2014-06-15

"天秤の魔術師 アルキメデスの数学 " 林栄治, 斎藤憲 著

前記事「解読! アルキメデス写本」では、歴史の面から数学の醍醐味を味わった。今宵は、もう少し専門的に突っ込んで、アルキメデスの考え方や意図といったものを味わうことにしよう。ギリシア数学は、一般的に命題と証明という形で書かれ、その代表に「ユークリッド原論」がある。証明に至った思考プロセスについては、ほとんど触れられないために、数学は無味乾燥な学問とされがちである。
ところが、アルキメデスの著作の中でも「方法」だけは異質で、思考プロセスが記述されるという。彼の著作群が残される写本は、ヨハン・ルーズヴィー・ハイベアによってA写本、B写本、C写本と名付けられ、9世紀から11世紀頃、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のコンスタンティノープルで作成されたとされる。A写本とB写本は、古くから発見され、ルネサンス期の巨匠たちの目にも触れたようである。
一方、C写本が発見されたのは、1906年と新しい。おまけに、一度行方不明になりながら、1998年クリスティーズのオークションに再出現したという謎めいた経緯がある。アルキメデスの「パリンプセスト」と呼ばれるが、あくまでも中身は再利用された祈祷書であって、C写本は上書きされた中に埋もれていた。そのために当初、貴重なものとは見なされなかったようである。著作「方法」は、このC写本にのみ記載されるという。本書は、この「方法」の解説を中心に据えながら、アルキメデスの思考原理がニュートンやライプニッツより二千年も先んじていた可能性を匂わせてくれる。

人間の叡智は、いかに無駄なプロセスを辿ってきたことか。その多くは宗教戦争や政治紛争の類いで抹殺されてきた。古代知識の宝庫であったアレクサンドリア図書館は何度焼かれたことか。あるいは、結論だけ知っていても、それを存分に使いこなせなければ、無駄な知識に終わる。知識とは、なんらかの目的や欲望から生じるものであろう。それを編み出す過程の奥に秘められた哲学を学ぶことは、知識を深遠なものにするとともに、応用力を高めることになる。
しかしながら、発見や思考のプロセスが疎かにされるのは、いつの時代も同じ。現在とて、管理職にある者は結果ばかりを求め、目先の解決策を示さなければ発想力がないと愚痴を垂れる。人の考えを発展させて自分で具体化しようとしないとなれば、どちらが発想力がないのやら?人は皆、面倒臭さがり屋よ。近道をしようとすれば、却って遠回りをする。しかも、そのことに気づかなければ幸せになれるという寸法よ。それでも、いつも道草ばかりで、はしご酒する酔っ払いよりはマシか。
それはさておき、アルキメデスが既知の理論の発見法を残してくれるのは、学問に対する姿勢が伺える。研究者の中には、この時代、純粋に真理を探求するのではなく、相手を蹴落とすために論理武装し、成果を最大限に見せることにしのぎを削っていた、とする意見もあるらしい。今もあまり変わらんような...
肝心な箇所の記述が欠落していることが、「アルキメデス意地悪説」をくすぶらせる。「方法」の序文には、挑戦的な一文があるという。
「アレクサンドリアにいる君たちや将来の学者に、私の方法を利用するだけの能力がありますかな。」
これは、皮肉であろうか?あるいは、次世代の研究者に託した言葉であろうか?

注目したい思考法は、比例関係を重視していることである。ギリシア数学の理論体系は、面積や体積を表す公式を導くことではなく、既知の身近な図形との比較によって大きさの関係を明らかにすることだった。実際、ユークリッド原論やアルキメデスの著作の中に、三角形の面積が底辺掛ける高さ割る2、などというお馴染みの公式を見つけることはできない。せいぜい、平行四辺形は三角形の2倍、といった定理を見つけることぐらい。そこで、相似形や等積定理といった概念が鍵となる。
最も重要な概念は、図形の切り口とその総和の関係を、つり合いの原理に持ち込んでいることである。細かく刻んだ図形を足し合わせとして眺めれば、自ずと重心が計測でき、物事の関係が見えてくる。本書は、この思考法を「仮想天秤」と呼んでいる。面積の切り口は直線となり、体積の切り口は面となり、アルキメデスは次元を落とす術を知っていたことになる。次元という意識があったかどうかは知らんが、おそらく比を問うことで代替しているのだろう。積分的思考とは、総和という思考で代替できる統計的観測というわけだ。
「方法」の対象では、放物線、楕円、双曲線といった円錐曲線の議論を避けることはできない。やはり、基本図形は三角形であろうか。もっと言うなら、底辺と高さの関係、すなわち対象までの距離の考察である。三角形の一辺を軸に回転させれば円錐ができる。いきなり命題1には、放物線の回転体と円錐の関係が示される。
「放物線のすべての切片は、同じ底辺と等しい高さをもつ三角形を3分の1だけ超過する。」
ところで、物理学にはモーメントってやつがある。支点からの距離と重さの積で表される物理量だ。モーメントの和が支点の左右で等しくなれば、物体はつり合うと考えることができる。対して、アルキメデスが利用しているのは、距離と重さの逆比例関係であり、まさに天秤の原理だ。立体の重さの比を、天秤の支点との距離という直線の比で測る。つまり、求積問題が、一次関数の問題に置き換えられている。なんと、導関数という概念を自然に取り入れているではないか。重心を求めることが、回転体の体積比を求めることになるという寸法よ。なんでも吊るしちゃえ!なんでも回転させちゃえ!という思考実験こそが、アルキメデスの思考原理であろうか...

1. 「方法」という表題
「方法」と呼ばれるのは、ハイベアが校訂版を出版する時、ラテン語のタイトルを「Methodus」としたからだそうな。ギリシア語の「メトドス」に由来し、英語の method に相当。ギリシア語写本の表題は「エフォドス」というらしい。どちらも「道」を意味する「ホドス」に前置詞がついた語だという。ただ、微妙なニュアンスの違いがあって、エフォドスは、アプローチ、入り口、攻略といった意味があって、メトドスは、体系的方法という意味があるとか。デカルトの「方法序説」を真似て、体系的方法を好んだ時代でもあろうか。
しかも、エフォドスという語は、標題にあるだけで、本文中には一度も出てこないという。アルキメデスは、「トロポス」という語を使っているそうな。英語では、way と訳される。なるほど、「方法」というより、「やり方」あるいは「道」と言った方がよさそうである。現代風に言えば、攻略本といったところであろうか...

2. アルキメデスの比例論、いや、つり合い論
「方法」の導入部は、序文と、その後に続く11個の補助定理で構成されるという。その記述は、重心とつり合いの関係がかなり意識されていることが伺える。
例えば、円錐や円柱や角柱といった図形の重心と中点の関係を述べたり、二つの量に対して合計の重心と各々単独の重心の関係を述べたり、任意の個数の重心が同一直線上にあるならば、合計量の重心も同一直線上にあるとしたり... 複数の比例関係から対応する項の和をとっても比例関係が成り立つ条件を述べるという形で、記述が始まる。
そして、最初の命題1には、アルキメデスの基本的な思考が表れている。まず、放物線の切片ABGをとる(下図)。AGは、必ずしも軸に垂直である必要はない。Gにおける接線GZを引き、Aを通って放物線の軸DEに平行な直線AZを引く。そして、AG間の任意の点Cを通って軸DEに平行な直線COMを引く。




すると、以下の比例関係が成り立つという。

  CM : CO = AG : AC

この関係は直観的に想像できる。アルキメデスはこの証明のために以下の図形を設定しているという。放物線の性質より、DB = BE となる。直線GBを延長して、GK = KQ となるようなQをとる。そして、三角形AGZと、三角形ABGのつり合い関係を観察する。
「放物線の切片ABGを点Qに移すと、もとの位置に残した三角形GZAと点Kに関してつり合う。」




3. 球の切片
命題2で現れる球の体積は、アルキメデスが最も誇りをもった成果であろうか。というのも、墓に刻まれた。

  V = (4/3)πr3

アルキメデスは、これを二つの表現で示しているという。
「球は、その大円を底面としその半径を高さにもつ円錐の4倍である。」
「球の外接円柱は、この球の1倍半に等しい。」
内接円錐、半球、外接円柱の体積比を眺めるだけで、アルキメデスがこれらの図形に魅了された気持ちが分かる。

  円錐 : 半球 : 円柱 = 1 : 2 : 3

さて、おいらを魅了するのは命題7の方だ。この法則を眺めるだけで、本書に出会った甲斐があるというもの...
命題7の主張は、こうだ。
「球の半径r、切片の軸をh、切り取られた切片の軸をh'とすると、球の切片ABDは、これに内接する円錐ABDに対して、次のような比例関係を満たす。」

  切片ABD : 円錐ABD = (r + h') : h'




直観的にはもっともらしいが、ほんまかいな???
これを積分法で計算してみる。球の切片軸上の任意の点Sにおいて切断する(下図)。




この時、円の方程式は中心点O(r, 0) において、

  (x - r)2 + y2 = r2
  y2 = 2rx -x2

切断面の面積S(x)は、

  S(x) = π(2rx - x2)

切片ABDの体積Vは、

  V = ∫S(x)dx
    = π∫(2rx - x2)dx = (1/3)πh2(3r - h), ただし、(0 ≦ x ≦ h)

次に、内接円錐ABDの体積をV'、底辺の半径をRとすると、

  R2 = 2rh - h2

であるから、

  V' = (1/3)πR2h = (1/3)πh2(2r - h)

よって、

  V : V' = (1/3)πh2(3r - h) : (1/3)πh2(2r - h)
         = (3r - h) : (2r - h)

さらに、2r - h = h' だから、

  V : V' = (r + h') : h'

なるほど、安心して眠れそうだ!

4. 爪形と交差円柱
アルキメデスが扱った図形で、もう一つ興味深いものがある。しかも、主役のような扱い。
正方形を底面とする角柱とこれに内接する円柱において、下底面の直径と上底面の一辺を通る斜めの平面で円柱を切断すると、半円、半楕円、円柱の側面に囲まれた爪形図形が切り取られる。




アルキメデスの主張はこうだ。
「爪形の体積は、外接する四角柱の6分の1に等しい。」
なぜ、こんなヘンテコな図形に憑かれたのだろうか?この図の摩訶不思議なところは、縦にスライスすると、直角二等辺三角形が大きさを変えながら移動することだ。つまり、縦横の比が常に同じということ。その求積手順は、まず命題12と13で仮想天秤によって決定され、命題14では天秤を利用せず、無限個の平面の切り口から同じ結果を得て、ようやく命題15で外接図形と内接図形の関係から厳密な証明が与えられる。命題14には、無限小という概念が用いられ、それを正当化しようとする工夫が見られるという。ただし、欠落部分が多いとか。んー、残念!

命題12では爪形と半円柱のつり合いが、命題13では半円柱と三角柱のつり合いが論じられる。垂直にスライスしながら、三角形の集合体として捉えて重心を求めるといった具合に。この際スライス方向は、平行だろうが垂直だろうが、どっちでもよかろう。思考法の問題なのだから。
さらに、本書は球との関係を指摘している。この関係は、今まで見落とされてきたと指摘している。
「爪形と球は、同じ相対質量分布をもつ。」
また、命題14では、「不可分者」という用語を用いて解説される。この用語は、17世紀、カヴァリエーリが名づけたものだそうで、著作「不可分者による連続体の幾何学」で使った言葉だという。ここでは、三角形の面積を求める時、底辺に平行な直線で上から下までスライスするようなイメージで、直線の比を議論の対象とする。無限分割の連続体として捉えている。
では、無限個の切り口を、どうやって足し合わせたのか?アルキメデスの求積の議論では、体積や面積をいくら細分化したところで質量のある物理的イメージは残される。
ところが、命題14だけは、厚みや幅のない切り口によって思考される。2001年に明らかになったことは、なんと無限個の切片に対して「個数が等しい」という言葉を用いているとか。そのために、古代ギリシア数学において、実無限という概念を使用していたという可能性が注目されているという。二次元の面積を、直線の比という1次元関数に置き換え、三次元の体積を、三角形の比という2次関数に置き換えているとすれば、被積分関数を変形して積分するというイメージが出来上がっている。
しかしながら、補助定理では有限個の項に適用され、無限個の項に利用するのには、ちと無理がありそうだ。アルキメデスが、無限を正当化しようとした努力は想像できても、厳密な水準に達しているとは言い難いようである。命題14の意義は、つり合いの原理だけでは、無限個の項を扱うことに限界を感じたということであろうか?
では、なぜ、ここだけ都合よく情報が欠落しているのか?わざとか?序文の皮肉が甦る。

また、命題15で紹介される思考法は、ちと抵抗がある。というのも、あの忌々しいε-δ論法に映るからだ。そのイメージは、三角柱P、爪形Uとすると、次の三つのパターンで最初の二つが矛盾し、3つ目が成り立たざるを得ない、という具合に議論される。

  U > (2/3)P, U < (2/3)P, U = (2/3)P

本書は、これを「二重帰謬法」と呼んでいる。残念ながら、命題15も途中で終わっているらしい。既知の情報から比較関係によって迫ろうとする思考法は、解けない微分方程式の前で大小関係によって迫る考えにも似ている。おいらを数学の落ちこぼれにした野郎だが、その幾何学版にも映るわけだ。
さらに、球、交差円柱、爪形の共通性へと議論が進む。そこで、ちょいと三つの図形を重ねて描いてみると...




爪形の図形は円柱からも描けるし、交差円柱の交差する部分の球からも描ける。爪形の図形とは、差分の考察に用いようとしたのだろうか?残念ながら、交差円柱の証明も失われているそうな。

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