えば、まずルパン3世に登場する石川五右衛門を思いついてしまう。こんなおいらが、なぜこの本に辿り着いたのか?自分の行動パターンが理解できない。アル中ハイマーとはこうした病気なのである。

本書は、三島由紀夫氏が座右の書とした「葉隠」に独特な解釈を加えたものである。原書は「葉隠聞書(はがくれききがき)」全11巻で鍋島藩の山本常朝が記したものである。これを読むのはかなり勇気がいりそうだ。今のところ気が向きそうもない。
本書を気軽に読む気になれたのはわずか100ページ足らずと短いところである。更に付録「葉隠」名言抄が100ページあり構成は合計200ページほどである。

本書は生への気力が失われている現代の世に疑問を投げかけている。死の哲学から、逆説的に生の哲学を見出そうとしているのであろうか?その三島由紀夫氏自身は自殺の道を選んでいる。人間というものは考え尽くすと死に辿り着くものなのかもしれない。

また、自由がいかに逆説的なものであるかとも言っている。
「人間は、自由が与えられる途端に自由に飽き、生を与えられる途端に生に耐えがたくなる。」
「現代は、生き延びることにすべての前提がかかっている時代である。それが民主主義だ。」
「現代社会の方向には、社会主義国家の思想か、福祉国家の思想か2つに1つしかない。」

人間は生きることが最も大切である。死んでしまっては終わりである。という世間の論調がある。人間たかだか1世紀生きられないのだ。その中で数十年早く死んだからって、終わりと考える方が虚しいではないか。福祉国家とは生きることに対する虚しさを助長してしまうのではないかと思ってしまう。
そもそも人間のエゴで、"大切なのは命"とは"自分の命"ということになる。逆説的に、非常に危険な思想なのかもしれない。
たまにはアル中ハイマーも真面目に論じるのである。しかし、この間こう言っていたではないかと議論を挑んではならない。そもそも一度言ったことを覚えられないのだから。と言って逃げるのである。
これぞフリーライド精神!Web2.0時代。とうとう俺の時代が来たぜ!こうしてアル中ハイマーは時代の最先端に酔うのである。

逆説と言えば、これが人間のさがなのか?おいらも自由を求めて独立した。実際はリストラされたようなもんだから仕方なくであるが。エンジニアというのは雑務が大嫌いである。しかし、財務諸表から全て処理している。仕事もいかに楽するかばかり考えている。そして、いつのまにか工夫する勉強をしている。こうして怠惰を求めて勤勉に行き着くのである。生かされているようで虚しい。こうして虚しさを背に夜の社交場へと消えて行くのである。

「酒席の心得」アル中ハイマーとしてこの項に反応しないわけにはいかない。
「日本人の酒席の乱れは国際的に有名である。裸になり、弱点を露呈し、どんな恥ずかしいことも、どんな愚痴めいたこともあけっぴろげに開陳して、しかもあとでは酒の席ということで許される不思議な仕組みができている。」
しかし、「葉隠」ではあらゆる酒の席は公界(くがい)と呼び慎むべきであるとしている。
おいらは、酒の席で女性に、"今日は綺麗に見えるねえ。おいらはかなり酔ってるなあ。"なんて口走って、ビールをかけられるのである。褒めたつもりが?女心は難しいのである。「葉隠」を教訓にせねばなるまい。

10年前、サラリーマンで安穏の中にいたことから考えると、今の状態は全く信じられない。では10年後はどうだろう?やはり、全く信じられない状態になっているかもしれない。自殺しないようにだけは心がけたいものである。

2006-12-23

"成功者の告白" 神田昌典 著

タイトルからして、まず近づかないのだが、なぜか立ち読みしてしまった。
なぜだろう?おいらは潜在意識と闘うのである。きっと本屋の陳列が絶妙だったにちがいない。
とかく成功者の本というのは美化されたものばかりという先入観がある。しかし、本書はダークサイドの話だから読んでしまうのである。
おいらは、人の不幸を楽しむ、お下劣さんである。
ブログネタにするからには買わないわけにはいかないのである。

事業の成功者には、ある負のパターンがあるらしい。
・成功の頂点で大事件に巻き込まれたり、病気や急死。
・成功者として出版した途端、会社の業績が急降下。
・カリスマ経営者の家庭は破綻。夫婦別居で愛人。
・投機で巨額な利益を上げるものの事故や病気で若死に。
このプロローグに誘われてしまったのである。
ベンチャー企業の社長さんは愛人やらラテン系のお姉ちゃんやらが好きである。という話を友達の友達から聞いた。おいらには別世界でカルチャーショックを起こすのである。

本書はフィクションである。主人公が会社からリストラされ、奥さんと子供をかかえて仕方なく独立するという物語である。
おいらもリストラに遭ったようなもんだから気持ちはわかるのである。
あるベンチャー企業に在籍していた。入社1ヶ月もしないうちに、いつかは辞めるだろうと思った。その日以来、机の中に退職願を潜ませ日付を書き込めば即提出できる状態にしていた。結局4年間在籍。当時はそれなりに苦しかったのだろうか?全く思い出せない。おかげでアル中ハイマーになってしまった。

「年収がそんなに高くない人は高そうに見せる。ヒルズ族などはブランドスーツを着込む。年収の高い人は低そうに見せる。年収が高いと面倒なことがある事を知っているからだ。」
おいらの年収は思いっきり低い。しかし、高そうに見せない。高そうに見せる金がないからだ。この時期、年末の寒さと共に虚しさを感じる。ストーブの上でおでんを煮込んで一杯飲む瞬間が幸せなのである。

「今のような激しい時代に、安定するということは会社に依存することではない。安定とは自分で自分の人生を切り開く能力に比例する。」
とは言え、なかなか自分でレールを敷く勇気は持てないものである。
しかし、ビジネスプランを構築できていなくても独立しなければならない場合もある。おいらはこういう追い込まれた状態を少々楽しめるのである。Mなのかもしれない。

「統計的に成功する確率の極めて高いのが既存市場のニッチを狙って起業することだ。会社寿命はかつて60年と言われた。1970年代には30年となり現在では15年。2010年になると10年にまで短命化する。会社や事業の寿命が個人の労働可能寿命よりも短くなることは歴史上初めてのことである。」
このあたりは、ピーター・ドラッカーを引用している。
おいらは、つい最近"初めて読むドラッカー"シリーズを読破したところだ。この感想文も近々本ブログにて公開予定である。

「創造欲は性欲と根源は同じ。男が独身で起業すると社内の女性と結婚する確率が高い。男が世帯持ちだと社内の女性と不倫して、その後結婚するケースもある。」
どっかで聞いたような?きっと気のせいだろう。アル中ハイマーは"フィクション"の意味が理解できないでいる。

「売上を毎年2倍増やす急成長会社でも、堅実に安定させる会社でも創業4年もすると8割方はマネジメント上の問題に直面する。この時期に重要なのは売上ではない。マネジメントチームを作ることだ。」
全く同じことをドラッガーも語っている。マネジメントできない経営者はどんなに売上を上げていても必ず失速すると。
本書で上げているマネジメント上の問題とは、「社員の病欠や遅刻、社員が居つかない、配送上の問題、売掛金の未回収、品質低下、社員のモラルダウン、社員が社長の悪口を言い出す、社員の謀反・脱藩。」

「日本の会社の90%以上が年商10億以下の零細・小企業だ。なぜならば、年商8億ぐらいの会社が、来年は10億と意気込み問題にぶちあたり、逆に売上を下げる。ほとんどの経営者がこのパターンを繰り返す。」
なるほど。このパターンをほとんどの経営者が認識できないということか。

「マネジメント問題が発生すると会議をして統制化を図る。そしてルール化される。そのルールを破るのは、大抵社長である。だいたい社長というのは混乱ばかり招くもので一旦ストップすることを知らない。企業がシステム化しようとするときは邪魔な存在である。起業家と実務家の力が交互に働くサイクルが重要である。」
おいらは、こういう組織が嫌いなので、どこにも所属できないでいる。部下をマネジメントするなんて器量は到底持ち合わせないのである。

本物語では、ちょくちょく相談役として第三者のおやじがバーで登場する。
このおやじ、なかなか味がある。人生を悟っているがごとく。
そして最後に告白するのだ。「家庭が崩壊し娘を死なせたことを」
助言は自分の体験からくるものだったのである。
おいらは、物語で登場するおやじとは全く逆で大した人生経験がない。
にも関わらず夜の社交場で女性の悩みを聞いてあげる。
そして、つい"君に酔ってんだよ!"って口走る。そして金を巻き上げられ学習できないでいる。でも気持ちええ!アル中ハイマーとは、そうした病気なのである。

いよいよ物語の結末だ。
結局主人公は事業に成功、家庭も円満に戻る。
なんだよおー。ハッピーエンドじゃん!盛り上がりに欠けるよなあー。
実際のベンチャー企業の社長さんはこんな比じゃないよ。
濃厚な愛人が登場してくれなくっちゃなあー。酔いが覚めちゃったじゃん。昼メロにしちゃいまいちだよなあ。アル中ハイマーは本書の主旨を理解できないでいる。

本書は「独立して5年間に起こる典型的な出来事を複数の実話をベースにパターン化したものである。」と締めくくっている。
なるほど、すばらしい!フィクションということにすれば、なんでもありなのだ。しかし、本物語はおいらには全く実感できない。なぜならば事業に失敗しているからである。
おいらも独立5周年だ。ブログなんか開設してる場合ではない。
本を書くしかない。「失敗者の告白」。
ざっと、登場人物を見積もってみよう。
・事務所で"ケツが痛え!"と大声で叫ぶおかまのIちゃん。
・こいつと同棲しているO君。
・それを羨む美容師のSと、雑餉のM。
・いつも昼寝ばかりしているYせつ君。
こうして、アル中ハイマーはフィクションと現実の世界をさまようのである。

2006-12-16

"代表的日本人" 内村鑑三 著

新渡戸稲造「武士道」、岡倉天心「茶の本」と並んで、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表作らしい。
「武士道」を読んだ時はその時代の表現を忠実に再現しているせいか文面が難しく、何度も読み返さないとなかなか頭に入ってこない。それを覚悟で本書にも挑戦してみたが、アル中ハイマーにでも非常に読みやすく拍子抜けだ。
描かれているのは次の5人。
1. 西郷隆盛
鎖国は西欧の欲望の餌食から守られたとしながら、開国への時節が到来し維新革命に至ったことを記している。
TV討論などでもしばしば見かけるが、改革派ってものは古いシステムを貶すものである。おいらも、いろいらな方面で改革的な考えは好きである。まずは先輩方が作り上げたシステムに敬意を示しているところは見習わねばなるまい。
2. 上杉鷹山
本書ではこの名が一番好きだ。なぜならば酒の銘柄に見えるからである。
「民をいたわること、わが体の傷のごとくせよ」を教訓とする。人心掌握による産業改革。侍を平時は農民として働かせ、目的の中心は家臣を有徳な人間に育てること。東洋思想の美点は経済と道徳を分けない。富を得るには礼節を知る人とする。
「自己を修める者にしてはじめて家を治め、家を整える者にしてはじめて国を統治できる」を実践したとある。
特に気に入ったところは、両親の定めるまま結婚した女性は先天的知的障害者であったが心から慰めたとある。おいらは、なぜかこういう話に弱いのである。
3. 二宮尊徳道
徳力を経済改革の要素として重視したとある。「最良の働き者は、もっとも多くの仕事をする者ではなく、もっとも高い動機で働く者である。巨大事業を成しえるものは財政面ではなく道徳面である。」
なるほど、おいらは仕事をするのに高い動機など持ちあわせない。しかし、血圧が高いせいか妙な動悸はいつもしている。
4. 中江藤樹
「近江の聖人」として有名な人物で、孔子像を全面に学校を開いたとある。「いかに学識に秀でていても、徳を欠くものは学者にあらず。いかに無学でも徳を具えればただの人ではない。学識は無いが学者である。」
おいらも、孔子は好きなのである。
5. 日蓮上人
仏教には、多くの宗派、矛盾しあう経典がある。これらを纏め上げる苦悩を紹介している。
そう言えば、昔から不思議に思っていたのだが、こうも多くの宗派が生まれ、しかも、歴史的にこうも罵り合ってきたのか?同じ仏教じゃないのか?宗教は胡散臭いと思う理由である。しかし、釈迦の無神教は好きなのである。

いずれも、驕りなく、謙虚、礼節、勤勉、といった、日本人の道徳感を紹介したものである。おいらは、すぐに有頂天になるので見習うべきところが多い。
夜の社交場に多勢で押しかけると、なぜか最初においらにおしぼりが渡される。なぜか最初においらにグラスが用意される。偉そうな態度をしているのかもしれない。行動を慎まなければなるまい。
こういうものが新鮮に読めるということは、人間的に退化していると思わねばなるまい。

西郷隆盛、中江藤樹は、王陽明の影響を受け、進歩的な希望を吹き込んだとある。おいらの"購入予定リスト"にも陽明学の本をリストアップしておこう。ちなみに、このリスト、書籍名が増える一方で一向に片付く気配を見せない。どこぞのバグリストのようである。

なんの本だったか?思い出せないが、「西洋人は宗教で道徳を教える。故に日本人の無宗教感には違和感がある。無神論者は軽蔑される」というようなことを読んだ覚えがある。これに反論するがごとく、日本人の道徳観は武士道や伝統、礼節から生まれている。と説明しているような気がする。
無宗教といっても個々が独自に持つ宗教観はあるわけで、種別できる宗派が無いだけではないのか?そもそも有名な宗派に属している国ほど紛争が多いのはどういうことか?

おっと、いつのまにか勝手に仮説を立て、自問自答している。悪い癖である。悩み悩んで、またまた眠れない。アル中ハイマーは今日も睡眠薬を使うのである。さかやクリニックで処方してもらった純米系の720ml。これ効くぜ!

2006-12-09

"Web2.0が殺すもの" 宮脇睦 著

おいらは「ペーパーバックス」スタイルの本は結構好きなのだ。
時代の風説を皮肉ったものが多いし、それが的を射てたりするからである。
アル中ハイマーは、こうやってストレスを解消しているのである。
以下に記す[見出し]は本書の構成とは全く関係ない。
酔っ払い気分でまとめたものである。なぜかって、そこに純米酒があるから。

[礼賛]
「gさんは、オープンソースに支えられた検索技術を武器に、データベースをページランクにより付加価値をつけるというビジネスモデルを発掘した。anちゃんは、仮想書店で陳列不可能な多品種を揃えロングテールの恩恵にあずかり、書籍データ、購入履歴をマーケティングレベルにまで引き上げた。」
おお、すばらしい功績ではないか!
Web2.0の大切な概念は「永遠のベータ版」。うまい!座布団一枚!

[戦略]
「名づけ親はティム・オライリー。"Web2.0"はBuzzword(一見専門用語で根拠のない言葉)である。」
Web2.0的企業ほど、そのように定義付けられるのを嫌うのだそうだ。

「Web2.0の覇者と言えるgさんはラリーページとサーゲイブリンの二人の天才によって生み出された究極のフリーライド企業である。ホームページはコンテンツが命であるが見事にタダ乗りに成功した。客の方から勝手にきてもらうプル型の営業形態。そのためのAPIを容易することだけに力を入れる。提供サービスの性質上"情報非公開企業"。"gさん八分"や"AdSense狩り"に遭っても、その理由を公開しない。無料競争は美化される一方で海底ケーブルを引き架線をかけるコストとインフラを担う社会的責任については一切負担しない。」
すばらしい!見事な戦略であると感心してしまうのである。

[メディアについて]
「何か新しいものが生まれると直ぐに叩く一方で"なぜ日本でgさんが生まれないんだ"と言い続ける矛盾した日本のメディア社会がある。とある会合で改革の意見を求められ率直に問題点を指摘し改善策を提示すると、"あなたはここをよく知らないから"と一蹴される。結局その会の和を壊さない程度に改革できるアイデアを所望しているという日本社会の風潮はまだまだあるのだ。」
似たような会議は何度も見てきた。なぜか笑えるのだ。

「米国のメディアがブログに対して危機感を抱くのは、ブロガー自身が情報を取りに動きアイデアを出し、見てもらう努力をしているからである。人真似をよしとしない空気がある。」
こうした国民性の違いも日本ではメディアがまだしばらく安穏としていられるだろう。

[ブログについて]
「キーワードに呼応するRSSを配信しているブログに自動的にトラックバックを張るサイトが登場したり、トラックバックを許可しているブログに一括登録できるサイトができ始めている。ページランクはトラックバックによる投票も公平にカウントする。トラックバックの悪用は検索結果に悪影響を与える。」
ブログを始めて1ヶ月になるが続けるのは難しい。
今もネタ探しで苦悩し、いずれ絶える。
こうして幽霊ブログが生まれ検索精度を下げることに、おいらは貢献するのだ。

[Web2.0の危機。]
「メール返信代行」おお、実際にはメールの返信もできない企業は多いのだと。
おいらもホームページを作りたいという会社にめぐり合ったことがある。手段であるにも関わらず、ITに触れるとすばらしい世界が広がっていると思っている。しかも、担当者はホームページの見方も知らないのだ。すげー連中がいるもんだ。当然この記事も目に触れることができないのである。

「Web2.0が切り捨てようとしている人々は"奥ゆかしい人"が少なくない。そういう人は他人の意見をコピペして自分の意見のように見せない。生半可な知識で発信しない。しかし、Webとはとかく発信し、更新が多い方が有利に働く世界である。」
ガクッ!ろくでもない情報を発信しているおいらは説教されているがごとく落ち込むのである。

「自分の意見をトラックバックでしきりに表明し、他人のブログにコメントで論戦を挑み炎上させ、話題になればgさんにより記録され事実となり歴史となる。そもそも他人のブログを炎上させた経歴を自慢する人が評価されることが異常である。相手のブログを一方的に炎上させるのはテロリスト並の卑劣な行為だ。」
おお!すげー世界だ!おいらは傍観するしかない。

[読み終わって。]
本書は「ウェブ進化論」梅田望夫氏を持ち上げ過ぎだという立場をとる。
「ウェブ進化論」が主流派なら本書が反主流派という位置付けなのか?
おいらは、なんにしてもまず反主流派の立場をとる天邪鬼なのだ。
ちなみにアンチ巨人だ。しかし、アンチ巨人は実は巨人ファンと同じなのかもしれない。
なぜならば、既にWeb2.0にしてやられているのだ。
本書の購入にanちゃんギフト券を利用したこと。
anちゃんのお勧め情報を検索手段としていること。
本ブログがgさんのサービスであること。
gさん検索を利用しない日はほとんどない。
yaさんオークションは利用していないが、yaさんメッセンジャーは自動起動である。などなど、上げるときりがない。

さて、ここらで"アル中ハイマーの独り言"を検索してみよう。
gさんの検索エンジンの最新技術はすごい!
"V-Planet - 武田久美子(たけだくみこ)"がトップ。なんじゃこりゃ!
しかもコメントの内容は、おいらのブログだ。好みまであててしまうとは、恐るべし検索エンジン!超最終兵器だ!ちなみに、この検索結果には大変満足している。

yaさんの検索エンジンだとone,twoフィニッシュだ。
"アル中ハイマー"で検索すると16番目かあ。
SEO対策無しなら、こんなもんだろう。
最近、yaさんの方が検索精度がええように思えるのはきっと気のせいだろう。
こんな記事を載せてるからノイズが乗るのも致し方ない。

2006-12-02

"頭がよみがえる算数練習帳" 竹内薫 著

タイトルからして、アル中ハイマーにピッタシの本だ。
これを読まないわかにはいかないだろう。
本書のテーマは、凝り固まった大人の頭で小学生の問題に立ち向かい柔軟性を取り戻すことだ。

いきなり「つるかめ算」だあ。
おお、結構難しいぞお。当時ほんまに理解したのか?
算数力は国語力がないと文章問題が解けない。もちろん論理的解釈も必要なわけだ。
問題を視覚化する。。。なるほど。おいらはアルゴリズムを考えるのにいつも絵を書いている。お絵かき大好き人間なのだ。

本書を読んでいて、横浜の悪友宅に泊まった時のことを思い出した。小学生の娘が大きくなっていた。ちょうど中学受験で遅くまで勉強してるところを邪魔をしに行ったわけだ。
ところが、おいらより貫禄があり、人生を悟ってるんじゃねーかって落ち着きだ。どっちが大人なんだか?

算数の受験問題を見せてもらった。
すげー。幾何学だあー。三角関数の知識がないのに解いてしまう。
問題数からして、1問を10分ぐらいで解くのだろう。
おいらは、1問を1時間かけても解く自信がない。
大学受験かと錯覚してしまった。小学生、恐るべし!!!

世間で教育の質の低下が叫ばれる中、実際はやる奴はやってるようだ。つまり、教育の格差が生まれているということのようだ。将来の日本も捨てたもんじゃないかもしれない。
父親が理系を母親が文系を教えていた。どっちが勉強させられてんだか?
遺伝子というものは突然変異するものらしい。。。ゴホゴホ!!!
尚、本ブログは、まだ正式公開していない。当事者の目にとまらないことを祈らんばかりである。

竹内薫氏の本は時々拝見している。最近ではホーキング関係かあ。
あれ?これって「ちくま新書」なんだあ。
てっきり「ブルーバックス」だと思っていた。
読み終わって気づくとは、アル中ハイマー本領発揮である。